みやじま・えりゅしおん

須屋浦神社(広島県廿日市市宮島町)

2025-01-01

須屋浦神社・本殿

宮島の浦々の神社を巡る旅。今回は「御島巡り」の「第六拝所」にあたる須屋浦神社をご案内します。「七浦・七恵比須」にもちゃんと入っており、上陸して参拝する神社さまとなります。ここまで来ると、「御島巡り」も最終盤です。最後まで張り切って参りましょう。この記事が、皆さまの素敵な旅で、何らかのお役に立てたなら嬉しく思います。(訪問回数1回)

広島県廿日市市宮島町の須屋浦神社とは?

宮島の浦々の神社のひとつで、厳島神社の末社です。「御島巡り」で八番目に赴く神社であり、「第六拝所」です。八番目なのに「第六」拝所である理由は、「七浦」に入っていない神社を数えないからです。どうして、せっかくお伺いするのに、数えないのか。本当に不思議です。七箇所しか数えないのなら、神社は七社にすればいいのに、と思いますね。

須屋浦神社では、上陸して参詣した後、直会を行ないます。

須屋浦神社・基本情報

ご鎮座地 廿日市市宮島町
御祭神 表筒男命
主な建物 社殿、鳥居
(参照:『宮島本』、建物は目視、ご鎮座地は Googlemap)

須屋浦神社・歴史と概観

「御島巡り」で上陸・参拝して「直来」を行う神社

「御島巡り」で上陸して参拝する神社は二箇所あります。杉之浦神社と青海苔浦神社です。こちら、須屋浦神社でも上陸します。

須屋浦神社の特色は、上陸し参拝して、「直会」を行なうことにあります。では、直会とはいったい何? ということですが、「なおらい」とお読みし、お供えした物をいただくこと、つまり参詣者皆で食べることをいいます。お供え物をいただくことには「身体を清める」「守護を賜る」という意味があり、神事を終えて「いつもの生活に戻れる儀式」でもあります。なお、直会をする建物のことを「直会殿」と呼びます。(参照:GoogleAI)

ご本殿の前に、立派な建物がございますが、これが直会殿なんですね。

奥ゆかしい社叢に囲まれている

浦々の神社は海上に浮かぶような形でご鎮座していたり(実際には岩の上や、海岸沿いの地に建っていますが)、砂浜に建てられていたりします。背後に宮島の緑が見える場所も多いですが、いわゆる「鎮守の森」のような樹木が広がっているのは稀です。森よりは海の神社さまが多いですので。

そんな中、この須屋浦神社は、ちょっと趣を異にしています。

須屋浦神社周辺は濃い緑の照葉樹に囲まれ、ここには「須屋浦水」があったといわれる。また浜辺には砂州が形成されハマゴウなどの塩生植物が見られる。
出典:『宮島本』

後ほど、写真を貼りますが、なるほど背後に見える樹木は、他の神社に比してかなり多く、森といってもよろしい感じです。

御祭神・表筒男命と『日本書紀』

他の浦々の神社と同じく、須屋浦神社の御祭神も表筒男命という海の神さまです。山白浜神社のところで、『古事記』を引用し、鷹巣浦神社のところで、その解説文から住吉神社の神々ついて知りました。表筒男命も住吉神社の御祭神の一柱です。

そこには、「底箇之男命、中箇之男命、上箇之男命三柱の神は、墨江の三前の大神なり」とあったはずですが、この中には、表筒男命なる神さまのお名前はありません。神さまのお名前は、同じ神さまでも、色々とお呼びすると習ってはおりますが、何となく似て非なるものように思われます。「底」「中」「上」なので、表ならば「上」と=と勝手に想像したりしますが。

このように表記が揺れるのはなぜなのでしょうか。『古事記』を離れ、『日本書紀』を覗いてみました。

(伊奘諾尊は)また海の底に沈んで身をすすがれた。これによって生まれた神を名づけて底津少童命と申し上げる。つぎが底筒男命である。また潮の中にもぐって身体をすすがれた。これによって生まれた神を名づけて中津少童命と申し上げる。つぎが中筒男命である。また潮の上に浮かんで身をすすがれた。これによって生まれた神を名づけて表津少童命と申し上げる。つぎが表筒男命である。合計九はしらの神である。このうちの、底筒男命・中筒男命・表筒男命が、すなわち住吉大神である。

出典:井上光貞. 日本書紀(上) (中公文庫) . Chuokoron-shinsha,Inc.. Kindle 版.

なんと。『古事記』と『日本書紀』では、神さまのお名前が違います。こちらには、きちんと須屋浦神社の御祭神「表筒男命」さまがそのままのお名前で出ているではありませんか。これまで、○○神は△△神ともお呼びするため、同一の神さまです云々と書いてきました。よく見ると、『宮島本』に書いてくださってある御祭神は、すべて『日本書紀』による表記であったことに気付きます。

底津少童命(杉之浦神社 )、底筒男命(鷹巣浦神社)、中津少童命(腰少浦神社)、中筒男命(青海苔浦神社)、表津少童命(山白浜神社)、表筒男命(須屋浦神社)となっているのです。これらの御祭神はすべて、『日本書紀』の記述と一致しており、しかも、この引用部分に出てくる神さま方すべてが、浦々の神社にお祀りされているということがわかります。

上述の神社はすべて「七浦」に含まれています。全部で六社しかありませんが、『日本書紀』引用箇所、つまり、伊弉冉神が禊を行なった際に生まれ出た神さまのうち、海の神さまとされている六柱の神さまをお祀りした六社に、厳島神社の御祭神である、宗像三女神をお祀りする御床神社を合せた七社が「七浦」ということになります。同じ浦々の神社の中にも、「七浦」に含まれない神社があることが謎でしたが、こんなところに理由があるのかも知れません。本来なら、海の神さまをお祀りするのは六社で足りますが、厳島神社の御祭神となっている女神さまたちは別格です。それゆえに、御床神社を加えて「七浦」とお呼びするのかもしれません。

須屋浦神社・みどころ

『宮島本』に書かれていたことがすべてです。背後の森、手前の浜、いずれも麗しいお姿です。なお、ご本殿の前に、直会を行なう場所と思しき建物があることも特徴です。

照葉樹の森

須屋浦神社・社叢

『宮島本』にある照葉樹に囲まれているというのは、これらの樹木でしょう。遠くから見ると良く分かりますが、ほかの浦々の神社で背後がこのような深い森となっているところはありませんでした。上陸してお参りする神社ながら、背後にこのような森があることから、陸地から訪れることは無理そうなことがわかります。

砂州

須屋浦神社・浜

背後は森ですが、手前は浜。『宮島本』にあるハマゴウというのがどれなのか、植物がわからないため不明です。しかし、上の写真のように、背後に森が迫っているのを見るとご鎮座地は狭いように見えてしまいますが、とんでもない。このように、手前の浜も十分に広いのです。

度会殿

浦々の神社・須屋浦神社

一瞬拝殿かと思ったのですが、こんな風に、ご本殿の前に縦に配置されているのも奇妙です。どうやらこれが、皆さまがお供えをいただく場所、つまり直会をする場所なのではなかろうかと思われます。

本殿

浦々の神社・須屋浦神社

直会殿を突き進んで行くと、ご本殿がございます。規模やお姿は、ほかの浦々の神社と同じです。背後に見える木々が奥行きを感じさせ、この写真だけ見ていると海の神社であることを忘れてしまいます。

須屋浦神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 廿日市市宮島町
※Googlemap には、珍しく須屋浦は載っていても、須屋浦神社がありませんでした。あくまで、この辺りという地図しか載せることができません。また、住所が分からないことは、他の浦々の神社も同じです。住所表記を参考に向かう場所でもありませんから、すべて「廿日市市宮島町」とするしかありません。

アクセス

海上からしかご参詣できません。宮島観光協会さまの観光船などに乗りましょう。なお、観光協会さま以外でも貸切り船で浦々の神社を回る企画はございます。ほかの観光客の方々とご一緒ではなく、親しい仲間や家族などのグループで船を出してもらえますし、どこに上陸するかなども自由に決めることができます。しかし、当然のことながら、オーダーメイドの貸切り船舶となり、非常に高額です。逆に言えば、資産に余裕がある方々であれば、いつでも好きなときにご参詣できるということにもなりますが。

参照文献:『宮島本』、『日本書記』(現代語訳)

須屋浦神社(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想

須屋浦神社(廿日市市宮島町)・まとめ

  1. 厳島神社の末社。浦々の神社に属し、「七浦」のひとつでもある
  2. 「御島巡り」では、八番目に訪れる「第六拝所」で、上陸して参拝した後、お供えをいただく(直会)
  3. 背後は照葉樹の森、手前は広い浜となっており、奥ゆかしい雰囲気
  4. 直会が行なわれる広い建物が、ひときわ目を引く
  5. 御祭神は表筒男命で、住吉の神の一柱。六番目の拝所まで来て気付いたのは、浦々の神社の御祭神はすべて、『日本書紀』表記の海の神々であること。それに厳島神社の御祭神をお祀りした御床神社を加えた七社が「七浦七恵比須」であるという法則性もわかった。つまりは、浦々の神社を巡ると、いわゆる「海の神さま」の多くにすべてお参り可能であるということ
  6. 「御島巡り」もここまで来ると、後は最後の御床神社を残すだけとなり、最終盤である

神さまのお名前は分かりづらく、なんとお読みするのか分からない上に、覚えられません。浦々の神社にお祀りされている神さまについてもその事情は変りません。また、同じ神さまなのに、いくつもの呼び方をする例も普通にありますから、ますます事態を複雑化しております。

順番に御祭神を調べていくなどということは、これまでやったことがなかったのですが、浦々の神社の神さま方は、どことなくお名前が似通っていることから、何らかの法則性がありそうだなぁとぼんやりと考えていました。すると、『古事記』『日本書紀』で黄泉の国から戻った伊弉諾が禊を行なった際に生まれた神さまが大勢いらっしゃることに気付きました。六番目の拝所にして漸く気が付くとは、あまりにもトロい話ですが。何事も、調べてみることは大切だなと感じた次第です。

須屋浦神社は「御島巡り」も終盤という参拝経路にあたりますが、じつは、執筆者の浦々の神社を巡る旅では、二番目に赴いたのがこちらでした。ちょうど、「御島巡り」とは真逆の順番で回ったのです。出発点が、大野浦であったことから、一番近いところから順番に回っていたら、反対になったのです。「御島巡り」をするわけでもなく、単に浦々の神社をすべて見てみたいという思いから始まったことだったので、まったく気にしておりません。むしろ、皆さまとは反対の行き方をした、という点が珍しく貴重なのではないかな、と思うほどです。

直会については、ほかのところでも調べた記憶がありますので、お供え物を食べるんだとすぐにわかりました。一見すると拝殿かなと思われる建物が、なぜか本殿に向かって縦に設置されているのが謎でしたが、拝殿ではなくして、直会用のいわばお食事をいただく場所だったのですね。妙に納得しました。どうやら立派な拝殿が併設されているのは、上陸してお祓いをするところだけだと分かりました。こちらでは、お祓いはしませんものね。

こんな方におすすめ

  • 浦々の神社を極めたい方
  • 厳島神社の摂社・末社を極めたい方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

ふはぁ、ここに来たら満腹になれるんだね。俺たちは何も食べれなかったけど。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

お供えをいただくことも、立派な行事のひとつだからね。青海苔浦神社でおにぎり食べてしまったことあるけど。

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

そういえばそうだった。もちろん、ゴミはきちんと持ち帰り、神社さまにご無礼にあたるような場所では食べなかったよ。あの時は、大好きなガイドさんがご一緒だったから。懐かしいな。

ミル吹き出し用イメージ画像(笑顔)
ミル

須屋浦神社にご参詣した日は、塔の岡茶屋さんで、ちから餅をいただいたんだったね。思い出したらお腹空いてきちゃったかも。

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

俺の前でちから餅の話をするなよ。食べたくなり過ぎて困るじゃないか。また食べたいね。来るたびに食べているんだけど。

腰少浦神社付近での記念写真
みやじま・えりゅしおん

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ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

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