洞雲寺(廿日市)

宮島の対岸、廿日市市にある古刹。
毛利元就が、この寺院で陶隆房を弔ったとされる。
確かに供養塔は存在する。

終焉の地 厳島は毛利の島だった
宮島はいいところだ。まるまる一週間ほど滞在。
将来はここに引っ越したいなぁ、と真剣に考えた。
ただし、ここは完全に毛利家の島だね。
史跡看板にすべて家紋がついてたから。
それでも、道行く観光客の頭の中は、
毛利元就なんでどうでもいい雰囲気だった(笑)
敗れた側としても、何となく悲しかりけり

元は厳島神主家の菩提寺で、歴史と由緒のある寺。
ゆえに、貴重な文化財が多いが、何やら胸を締め付けられる場所だ……。
廿日市駅(JR、広電どっちでも)から徒歩圏内にある超有名な寺院。
来る時は、手ぶらで、時間をかけてゆっくりと回りたい。

文化財の宝庫

この寺の開祖は、陶家の菩提寺龍文寺の僧・金岡用兼である。桜尾城主であった厳島神主家・藤原氏が菩提寺として創建。
大内から毛利と主が代わり、やがて毛利家重臣・桂元澄、ついで、毛利元就の子息・元清が桜尾城代となった。彼らもまた、この寺院を菩提寺格と位置づけて保護した。
ゆえに、当寺には今に至るまで、貴重な史料が数多く残っている。
そして、藤原、桂、毛利元清らの墓があって、これらはすべて廿日市市の重要文化財に指定されている。
もちろん、見所は墓だけではない。
ただ、個人的にここへ来ると感情の爆発に耐えきれないので、すべてを見るには時間が必要。

「墓」

寺院に墓がある、極めて当たり前のことだが、この寺院にある墓はそのスケールが違う。少なくとも、戦乱だらけの時代に興味がある人は事前に良く調べて来てみる価値はあるだろう。
肝心の墓がない?
写真はほかで公開している。
厳島の戦いの後、毛利元就は隆房をこの寺で供養したという。以来、ここに、その供養塔ができた。
現存するものは、当時のままではなく、恐らくは地元の方々が整備し、史跡として大切に守り伝えて来られたのだろう。これも、ほかの著名人たちの墓同様、重要文化財となっている。
毛利側から見るか、大内側から見るかで、同じ歴史上の出来事に対する考え方も大きく変わる。
数多くの歴史好きな方々、心優しい地元の方々のように、これは普通に単なる歴史教科書に載っている人物の墓である、と拝む気分にはとてもなれない。

墓石は三段の花こう岩製と安山岩製の基壇の上に立ち、印塔自体は軟質な安山岩製である。 総高129cmで、この宝篋印塔は基礎部と塔身部がつながり、笠部も軒が厚くなるなど、各部に形式の退化したところや、また風化した跡が認められる。歴史上著名な武将の墓として貴重である
文化財説明板より

Name
今日はお隣の、広島県まで足を延ばしたよ。と言っても、ものすごく近いんだけどね。

元々は厳島神主家の菩提寺で、大内、ついで毛利両家の保護を受け大切にされた。だから、寺内には古文書のなどの貴重な史料が、数多く残されている。
それから……上にあげた人々の関係者墓所がいくつかあって、どれも廿日市市の重要文化財となっている。
アイキャッチに寺院の案内図を載せたので、参照して欲しい。

以上です。

Name
おーーい、何なんだ、この手抜きぶりは? やかましすぎるミルらしくないじゃないか。せっかく安芸国まで来たんだ。もっと詳しく説明しろよ。
Name
ごめんね。ここに来るとせんなくて、言葉が出て来なくなるんだ。大事な人のお墓らしきものがあるから……。
Name
大事な人? 誰だよ、そいつ(俺と伯父上以外に知り合いがいるなんて。それも、『大事』だなんて、気になるし、腹立つ、何なんだ、この気分は……)。
だけど、この寺って、ウリにしてるのが、墓ばっかりじゃね? それに、またしても陶晴賢って……何者なんだよ、こいつ。俺の先祖ではないよなぁ……。

正直、面白半分で行ってほしくない。僕はここに来るととてつもない既視感で頭がくらくらして、倒れそうになってしまった。
いや、単純に、駅から徒歩はけっこうキツイので、それなりに覚悟してね(荷物が多い旅行者の場合だよ)。

毛利家関連の方、単なる歴史マニア、ただの観光客の方々にとっては、見るべきものが多い、貴重な寺院様なので、どこかで荷物を預けてからゆっくりと時間をかけて訪問することを強くおススメするよ。

五郎が言うように、確かにここにはお墓が多い。
誰の? ってのは、隆房様以外どうでもいいんだけど、他の人のファンがいたら、普通にお墓なので、聖地巡礼の絶好のスポットになると思うよ。


入口は、普通に広い道路に面しているので、ぼんやりして通り過ぎちゃう人はいないと思う。先ずは、参拝順路の案内板を見ること。そうすれば、大事なものを見落とさなくてすむはず。ちなみに、スマホで撮影してそれを見ながら行くのが良いよ。

簡単に説明をしておくと、お墓だけでも、歴代住職、友田興藤、穂井田元清とその夫人、桂元澄(敬称略)のものがある。
穂井田元清は、毛利元就の四男。例によって例の如く、養子になって姓が変わってるね。彼も含めて、お墓のある人は皆、桜尾城の関係者。つまり城主だよね(城代と呼ぶけど)。

お墓以外にも、杉山赤富士さんという方の句碑(この方は、廿日市出身の俳人なんだって)があったり、井戸やら名水やら、厳島明神やらあれやこれやあるよ。
さらに、由緒ある寺社なので、文物も大量にあるらしいね。観光協会様のホームページなどで、事前に確認をしてください。

隆房様の供養塔は……。要するに、毛利元就が戦後処理をした後に、首級を埋めた場所、ってことなんだ。今、きちんと立派なお墓のようなものが建っているけども、これは、元就が作ったものそのままとは思えないね(だいたい、作ったのか?)。

Name
心優しい地元の方々の手で、きちんと供養されて来たんだね。今のようなかたちになったのも、それらの方々のお陰じゃないのかな。

ところで、この寺の開祖・金岡用兼ってひとが、実は陶家の菩提寺・龍文寺のお坊さんだったってことに、因縁めいたものを感じるね。
ただ、お寺は長享元年(1487)の創建なので、それこそ、義興様すらわずか十歳だったとき。その後のことなんて、この御坊様を含めて誰にも想像できなかっただろうね。単に、有名な御坊様だったからお願いしたんだろう。それに、厳島神主家は大内家の支配下にあったしね。

Name
え!? 神主の家の菩提寺って……? 何かが違ってるかな?……

まあ、その後あれこれすったもんだあるけど、そこらは、庭園の人たちが書き記すべきことであって、僕たちには関係ない。

2011年が生誕490年と書いてあるから、10年後、つまり、来年は500年という区切りの年にあたるんだね。何か記念行事とかあるのだろうか。
まあ、いいや。ミルはそっと心の中でお参りするよ。
いつも、きちんと供養してくださっているお寺の方々、そして、地元の方々に心から御礼申し上げます。
さて、洞雲寺についての記述は以上です。時間があったら、また残りの人のお墓とか、貴重な文化財を見るために戻って来たいな。

初出:2020年4月15日 周防山口館「陶家ゆかりの寺」改編