ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

龍豊寺・入口案内看板

陶のくに風土記

龍豊寺(周南市大道理)

2024/6/26  

山口県周南市にある曹洞宗寺院。陶弘護夫人・龍豊院咲山妙听(益田氏)が夫の菩提を弔うために建てた寺院。夫人の墓があるほか、最近建てられた弘護供養塔もある。国指定重要文化財に指定されている「絹本著色陶弘護像」が発見されたことで有名。

山崎八幡宮・年中行事看板

陶のくに風土記

山崎八幡宮(周南市宮野の前)

2024/6/26  

山口県周南市にある八幡宮。陶氏の地元の神社として、歴代当主たちの信仰厚かった。徳山毛利家にも大切にされ、毎年山車や連歌の奉納が行なわれた。山車の奉納は、現在も本山神事として、山口県指定文化財ともなっており、たいへん有名な行事となっている。

龍文寺「陶氏墓所」

陶のくに風土記

龍文寺(周南市長穂門前)

2025/7/22  

大内氏重臣・陶一門の菩提寺だったが、滅亡後も毛利家の手厚い保護を受け、現代に至る。「扶桑第二の吉祥山」といわれる西国最大級の曹洞宗大寺院であったが、明治時代の火災によって伽藍や寺宝を失い、当時の面影を失ってしまったことが惜しまれる。

勝栄寺・文化財説明看板

陶のくに風土記

勝栄寺(周南市中央町)

2024/6/26  

南北朝期、陶弘政によって創建された寺院。防御的要素が強かったといわれる中世寺院の姿を今に伝える当時の土塁跡が残る。また、文化財として、勝栄寺板塀も有名。毛利元就が「三本の矢」教訓状を書いた場所としても知られる。豊臣秀吉も駐留したことがある。

海印寺「陶興明・陶興昌」供養塔説明看板

陶のくに風土記

海印寺(周南市下上横矢)

2024/6/26  

曹洞宗寺院。陶弘賢の菩提寺であることは確実と思われるが、大内輝弘の乱で伽藍とともに古記録類を焼失してしまい、詳細は不明。文化財指定を受けている秘仏・五智如来のほか、陶興昌、興明の供養塔が安置されている。

建咲院・由緒説明看板

陶のくに風土記

建咲院 

2024/6/26  

陶興房が両親のために建立した寺院。毛利元就寄進建咲院什物で有名。徳山毛利家歴代ゆかりの寺院。「建咲院の板碑」や興房の墓もある。大内弘世が制定した周防国観音霊場三十三ヶ所の十八番札所。

正護寺由緒説明看板

陶のくに風土記

正護寺(山口市陶)

2024/6/26  

陶氏の名字の地。富田に移るまでのわずかな期間だがここに居館があり、本拠地だった。陶晴賢分骨塔があるほか、明治維新の志士・富永有隣&最後の小郡代官・北川清助の菩提寺、脱隊兵士駐留所と、近代の史跡もある。木造薬師如来坐像は山口県指定有形文化財。

妙寿院・入口

陶のくに風土記

大幻院(現妙寿院・山口市徳地)

2025/7/24  

元々は陶興房開基の曹洞宗寺院・大幻院で、興房の宝篋印塔もある。のちに、毛利家臣・内藤隆春が姉・妙寿院(毛利隆元夫人)の位牌を安置したことから改名された。重源上人自作といわれる「三重宝塔版木」が県指定有形文化財になっている。

宮内天王社・拝殿と石柱

はつかいち町歩き

宮内天王社(廿日市市宮内)

2024/11/14  

起源は神武天皇の東征まで遡るという。明治期、付近の神社を合祀して八坂神社となるも、氏子の方々の希望で慣れ親しんだ旧名にもどった。

洞雲寺・寺号碑

はつかいち町歩き

洞雲寺(廿日市市佐方)

2024/10/1  

広島県廿日市市の曹洞宗寺院。藤原姓厳島神主家が、金岡用兼を招いて建立した菩提寺。友田興藤、桂元澄、毛利元就の四男・元清夫妻、陶晴賢など著名人の墓、金岡用兼ゆかりの品や、厳島神主家や毛利家にかかわる「洞雲寺文書」など貴重な文化財が多数ある。