

ここでは婚姻関係で身内になった人たちを扱っているよ。少しずつ追加していくので、そのつもりでね。
内藤隆世
「内藤氏」として、記事を引っ越しました。
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内藤氏 藤原道長の子孫・大内氏重臣の家なのに毛利家臣に
藤原道長の子孫が周防国に流れ着いて、地元の女性と結婚。住み着いた。天皇から内藤氏を下賜されたという。盛見代から正式に家臣となり、代々家中で重 ...
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内藤さんの一族には、最初から毛利家と親しくしていた人たちもいて、身内の中でも意見が対立していたの。毛利家に仕えた人たちについては別のページに書くよ。
益田氏
メモ
益田氏:始祖は関白藤原忠平九代孫・国兼。国兼の曽孫・兼高が鎌倉御家人となって石見押領使として土着。南北朝期以降から活躍。七尾城本拠に益田周辺を支配した。
永久年間、石見国一宮に下向し御神本(みかもと)と称した。益田兼恒が初めて美濃郡益田に移り、御神本を改めて益田氏となる。八代越中守兼見(兼恒七世孫)から大内氏に従った。
藤原忠平‥‥国兼‥‥兼恒‥‥兼見 ⇒ 兼理(兼見曽孫)⇒ 兼堯 ⇒ 宗兼 ⇒ 尹兼 ⇒ 藤兼 ⇒ 元祥
陶家との関係:兼堯の娘 ⇒ 弘護室、陶家の娘 ⇒ 宗兼室

益田さんたちとの婚姻関係は、これだけではないと思うの。現在、調査中。『実録』に載っていたのはココまでです。
益田氏についての記事は、以下に引っ越ししました。
※この記事はサイトの統廃合により、別ドメインから移されました。
元ドメイン公開日:2022年3月26日 1:39 PM

我らの外戚として、もっとも親密だったのは石見の益田氏だが、今はまだその辺りがまとめられていないようだな。