ミル@若山城跡

山口と広島が大好きな女の子

要害山山頂看板

みやじま・えりゅしおん

宮尾城

2024/1/27  

厳島合戦ゆかりの地。毛利元就が「囮城」を建てたという後世の軍記物などでお馴染みの場所。わずかに遺構もあり、城跡として見学可能。城跡内に今伊勢神社や仁王門跡などがあり、色々と楽しめる。城としてはとても低い部類だが、展望はいいのでおすすめ。

弟君

陶のくにの人々

陶弘詮

2022/11/25  

城主さまの弟君、五郎の外祖父様。大内政弘、義興期の重臣。麗しき文武の将。吾妻鑑の収集で歴史に名を残した方でもある。※リライト中です。

三男

陶のくにの人々

陶興房

2022/12/9  

大内義興の忠臣。義興の子・義隆にも仕えた。陶家には忠義の臣が多いが、その中でももっとも優れた一人。文武両道で、人柄も素晴らしく誰からも愛された。この人なしでは、義興・義隆期の大内家の繁栄はなかったと言っても良い。息子は謀反人の隆房。

「塔の岡」看板前にて

みやじま・えりゅしおん

塔の岡(広島県廿日市市宮島町)

2024/1/27  

「塔の岡」は厳島合戦で、陶軍が本陣を置いたところ。五重塔があることから、塔のある岡 ⇒ 塔の岡、と単純に考えていたけれども、何も厳島合戦で無様に負けた陶軍のためにある名前ではない。古来より地理的に重要な場所だったのだ。

若山城跡「若山城は宝物」看板

陶のくに風土記

若山城跡

2024/1/27  

大内氏本家の分家で、代々重臣を務めた陶氏の拠点だった城。単に、「下克上して大内義隆にとってかわった陶晴賢の城」ではけっしてない。またそのような台詞を言ったら、陶晴賢を愛する地元の方々に白い目で見られる。山頂まで車で行けてしまうためとても楽。

城主さま

陶のくにの人々

陶弘護

2022/12/9  

我らが陶の城・城主さまについての人物説明。

城主さま

陶のくにの人々

先祖 弘房一家以前の人々

2023/2/26  

陶家の始祖・弘賢から、弘房までの流れ。富田保に移った弘政、弘長、盛政、盛長、弘正まで。初稿。

陶様イメージ画像

陶のくにの人々

外戚

2022/5/14  

外戚。今のところ、『実録』で叛逆のところに入っていた内藤隆世さんと、同じく「附庸」中の益田藤兼さんだけです。外戚は数多いので当然、これだけじゃないよね。初稿。

弟君

陶のくにの人々

右田氏

2023/1/9  

陶氏の本家・右田氏の人々。存在は明らかなのに、系図にない人もある。子孫は毛利家に属して、その後も続いた。初稿。

曾孫

陶のくにの人々

陶長房

2022/10/26  

陶長房、その子・鶴寿丸、一族の者と思われる陶貞明について。初稿です。