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ミル@周防山口館
廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします
【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています
陶さま日記・安芸紀行
2024/10/31
宮島の西端に位置する都市公園。大元神社、国民宿舎「杜の宿」、厳島合戦関連史跡「大元浦」「血仏」などがある。桜の名所として有名。
2022/5/3
毛利家に帰順した家臣たちです。結局はほとんどの人が毛利家に将来を託すことになったのは当然のことですが、中でも、「いちはやく」投降し、「さっそく」手柄を立てたような人たち、もしくは、元の主への情というものが欠片も感じられない人もここです。
2022/5/3
『大内氏実録』で「叛逆」に入れられている家臣たちについて。抄訳しました。弘中隆兼、青景隆著、飯田興秀、阿川隆康等。組み分けが正しくないような気がしますが、初稿なので、リライト時にかわるかもしれません。
2024/6/26
厳島合戦ゆかりの地。毛利元就が「囮城」を建てたという後世の軍記物などでお馴染みの場所。わずかに遺構もあり、城跡として見学可能。城跡内に今伊勢神社や仁王門跡などがあり、色々と楽しめる。城としてはとても低い部類だが、展望はいいのでおすすめ。
2022/12/9
大内義興の忠臣。義興の子・義隆にも仕えた。陶家には忠義の臣が多いが、その中でももっとも優れた一人。文武両道で、人柄も素晴らしく誰からも愛された。この人なしでは、義興・義隆期の大内家の繁栄はなかったと言っても良い。息子は謀反人の隆房。
2024/9/14
「塔の岡」は厳島合戦で、陶軍が本陣を置いたところ。五重塔があることから、塔のある岡 ⇒ 塔の岡、と単純に考えていたけれども、何も厳島合戦で無様に負けた陶軍のためにある名前ではない。古来より地理的に重要な場所だったのだ。
2024/6/26
大内氏本家の分家で、代々重臣を務めた陶氏の拠点だった城。単に、「下克上して大内義隆にとってかわった陶晴賢の城」ではけっしてない。またそのような台詞を言ったら、陶晴賢を愛する地元の方々に白い目で見られる。山頂まで車で行けてしまうためとても楽。
2023/2/26
陶家の始祖・弘賢から、弘房までの流れ。富田保に移った弘政、弘長、盛政、盛長、弘正まで。初稿。