山辺の古径(広島県廿日市市宮島町)とは?
名前の通り、厳島神社へ向かうための「古い」道をいいます。かつての厳島と現在とでは、海岸線が異なります。厳島合戦の頃ここは海だった、という類のお話をよく耳にすると思いますが、現在の参道も昔は海でした。ならば、当時はどこを通って参拝していたのか? ということになるわけですが、「山辺の古径」は「宮島最古の参道」にあたります。
現在の参道を通って厳島神社に参詣し、ロープウエーで弥山登山をし、表参道商店街でお土産物を買って……というおきまりのコースで帰宅するとこの道を意識することはないかも知れません。でも、古くから存在する寺院さまや五重塔などとも繋がっていますので、知らぬ間に通り過ぎている可能性があります。
迷路のような古い町並みや、道沿いにある寺院やお堂などを見学することができるとても趣のある道です。
山辺の古径・基本情報
所在地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町
※Googlemap に出ている住所です。
山辺の古径・概観
ここが山辺の小径である、とはっきり示すことはちょっと難しいです。ガイドブックの地図などで一本線を通してこの道であると明示してくださっている場合があるのですが、著作権上それをお借りすることはできません。案内看板にも「山辺の小径」の表示がございますし、Googlemap 上にも出ています。けれども、地図には出て来ない細い路地があったり、Googlemap でも途切れ途切れのご紹介で、一本の道として繋がってはいません。
基本は最古の「参道」ですので、桟橋から厳島神社まで続いているはずです。むろん、現在の参道がかつては海だったので、現在の桟橋や桟橋前広場も同様に海だったということになりますから、「現在の桟橋、参道より内陸」を通っている道となります。ガイドブック類ですと、要害山から五重塔までの道のりが紹介されていることがほとんどです。
Googlemap で確認できる部分をまとめてみると、以下の通りです(202303現在)。
一、今伊勢神社から仁王門跡に至る道
二、みなと隧道から桟橋方向へ向かう道から分岐した道(途中で行き止まり)
三、西連集会所から宝寿院に至る道
四、(上の道とはいったん途切れて)宝寿院から延命地蔵までくねくねと続き、その先で厳島神社方向へ曲がった後途中消滅
ガイドブックによると、二と三、三と四は繋がっており、四はそのまま「塔の岡隧道」に向かい、五重塔までが一続きの道となっています。
ところどころに「山辺の古径」というプレートが懸かっておりますので、意識して気を付けて歩くようにすると、「山辺の古径」を歩いている、ということを確認することが可能です。
だいたいこの「範囲内にある」ということをお伝えすると、以下のような部分となります。
※五重塔に上がるところにある案内図看板をお借りしています。
何気にこの案内看板だと、「山辺の古径」は真っ直ぐな一本道になっておりますね。
山辺の古径・みどころ
なんといっても、迷路のような細い路地裏などの昔の町並みを髣髴とさせる道です。沿道には有名な寺院さまもありますが、小さなお地蔵さんや道祖神がひっそりと佇んでいたりします。敢えて説明しづらいこの道で項目を立てたのは、どうやって分類したらよいのかわからないそのようなお堂やお地蔵さまをまとめたかったからにほかなりません。
はっきりと山辺の古径沿いになくとも、その付近にあるみどころもあわせて載せます。これらはほとんど、地元のベテランガイドさまとご一緒に町歩きをしていた際にご案内いただいたものです。何も知らずに一人歩きをしていたら気が付かなかったかも。逆に言うと、地元の方々は皆、よくご存じの場所です。
今伊勢神社
ミルたちの「山辺の古径」出発点はコチラでした。※今伊勢神社とつぎの仁王門について、詳しくは「宮尾城」の項目に書きました。⇒ 関連記事:宮尾城
仁王門
地図だと仁王門跡から、宝寿院のほうに道が続いていますが、ガイドさんのご案内はつぎの「富くじ場跡」に向かいました。
大束富くじ場跡
「だいそくとみくじばあと」と読みます。江戸時代、宮島を治めていたのは浅野家のお殿様ですが、藩では宮島という著名な観光地をますます発展させるために、娼館を移したり、富くじ興行を行なったといいます。ゆえに、娼館だった跡地や富くじ場の跡地があるのですね。娼館の跡地についてもこのような記念碑が立っているのかは未確認ですが、この辺りがそうでした、というお話は地元のガイドさんからお伺いしています(その場所を忘れてしまいましたが……)。
富くじは昔版宝くじのようなものです。この石碑が立っている場所が、かつての「抽選場」でした。かな~り昔々のことになりますが、よくテレビの時代劇で富くじ抽選会のシーンなどが写されることがありました。黒山の人だかりの中で、大当たりは何番なんて発表されて民衆が一喜一憂する、というものです。現在の宝くじ同様、結局は大当たりを出してあげたところで、ほとんどの人は外れるわけなので、くじの売上金で興行主が儲かる仕組みです。
宮島の富くじは「大束」と呼ばれる木札を入札したため、「大束富くじ」と呼ばれております。「大束」って何よ? ってことですが、燃料として使われる「薪」だそうです。お金ではなく、燃料がもらえるくじだったんですね。
明治時代に禁止されるまで、富くじ場はたいへんに賑わった模様です。
真光寺
富くじ場跡から山辺の古径に戻る途中、立ち寄りました。宮島では唯一の浄土真宗寺院です。
不動堂
不動堂・基本情報
所在地 〒739-0588 廿日市市宮島町 706
真言宗御室派
宝寿院の飛び地境内にあたる「不動堂」です。本尊は不動明王で、脇士として毘沙門天と弘法大師がお祀りされています。この場所は厳島神社の艮(東北、つまり鬼門)の方角にあたることから、鎮護のために建てられました。
乳地蔵
宝寿院に向かう参道途中にあります。名前の通り、参拝すると母乳がよく出るようになるという子育て中の女性に優しいお地蔵さまです。この付近、細い路地が迷路のようになっていて、ちょい複雑です(下の写真参照)。乳地蔵がある道を「女人坂」と呼んでいます。
山辺の古径からは外れますが、町家通りと表参道商店街とを繋ぐ道には、「鬼隠(かくれんぼ)」と呼ばれるこれよりもさらに細い道があるそうです……。ガイドブックに載っています。次回は探してみたいです。
宝寿院
宝寿院・基本情報
所在地 〒739-0515 廿日市市宮島町魚之棚町645
山号・寺号・本尊 龍上山・西方寺宝寿院・阿弥陀如来
宗派 真言宗御室派
開基は天慶九年(946)と伝えられているので、長い歴史をもつ古寺です。ほかにも歓喜天をお祀りした聖天堂(未見)、飛び地境外の不動堂などがあります(前述)。境内のあせびの花が美しいことから別名「あせび寺」とも呼ばれて親しまれています。
千手観音
宝寿院より少し行ったところにありました。地元の方々の信仰を集めるお堂、という雰囲気です。
北之神社
宝寿院から五重塔へと向かう途中で左折した先にありました。どういうわけか、鍵がかかっていて、中に入れず(この手前にもフェンスがあったと思います)、これ以上近付くことができませんでした。
ご祭神は猿田彦神で、コチラも厳島神社の末社にあたります。
展望
山辺の古径には展望がよいところが何カ所もありますが、ここもそうしたビュースポットです。宝寿院からちょい先(10分ほど)の光景です。五重塔と千畳閣が見えています。
延命地蔵堂
「延命地蔵」ってよく見かけるのですが、基本はお地蔵さまです。数あるお地蔵さまのご利益のうち、とくに「延命(寿命を延ばしてくださる)」を強調したもの、という感じです。お地蔵さまは子どもを守ってくださる仏さま、とよく言われますが、そのことから、子どもが短命にならないように、という願いを叶えてくださる、という意味合いもあります。『宮島本』によれば、「桜町のお地蔵様」として、地元の方々にとても親しまれているとのことですが、普通に観光に来たら見落としてしまいそうです。
光明院
光明院・基本情報
所在地 〒739-0521 廿日市市宮島町大町395
山号・寺号・本尊 華降山・以八寺光明院
宗派 浄土宗
観光案内版によれば、戦国時代に以八上人によって建立された寺院です。その頃、すでに厳島は参詣の人々で賑わい、厳島神社とかかわりの深い寺院もありましたが、上人は主として町家の人々に布教するためにやって来られたということです。上人は人々に念仏をすすめ、信者となる人は少なくありませんでした。
鎌倉時代末期の木造阿弥陀如来立像、絹本紺地金彩弥陀三尊来迎図という二つの国指定重要文化財を所蔵している寺院さまです。
寺院裏手に、浄土宗道場だった神泉寺の跡があります。有の浦に流れ着いた二位の尼を供養するために建てられ、もとは阿弥陀寺といった寺院です。明治維新で廃寺となり、現在は「跡地」が残るのみです。誓真(後述)はこの神泉寺の番僧でした。ほかにも、「厳島八景」を選んだ恕信が、光明院の僧侶でした。
誓真大徳頌徳碑
誓真というお坊さんは、伊予国の出身でもとは武家の生まれでした。広島に移り住みお米屋さんになったといいます。やがて、光明院に弟子入りして修行をし、光明院隣の神泉寺の僧侶となりました。島の人々のためにできることはないかと考え、弁才天の持ち物である琵琶から、しゃもじの生産を思いつきました。これが「宮島杓子」の起源です。
当時、水不足でたいへんだった島の人々のために井戸を作ったり、島内の道を整備するなどして、宮島と島民のために大いに尽しました。誓真が作った井戸は全部で十もあり、そのうち四つは現在も残っています。
この石碑は、誓真の功績を称えるために、昭和十二年(1937)に建立されたものです。⇒ 関連記事:誓真釣井(町家通り)
展望・その二
光明院や誓真大徳頌徳碑などにちょっと寄り道してしまいましたが、山辺の古径はやがて五重塔に到着して終了します。五重塔を見上げるこの辺りも、展望が美しいところです。⇒ 関連記事:厳島神社五重塔(厳島神社○○となっている建築物)
山辺の古径(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
所在地 & MAP
所在地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町
道なので、「所在地」がどこというのはないです。昔の「参道」ということで、現在の参道より内陸部にあり、厳島神社まで続く道(要害山から五重塔まで)、となります。MAP はかなり拡大してごらんください。
アクセス
要害山から五重塔まで続く道なので、基本は要害山から入ります。ところどころに「山辺の古径」というプレートがついていますが、案内看板などで一本線を引いて流れを記してくれているものはないです。Googlemap のナビゲーションを使って現在地を確認しながら行くとよいと思います。
参照文献:『宮島本』
山辺の古径(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想
山辺の古径・まとめ
- 宮島で最も古い「参道」
- 現在の参道はかつては海だったので、昔の人が通っていた道ではない
- 細い路地裏や昔ながらの道などが続き、風情がある
- 大寺院や有名な史跡というよりも、地元の方々に慕われているお堂などを見ることができる道
- むろん、要害山、今伊勢神社、宝寿院等々の著名な史跡、寺社もある
- 展望がよいところが二箇所あり、記念撮影に最適
宮島にはいくつかの散策路があり、うぐいす歩道、もみじ歩道、あせび歩道などがそれです。しかし、それだけではなく、この山辺の古径のほかにも、誓真大徳記念碑道なんてのもあったりします。ほかにもまだまだあるかもしれません。正直なところ、宮島の道はどこも風情があるので、いちいち「現在○○歩道を歩いています」と意識する必要はないような気もします。
それを意識しなくてはならなくなるのは、楽しい旅から戻って大量の写真を整理するときです……。たいていめちゃくちゃになっていますので、何らかのテーマで分類することが必要。呆然とする中、気付いたのは、ガイドさんがご案内くださって町歩きした道が、期せずしてこの道メインだったということです。ガイドブックなどを見ていると、この道はかなり「通」の人が行くところ、という解説になっています。
桟橋から、現在の参道を通って厳島神社、終わったら五重塔そのほか。という流れですと、意識してこの奥まった道を通ることは少ないかも知れません。先を急ぐ旅ですと、隅々見ることは難しいのもまた事実ですが、コチラでご案内したようなお堂やお地蔵さまに興味を持たれた方はぜひお立ち寄りくださいませ。
ちなみにですが、「道の名前なんてどうでもいい!」ってことでしたら、あれこれのルートで色々な場所に行けるわけなので、気にすることは何もないです。逆に、どうしてもこの道を隅々通ってみたい、ということでしたら、地元のガイドさま方のご案内を拝聴しながら行くのがいいかと存じます。厳島神社について解説していないガイドブックはありませんが、乳地蔵まで説明してある例は多くなく、現地にも文化財説明看板のようなものはないですので、自己解決はちょっとたいへんです。
こんな方におすすめ
- とにかく宮島が大好き。隅々みたい!
- 古くて趣ある町並みが好き
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
日本一の五重塔は山口の瑠璃光寺にある! って思うんだけど、この道から見た宮島の五重塔もいいね
そうだね。どっちもそれぞれいいよね!
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みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
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