義長政権家臣たち

陶様
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『大内殿家中覚書』

近藤清石先生が『大内氏実録』内に、附録として掲載した史料です。大内義長政権下の家臣一覧表の如きものです(むろん、それなり地位のある方だけ)。完璧な状態で残されていた史料であるとの明記はありませんが、こんな人物がいたらしい、ということの確認には必要にして十分です。

『大内氏実録』に伝がある人々

ミル

以下は、『大内氏実録』「叛逆」の項目を抄訳したものでしたが、ほかに記事ができたりした人は移動してしまったため、見出しだけです(引っ越し先は明記してあります)。

弘中隆兼

義隆死後、義長政権に仕えた。詳しくは、本家サイトに弘中氏の記事を作ったので、そちらをご覧ください。

僧了善

摂津国住吉の僧である。隆兼に目をかけられて付き従う。隆兼が竜馬場(=駒ヶ林)にたてこもった時、毛利氏はその地が険しくて兵が勇敢なので、力攻めすべきではないとして、降る者は一命を助ける、といった。これに誘われて、弘中備中守、同忠兵衛、糸永加賀守等十二、三人が降伏を望んで山を下った。ほかのものは備中守等が敵に降ったのを見ていつとなく逃亡し、了善ただ一人となって隆兼父子に殉じた。

江田安芸新五郎

厳島で戦死した。

『房順記』に、陶、弘中を討ったら、山中を下がるはずなのに、江田安芸新五郎が討たれていないので彼者を討とう、と、三日の夜も元就は一夜陣をすえていたとある。「□処天野紀州隆重へ江田新五討取、首到来すれば弥山下向ある」、とあるだけで、ほかにはまったく所見がないけれども、房顕の記す所を以て見るに陶、弘中につぐ兵であると思われるので、記しておく。

青景隆著

初め右京進(天文十四年九月廿一日初見)のち越後守となる (天文十八年三月九日より前) 。
長門国衆。天文十七年三月十六日、従五位下を授かる。

天文十八年九月、備後国外郡神辺・村尾の城督となる。

隆著は杉重矩と仲が悪く、重矩はまた長年陶隆房を嫌っていたので、二人を義隆に讒言した。

天文十八年正月、麻生余次郎が家人・小田村備前守を殺した事に関して、 義隆は相良武任に命じて重矩に問うところがあった。重矩は武任に隆房、隆著のことを話した。武任が己が言ったことを隆房、隆著に漏すことを畏れた重矩は、意を曲げて隆房、隆著と交り、己が嘗て讒言したことを武任の讒言にすりかえて、隆著に告げた。隆著は信じず、八月、家人・早河藤左衛門尉を遣わせて、武任に意見をきいた。武任は慮るところがあって、知らないと答えた。そこで隆著は武任を恨み、遂に重矩に心を合せて武任を隆房に讒言し、隆房を反逆させるに至った。

弘治二年、戦死 (死んだ場所不明)。

飯田興秀

初め大炊助(明応九年の御成雑掌注文に飯田小五郎の名がある。興秀の幼名だろう) 、のち石見守となる。大炊助弘秀の子である。興秀は義隆に仕え、義隆の時小座敷衆であった。

天文十九年七月十七日、従五位下を授かる。隆房に与して義長に仕えた。

飯田長秀

興秀の子。初名不明(長字は義長の偏名である)、大炊助となる。義隆に仕え、侍大将ならびに先手 衆であった。父と同じく晴賢に与みした。

天文二十年一月(二月とも)七日、従五位下を授かる。

家中覚書にはその名が見えない。二十四年より前に死んだのだろう。さて、小座敷衆に飯田小五郎があり、有名衆 には侍大将ならびに先手衆の中に見える。長秀の弟と思われる。

阿川隆康

太郎と称す。義隆に仕え、侍大将ならびに先手衆であった。義隆が法泉寺に入ると、隆康はこれに従い 本営を守った。隆康は普段から、自らを十人力があるとほこっていた。人々は皆、その最後の戦闘を想像した。二十九日、義隆は隆康に命じ 嶽山を守る冷泉隆豊等を召還した。隆康はその命を伝えてのち、山中にて甲冑を脱ぎ棄てて逃亡した。人々はこれを見てますます気がくじけてしまったという。義長に仕えて小座敷衆につらなった。

投降者

『大内氏実録』は、叛乱家臣たちを悪し様に書いています。そもそも「叛逆」などという分類が極めて偏った思想による分類です。要するに主観的すぎて、現代ならば批判されます。加えて、毛利に「帰順」した人物は好ましいという見方です。近藤先生いうところの、叛乱者と大内義長からしたら、彼らこそ裏切り者です。現状、『実録』に寄せたため、そのような分類になっていますが、今後改める予定です。叛乱家臣や義長と運命をともにしようが、毛利に帰順しようが、義長政権下で「大内家臣」だったという点は同じだからです。ですので、以下の記事も合わせてご覧いただかないと、人物が揃いません。

参考文献:『大内氏実録』

【更新履歴】20260402 改訂

ミル@周防山口館
通訳案内士、AFP、2級FP技能士
廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします。
【宮島渡海歴三十回越え】厳島神社が崇敬神社です。
【山口県某郷土史会会員】大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイト「周防山口館」を運営しています。
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