イマドキ『陰徳太平記』

イマドキ『陰徳太平記』

2023-05-18

弟君

おことわり

『陰徳太平記』は「歴史書」ではなく、「創作」です。馴染み深い中国地方の人々が総まくりな上、作者の脚色が絶妙であるため、有難くも楽しい読み物ですが、以下の点にはご留意ください。基本は史実に基づいておりますが、物語としての面白さを優先するため、史実とは異なる逸話を盛り込んだり、効果を高めるための脚色を施したりということが行われています。内容の受容については「自己責任」でお願いします。いちいちどこからどこまでが「脚色」なのかなど調べられません。

お詫び

このページは章段リストですが、未完成&不完全です。引用の時どこに何があったかわからなくてメンドーなので便宜上作ったものです。なので、参考にはしないでください。

巻第一

後土御門院の御治世

足利家の繁栄

足利義稙征夷大将軍宣下

義稙将軍河内国発向・正覚寺合戦

義稙将軍西国下向(亡命)

義稙卿防府天神御参詣

義稙、大内義興を頼る 

巻第二

足利義澄征夷大将軍宣下

少弐蜂起 附・政資、高経の自害

細川政元生害 附・細川澄之の自害

義稙卿御帰洛 附・将軍再任

京都合戦

長曾我部先祖 附・元秀の戦死

和泉国毛須深井合戦 附 ・摂津国豊島山崎両所合戦ならびに義澄将軍の薨去

将軍丹後御退座 附・船岡山合戦

尼子経久の隱謀

山陰地方の一大勢力となり、大内氏の領国と境を接し互いに潰し合う関係となる尼子氏。尼子氏を京極氏配下の一守護代から山陰の雄に押し上げた尼子経久と、名実ともに西国一の大大名として光り輝く大内義興とのエンドレスな覇権争いの端緒が描かれる。ヘンテコな部分もあれど、義興が擁立した足利義稙ではなく、義稙復職で都から逃れた義澄の遺児・義晴を養育する六角氏からの味方になって欲しいとの誘いに飛びつく。⇒ 関連記事:『陰徳太平記』曰く「尼子経久の陰謀」

尼子氏の先祖

尼子氏は近江の宇多源氏・京極氏から分出した。宇多天皇から、経久の孫・晴久までの系譜。大内氏と違って始祖が異国の王族ではないため素性ははっきりしていると思われるが、宇多天皇のご子息がどのように枝分かれしたかなど存じ上げないので、曖昧な部分がゼロかどうかは責任が持てない。

尼子経久立身

京極家から出雲の守護代を任された経久の祖父。孫の経久まで三代にわたり出雲国を治めたが、いち早く戦国乱世の到来を予期した経久は、積極的に富国強兵を始めてしまい、主家・京極氏の意向など無視。幕府にも睨まれ、守護代の地位を追われてしまう。浪々の身となった経久が、智謀を巡らせ、わずかな人数で月山富田城を奪取する成功物語。※『陰徳太平記』は尼子氏の主家を六角氏と間違えている。

経久、三沢氏を謀る

主家も幕府も無視し、実力で出雲国を手に入れた経久だったが、弱々しい小領主は傘下に入ったが、先祖代々の名門大勢力は易々とは靡かない。それらすべてを敵に回すのは得策ではないため、経久はまたしても謀を用いる。罪を犯して経久の怒りを買い、三沢氏の元に逃げ込んだ尼子家臣・山中。経久により、国許に残してきた母や妻が入牢の憂き目に遭うなど、深く経久を恨んでいた。ゆえに、夜討ちして鬱憤を晴らしたいという申し出に、三沢はこの機に気に食わぬ経久を潰せたら……とほくそ笑む。山中のために選りすぐりの将兵をつけてともに乗り込ませたが、なんと、すべてはこの日のために経久が仕込んだ山中の芝居だった。夜討ちに入るどころか、ほとんどの精鋭を逆に討ち取られ、意気消沈した三沢は経久の軍門に降るほかなかった。この有り様を伝え聞いた他の勢力もこぞって経久の配下に。こうして、出雲国はまるっと尼子家の配下となっていく……。

卷第三

毛利先祖 附・元就卿のこと

丹比松寿丸の元服 附・明人、人相を見る

武田元繁安芸帰国 附・諸城攻撃

武田有田城攻め 附・吉川高橋論同城事

猿掛麓合戦之事

有田中井手合戦 附・熊谷元直戦死

有田合戦 附・元繁戦死

香川己斐討死

上野民部大輔安芸下向

卷第四

公方義稙公有馬御入湯

尼子伊予守経久出雲国阿與城攻撃

大内義興帰国 附・大内尼子和睦

摂津国田中城夜討

細川澄元園越水城 附・細川高国後詰之事

細川高国近江より上洛 附・三好喜雲自害ならびに細川澄元逝去

将軍義稙卿御潜居 附・義晴将軍任官

高橋大九郎討死

丹比元就被圍靑屋城事

安芸西条鏡山城陥落

卷第五

元就毛利、家督を継ぐ

相合就勝謀反 附・生害之事

桂広澄自害

大内勢、銀山桜尾両城を囲む 附・次休蔵主

根之坂上合戦

武田光和合戦

尼子勢銀山後詰 附・合戦

毛利元就夜討

大内勢敗北 附・義興、筑前国発向

卷第六

石清水八幡宮造営 附・義晴将軍御社参

大内義興石見発向 附・大内尼子合戦

大内義興逝去 附・歌事

大内氏の先祖

大内氏の始祖・琳聖太子来朝から始まって、大内義隆までの歴代当主について語られる。琳聖の兄・阿佐太子なる人物が登場したり、聖徳太子と琳聖には前世からの因縁があったなど、興味深い創作が楽しめる。ただし、歴代当主についての記述には、現在の研究成果からしたら信じられないような誤りもある。「このように誤解されていたのか」と思えば特に腹が立つこともないものの、専門家が同書を「俗書」と卑しめる理由はここらにあるのかも。俗人なので、「俗書」を読むことに何ら抵抗はないものの、ほかの家についてもこの手のありがたい「まとめ記事」がたくさんあることを考えると、それらもこのレベルに間違っている = 参考にはできない、となってしまい、少なからずショック。⇒ 関連記事:『陰徳太平記』曰く「大内先祖について」

丹波国神尾寺、八上両城合戦 附・摂津国吹田合戦

山城国桂川合戦

山城国川勝寺村合戦

毛利元就上洛

大友氏の先祖

大友勢、豊後国佐伯城を囲む

卷第七

熊谷信直、山中成祐を討つ

武田光和・熊谷信直不和

播州依藤城攻 ならびに浦上陷諸城事

肥前国田傳村合戦

細川常桓、浦上則宗を頼る 附・播州伊丹富松大物合戦

天王寺合戦 附・細川常桓自害

畠山総州・三好開運自害

大内勢、筑前渡海ならびに大友義鑑、星野攻め

尼子経久・鹽冶興久不快之事

龜井新次郎經久最後之暇 乞事

雲州佐陀城沒落事

末次城合戰事

鹽冶興久備後被 落 附米原戰死之事

卷第八

隱岐國合戰之事

香川勝雄䡄大蛇,事

攝州諸所合戰之事

大内義隆九州渡海附 大内少貳和睦之事

藝州橫川合戰事

武田光和逝去 附噂之事

武田家督評定之事

武田攻八木城 附武田出奔竝若狹武田之事

巻第九

鹽冶興久自害事

興久斬化者事

備後國宮城合戰事

備後國高野山降參 附桂元澄弓勢之事

肥前國大智庵城夜討 附松浦幸松丸事

毛利元就屬大内義隆事

尼子晴久藝州發向評定 附伯州大山神勅事

卷第十

武田信實賴尼子事

藝州岩屋城合戰之事

尼子晴久吉田發向之車

太郎丸 竝池内合戰 附湯原彌次郎討死之事

遣分合戰之事

大田口合戰之事

風越山宮崎合戰 竝後河原合戰事

琢阿彌討死事

卷第十一

尼子國久伯州發向之事

橋津川合戰 附尼子兵部大輔戰死 竝武田山城守最後之事

南條吉田合戰之事

南條討小鴨事

士取場合戰之事

吉川高尾黑正宮崎寄、陣事

卷第十二

大内勢後詰附宮崎合戰之事

青三猪山合戰 附尼子下野守討死事

尼子晴久敗軍之事

佐朿銀山城 竝廿日市櫻尾城沒落之事

細川晴國自害 附 攝河所々合戰之事

千葉與„少貳,和睦 附 嘉胤自害之事

卷第十三

大內義隆雲州發向僉議之事

尼子經久逝去 竝 大内義隆雲州發向之事

熊谷平三直續戰死之事

赤穴城明渡事

富田菅谷蓮池合戰之事

金尾洞光寺合戰之事

富田川合戰之事

備雲石武士變志事

卷第十四

大内義隆朝臣敗軍 附 晴持最後之事

小早川正討死之

河津民部左衞門久家討死之事

泉州境南庄合戰之事

尼子晴久石州發向之事

尼子因幡國發向之事

備後國府野合戰之事

卷第十五

尼子國久父子備作働之事

小田龍造寺離合竝 龍造寺一門被誅事

丹波國關城沒落之事

攝州大塚池田兩城合戰之事

龍造寺隆信事少貳冬尙奔於筑後事

將軍北白川御籠城之事

卷第十六

小早川系譜附 隆景小早川家相續之事

吉川治部少輔興經與家老不 和之事

元春娶熊谷信直之女事

元春吉川家相牘之事

吉川先祖之事

卷第十七

備後國神邊城合戰之事

毛利元就父子防州山口下向之事

平賀杉原合戰之事

攝州中島榎竝三宅城没落 竝江口合戰之事

將軍義晴公坂本御退坐附如 意嶽城經營之事

將軍義晴公薨去之事

義輝朝臣將軍宣下之事

大友義鑑之事

大內義隆卿諸藝研究之

冷泉隆豐諫言之事

卷第十八

備後國神邊城明渡附目黑最 後之事

陶隆房相良武任不和之事

久村玄蕃允被誅事

藝州嚴島千句連歌之事

三好長慶上洛事

相良武任落山口事

山口物怪之事

陶隆房隱謀之車

冷泉隆豐夜討僉議之事

備後國志川瀧山落城之事

卷第十九

義隆卿築山沒落之事

義隆卿法泉寺落事

義隆卿難風に遭ひ給ふ 竝 公家衆御最後の事

義隆卿自害竝大寧寺炎燒之事

中將殿新介殿御最後之事

陶晴賢討杉重政

山口興廢之事

卷第二十

陶持長、嫡子・義清を殺める ★

⇒ 関連記事:陶興昌陰徳太平記曰く

大内義長山口入り

長門大寧寺について

安芸国頭崎城明け退く事 竝 西条槌山落城之事

大友義鑑肥後国発向之事

龍造寺隆信佐賀城を退去す 附・同城に帰り入る事

卷第二十一

長曾我部国親山田を討つ事

将軍御帰洛之事

丹州八上城攻附 攝州芥川城明退事

備後國泉合戰之事

祝城沒落之事

三村家親毛利家に屬す 附 備中國猿懸城合戰之事

三村穂田重合戰之事

卷第二十二

尼子晴久作州働き 附高田合戦 竝眞木大蛇を射る事

浦上敗軍 竝播州刀田太子堂 合戰之事

毛利元就誅井上一黨

卷第二十三

細川晴元歸洛竝三好上洛 附 將軍丹波に赴き給ふ事

丹波國所々合戰 竝 有馬月公播州働之事

尼子晴久新宮黨を殺す事

尼子吏部之子息生害之事

吉見賴信與陶道麒刺違ふる事

正賴吉見の家督を繼ぐ

長州嘉年落城竝陶攻津和野城事

卷第二十四

毛利元就攻藝州所々城事

宮川甲斐守藝州に上る事

藝州廿日市折敷畑合戰之事

神領明石合戰之事

石州永安之城明退 附 大田懸(かけ)之橋合戰の事

野間隆實降參之

陶 吉見と 和睦之事

毛利元就佐西郡働(はたらき)之事

陶全薑江良丹後守を誅する事

少貳時尙肥前綾部城に歸り入る 附 龍造寺隆信諸所働(はたらきの)事

赤松晴政播州明石竝に三木城を攻める事

卷第二十五

毛利元就城を嚴島に築く事

仁保島合戰之事

陶入道嚴島渡海評定之事

卷第二十六

陶全薑嚴島渡海之事

陶入道嚴島の城を圍む 附 元就後詰之事

能島久留島元就に與力す 附弘中隆包軍議の事

卷第二十七

毛利元就嚴島渡海附同所合戰事

大和伊豆守被擒(いけどられる)事

三浦越中守最後之事

弘中三河守父子龍之馬場に上る 竝 可性宗阿彌狂歌之事

卷第二十八

陶全薑最後之事

弘中隆包父子最後之事

重見因幡守自害之事

大和伊豆守被誅(せらるる)事

伊香賀民部が事 竝元就父子歸陣之事

卷第二十九

杉杉森元就屬事

陶長房滅亡之事

永興寺開基竝大內家物語の事

伊賀路之高山寺岳落城の事

玖珂之鞍懸城沒落の事

坂新五左衛門須々萬表物見事

巻第三十

陶小郎滅亡之事

杉內藤合戰之事

山內隆通元就に屬する事

吉川元春石州發向の事

須々萬城合戰之事

富田若山城明け退く事

卷第三十一

土佐國長濱城沒落 竝 長曾我部國親逝去事

大友義鎮豐前發向之事

防州須々萬落城之事

大內左京大夫山口落之事

大內義長最後 附 陶鶴壽丸最後之事

攝州に高鹽滿つる事

秋月文種切腹 附 筑紫惟門防州退事

卷第三十二

嚴島萬部經轉讀之事

防長一揆蜂起之事

益田藤包降參之事

杉原忠興死去附妾貞順事

ミルイメージ画像(涙)
ミル

疲れた……。いちおう、大内輝弘まではお付き合いしようと思っているケド、力尽きた。あと、もう少しだと思うんだけど……。ちなみにこれを翻訳しようとしているとか、そんな意味ではありません。引用するときいちいち本を開くのがメンドーなので。

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