洞雲寺(廿日市市)

洞雲寺・基本情報

住所 〒738-0001 廿日市市佐方1071−1
電話 0829‐31-2461
最寄り駅 廿日市駅から徒歩圏
山号・寺号・本尊 応龍山・洞雲寺
宗派 曹洞宗

洞雲寺・歴史

文化財説明看板
長亨元年(1487)、厳島神主藤原教親・宗親父子創建の菩提寺。

開祖・金岡用兼は陶氏菩提寺・龍文寺の僧侶。
用兼は名僧として著名であり、これ以外にも、本山永平寺・諸伽藍の復興をしたほか、阿波国守護・大名細川成之の帰依を受け、丈六寺と桂林寺(ともに阿波国)を管轄していた。

藤原氏は代々菩提寺として、当寺院を保護し領地を寄進。大内義興が足利義材を奉じて上洛した際、藤原氏もこれに従ったが、在京中に病で亡くなった。
その後、厳島神主家の跡継ぎを巡って争いが起こると、一族の友田興藤が神主の座を奪い取る。
名前に「興」の字がついていることから分かる通り、元は大内家の配下で、裏切り行為。
興藤は桜尾城を拠点に大内氏と争ったが、ついには敗れ去った。

弘治元年(1555) 10月、厳島合戦の後、毛利元就は桜尾城で戦後処理を行った。具体的には敵軍の遺体検分。気持ち悪いので書かないが、中世における遺体検分は身体の「一部分」においてのみ行われ、要はそれが「誰のものなのか」の確認である。
その後、確認後のそれを葬ったのがこの寺院で、現在も供養塔が残っている。

大内氏、ついで毛利氏に手厚く保護されたおかげで、寺内には多くの貴重な文書類が今に伝えられることになった。

洞雲寺・みどころ

県重要文化財7点、市重要文化財7点
洞雲寺所蔵「正法眼蔵」⇒金岡用兼みずからが桂林寺で書写したもので、広島県指定重要文化財。
戦国期の古文書40通⇒広島県重要文化財
著名人の墓(すべて廿日市市重要文化財)⇒友田興藤、桂元澄、毛利元清夫妻、陶晴賢

「墓」

洞雲寺著名人の墓についての説明看板
伝陶晴賢の墓毛利元就がこの洞雲寺に葬ったという。後の人が、現在のような墓石を作って供養した。
「墓石は三段の花こう岩製と安山岩製の基壇の上に立ち、印塔自体は軟質な安山岩製である。 総高129cmで、この宝篋印塔は基礎部と塔身部がつながり、笠部も軒が厚くなるなど、各部に形式の退化したところや、また風化した跡が認められる。歴史上著名な武将の墓として貴重である。
(文化財説明板より)

上述のように、墓だけでも何基もある。
古文書類も含めみどころはたくさんあるので、十分に時間をとってゆっくり見学したい寺院である。
関係者は、正直この墓だけで力尽きるくらいの衝撃なので、できたらこれは最後にしよう。

初出:2020年4月15日 周防山口館「陶家ゆかりの寺」改編