ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

鶴千代イメージ画像(仕官)

陶のくにの人々

毛利家に帰順した人々(早期組)

2025/1/27  

毛利家に帰順した家臣たちです。結局はほとんどの人が毛利家に将来を託すことになったのは当然のことですが、中でも、「いちはやく」投降し、「さっそく」手柄を立てたような人たち、もしくは、元の主への情というものが欠片も感じられない人もここです。

陶様イメージ画像

陶のくにの人々

義長政権家臣たち

2025/1/19  

『大内氏実録』で「叛逆」に入れられている家臣たちについて。抄訳しました。弘中隆兼、青景隆著、飯田興秀、阿川隆康等。組み分けが正しくないような気がしますが、初稿なので、リライト時にかわるかもしれません。

要害山山頂看板

みやじま・えりゅしおん

宮尾城

2025/1/8  

厳島合戦ゆかりの地。毛利元就が「囮城」を建てたという後世の軍記物などでお馴染みの場所。わずかに遺構もあり、城跡として見学可能。城跡内に今伊勢神社や仁王門跡などがあり、色々と楽しめる。城としてはとても低い部類だが、展望はいいのでおすすめ。

右田弘詮イメージ画像

陶のくにの人々

陶弘詮(右田弘詮) 

2025/1/1  

『吾妻鏡』の蒐集・書写で著名。現在の「吉川本吾妻鏡」である。陶家出身だが、右田家を継ぐ。後に旧姓に復した。孫は毛利家臣。

三男

陶のくにの人々

陶興房

2025/1/13  

大内義興・義隆二代に仕えた重臣。文武両道に優れ、人柄も立派な忠義の人として知られる。常に義興の傍らにあり主を支え続けた。

「塔の岡」看板前にて

みやじま・えりゅしおん

塔の岡(広島県廿日市市宮島町)

2025/1/26  

五重塔があることから、塔の岡という。古来より重要な場所だったゆえ、五重塔が建てられた。その意味で「塔よりも先に岡ありき」。は厳島合戦で、大内(陶)軍が本陣を置いたところ

若山城跡「若山城は宝物」看板

陶のくに風土記

若山城跡

2024/6/26  

大内氏本家の分家で、代々重臣を務めた陶氏の拠点だった城。単に、「下克上して大内義隆にとってかわった陶晴賢の城」ではけっしてない。またそのような台詞を言ったら、陶晴賢を愛する地元の方々に白い目で見られる。山頂まで車で行けてしまうためとても楽。

城主さま

陶のくにの人々

陶弘護 

2025/1/31  

応仁の乱で父が戦死。主・政弘不在の分国で、その伯父・教幸が起こした叛乱を見事に鎮圧。十六歳にして救国の英雄となった。

城主さま

陶のくにの人々

先祖 弘房一家以前の人々

2025/1/31  

陶家の始祖・弘賢から、弘房までの流れ。富田保に移った弘政、弘長、盛政、盛長、弘正まで。初稿。

陶様イメージ画像

陶のくにの人々

外戚

2025/1/21  

外戚。今のところ、『実録』で叛逆のところに入っていた内藤隆世さんと、同じく「附庸」中の益田藤兼さんだけです。外戚は数多いので当然、これだけじゃないよね。初稿。