なぜか資料だけは大量にあるのに、まとめられないのがココです。究極、現地案内看板の記述が簡潔明瞭でこれ以上ないくらい優れています。とはいえ、放置もできないので、時間ができたらそのうち……と思います。
厳島合戦関連史跡
合戦関連史跡について詳述した記事ではなく、観光案内記事の中に出て来た合戦史跡についての言及段階です。
大元浦 大内方の上陸地点(大元公園の記事内に記述)
塔の岡 大内方の本陣が置かれたところ
要害山 毛利元就が「囮の城」として築いたとされる城
火立岩 毛利軍が出陣したとされる場所(本州側、地御前にある)
包ヶ浦 毛利方の上陸地点
博奕尾 毛利方が奇襲を行なった地点(包ヶ浦の記事内に記述)
柳小路・滝小路 毛利方の奇襲が成功した後、逃げる大内方と毛利方との戦闘が行なわれた
経ノ尾 奇襲に成功した毛利軍が陣を置いたとされる場所のひとつ
駒ヶ林 大内方の武将・弘中隆兼が最後まで楯籠もって抵抗したとされる地点
大江浦 島を出るための船を探し続けた陶入道が最後に辿り着いた場所とされる
桜尾城跡 毛利方が凱旋式を行なったとされる城(本州側、桜尾本町にある)
厳島合戦全看板 とりあえず、これを読めば合戦のあらましはバッチリ。現地に行けないと見れないけどね。
折敷畑古戦場跡 厳島合戦の前哨戦ともいわれた宮内明石での合戦古戦場跡
宮川甲斐守腹切岩 折敷畑の合戦で戦死した宮川甲斐の守がこの上で亡くなったと伝えられる大岩
毛利家礼賛の書物からしか、調査ができないのは悲しい限りです。でも、幽霊に書物の編纂はできないので、敗者の側から書かれた記録などあろうはずがありません。事の詳細を知り尽くした方々は主と時を同じくして果てたからです。そこは仕方な……。
毛利元就からサインもらっちゃった。へへへ。父上の名前を出したら「知り合い」ってことで、快く書いてくれたよ。こんなに山ほど資料持ってる俺たち、「殊勝なことである」とか。褒められたんだよね?
そ、そう……。励みになるから、頑張って記事を書いていこうね。
中国地方でいちばん有名な人なんだよね? なんかの記念にはなるだろう。吉川資料館で買った『岩国の三英傑』ってご本。これを読んで吉川広家公のファンになりました、って言ったら殊の外ご満悦だったみたい。うーん、俺も何とかして、吉川家に仕官させてもらいたいと思うんだけど。
なんで、本家じゃなく、分家に行きたいの?
仇の家に仕官するって概念、俺にはないから。「毛利」って聞くだけで嫌だね。でも、どこかに勤め先を見付けないと食べて行かれないから。あらゆる意味で吉川家と毛利家は違ってると感じた。特に、近世とやらになってからの話だけど。俺も分家した先祖を持つ身。無能な本家が威張っているという現実は理解できるよ。知ってるのは今の殿様のことだけだけどね。
ん? 厳島で毛利家と合戦をして敗れた!? なにゆえそのようなことに? わしは何も聞いておらぬが……。
あんた蚊帳の外なんだよ。てか、もう、お亡くなりになってたみたい。
ふう……。ならば、わしとは無関係か。それにしても、あれほどよくしてやったのに、毛利元就め、我らに楯突くとはなんたることか。義尊は無事であったかの?
世の中には、知らなくてよかったと思うことが多々あります。どうぞ、極楽の蓮の上でお幸せに。ここにはもう、おいでにならないでくださいね。