広島県廿日市市宮島町の荒胡子神社とは?
宮島にある厳島神社の末社のひとつです。厳島神社からほど近い場所に位置し、宮島観光に訪れた方は必ず目にしているはずです。
創建年代不明、現在の社殿は嘉吉元年(1441)の再建物とされています。しかし、その前身は本社祓殿間にあった小社であったと考えられ、だとすると平安時代創建となります。
朱色の社殿がメインの厳島神社末社の中にあって、色や形がほかの神社と異なっている点が最大の特徴です。背後には五重塔と千畳閣が並び立ち、写真撮影にももってこいの神社さまです。
荒胡子神社・基本情報
ご鎮座地 〒739-0588 廿日市市宮島町1-1
御祭神 素戔嗚尊、事代主神
主な建物 本殿、拝殿、鳥居
主な祭典 例祭(十一月二十日)
(参照:現地案内看板、『宮島本』、『広島県神社誌』)
荒胡子神社・歴史と概観
創建は本社と同じく平安時代と思われる
厳島神社の末社となっている神社の多くが、現地案内看板などによれば「創建年代不明」となっています。その例に漏れず、荒胡子神社もその創建年代は分かっていません。しかし、嘉吉元年に再建されたことは明らかなようでして、現地案内版にもそのように書かれております。
嘉吉元年(1441)もかなり昔のお話となりますので、その時に再建された本殿が現在に至るまでそのままのお姿であったならば、極めて貴重なものとなります。むろん、重要文化財指定を受けています。
とは申せ、創建年代不明というのも悲しいことでして、いったいいつの頃からご鎮座なさっていたのだろうととても気になります。嘉吉年代に再建されたのも、経年劣化によるものなのか、火災や自然災害によるものなのか、できれば知りたいですよね。
『広島県神社誌』を拝見しておりましたところ、神社の創建年代について言及されておりました。
仁安三年(一一六八)の「佐伯景弘解」に「祓殿間同小社一宇、号江比須」とあるのが、この神社の前身であると思われるので、創建は平安時代に遡るものと考えられる。
出典:『広島県神社誌』
「佐伯景弘解」というのは、地御前神社のところで出て来た「神社造営申請書」のようなもののことです。それによれば、本社祓殿のところに「江比須」という小さな社を建てますよ、ということが書かれていたというわけです。字が違ってはいますが、「江比須」=「惠比須」=「胡子」となり、確かに荒胡子神社とゆかりがありそうです。というよりも、『神社誌』にそのように書かれておりますので、この小社が現在の荒胡子神社の前身であることは疑いありません。
本社祓殿のところにあった小社が、今はなぜ、本社からはみ出して現在の場所にあるのかは不明です。しかし、神社の歴史的変遷についても、『神社誌』に詳しいです。それによれば、神仏習合の時代、荒胡子神社は、大願寺のそのまた子院金剛院という寺の鎮守となっていた模様です。それが、明治時代の神仏分離によって引き剥がされ、三翁神社に合併されてしまいました。しかし、その後明治十五年に合併されていたものを再び分離して独立した神社とし、現代に至ります。合併されていたのを元に戻した際に、厳島神社の末社となりました。
祓殿から離れて大願寺の鎮守となった経緯だけが分かりませんが、ほかにもどこかで言及されているかもしれず、今後も探し続けます。
厳島神社末社のなかで独特の社殿建築
一見すると、どこにでもある普通の神社建築ですが、いくつか、この神社独特の特徴があります。
一、本漆朱塗りの本殿
二、極彩色の蟇股
三、千木と勝男木
詳細については、みどころのところで、写真を見ながら説明します。この神社「独特」などと書いてしまいましたが、実際には日本全国の神社で、これら三つの特徴のどれかにあてはまる社殿は数え切れないでしょう。しかし、「厳島神社の末社である」という点に重点を置いて考えた場合、途端に「独特」の意味合いが色濃くなります。
そのことを心の片隅に置いていただいた上で参拝なさると、荒胡子神社の特別感がくっきりするのではないかなと思います。
荒胡子神社・みどころ
厳島神社からほど近く、五重塔の下にあるという最高のロケーションと、末社巡りの中で異彩を放っている独特の建築様式。これだけでも、ご参拝しない理由が見つかりません。
鳥居
重厚感のある立派な石鳥居です。背後に五重塔がチラ見えています。
拝殿
拝殿とその前に灯籠が二基。社殿には確かに年代モノの趣が感じられます。
「重要文化財
荒胡子神社
御祭神 素戔嗚尊
事代主神
例祭日 十一月二十日
御由緒 御鎮座の年月不詳
現在の本殿は嘉吉元年
(一四四一)に造営されたものである」
(案内看板説明文)
本殿
ご本殿は拝殿の背後に隠されており、やや遠い所からそのお姿を拝めるだけのものです。でも、脇に回ると実は見えてしまうことが多いんです。もちろん、真正面からのお姿は見えませんが。
脇から拝見すると、ご本殿とのつながりもよくわかります。「本漆朱塗り」についても、よくわかりました。厳島神社ゆかりの建物は大鳥居から五重塔まで、なんでも朱色ですが、こちらの本殿だけは朱色ではないのです。とはいっても、朱色っぽい色には見えますので、違いが見分けにくいのですが、経年劣化で色が変ったなどという無礼なことではなく、最初から色が違うのです。
『宮島本』によりますと、「漆に朱色をまぜた本朱漆塗り」というのだそうです。そういえば、神社の本殿の色など、あまり気にかけていませんでした。というより、ご本殿はそもそも正面から見えるわけではないので、脇からチラリとお姿が見えるだけの建物です。にしても、この神社以外はすべて朱色(丹塗り)だらけの厳島神社なので、ちょっと珍しいことです。
蟇股
緑枠内が極彩色の蟇股です。極彩色の火焰宝珠を唐草で包んである、ということなんですが、これ以上の拡大はできないので、今ひとつはっきりとはわかりません。望遠鏡をもっていない方は、『宮島本』などでご覧くださいませ。
千木と勝男木
千木と勝男木。いずれも、神社建築には珍しくないものです。緑枠内の黄色い部分が勝男木でそれではなく、X字型に交差しているものが千木です。そういや、こういうの、神社の屋根についていたっけ、と思うのですが、その通りです。ですけど、なんと、厳島神社摂社・末社の中で、屋根にこれらがついている社殿はこの荒胡子神社だけなのです。なんとも貴重な存在の神社さまでした。
荒胡子神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒739-0588 廿日市市宮島町1-1
※『広島県神社誌』にあった住所です。
アクセス
厳島神社へ向かう参道を進み、入口から神社には入らずにそのまま進むと左手に荒胡子神社が見えてきます(厳島神社御文庫の隣です)。
参照文献:『広島県神社誌』、『宮島本』、現地案内看板
荒胡子神社(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想
荒胡子神社(廿日市市宮島町)・まとめ
- 厳島神社の末社のひとつ
- 現在の社殿は嘉吉元年(1441)に再建されたものであるが、それでも数百年も前の貴重な建築物であるから、重要文化財指定を受けている
- 『広島県神社誌』によれば、この神社の前身となったのは、「本社祓殿間の小社」で「江比須」と呼ばれていた建物。その典拠は「佐伯景弘解」(仁安三年、1168)であり、景弘と平清盛が本社を現在のような美しい社殿として再建した平安時代のことになる
- 経緯は不明ながら(執筆者の調査が追いついていない)、その後、この小社は大願寺子院の鎮守となっていた
- 明治時代の神仏分離によって大願寺子院と切り離され、三翁神社に合祀されていたが、その後明治十五年に元に戻され厳島神社の末社となった
宮島に来たら厳島神社、余裕があればロープーウエイで弥山というのが定番。そこだけで満福になれてしまうというのも事実です。時間のない観光客はいそいそと次の目的地に向かいますので、意外にも脇を通り過ぎながら貴重なものを見落としていることがあります。荒胡子神社は、厳島神社に参詣した方ならば、必ず通る道なりにございます。その意味では、見落としはなさそうです。でも、神社巡りが趣味ではない方からしたら、あまり関心がないため、見えていてもそのまま通過してしまうことはありそうです。
一応参拝したし、写真も撮っていた! となっても、こちらが厳島神社末社の中であれこれと特別であるということは、気付きにくいかも知れません。神社建築などに詳しい方ならば、すぐにお分かりになることも、我々素人にはよく分りませんので、普通に末社のひとつであるふむふむで終わりそうです。そして、楽しみ方はいろいろですので、それで全く問題ないと思うのです。
『宮島本』で千木? 勝男木? と言われても……。というような具合でして、調査のために再度訪問し、なるほどと確認して帰宅するまでには数年かかりました。女神さまをお祀りする厳島神社なだけに、勇壮な雰囲気でその名も勝男木である建築様式は似合わないからかなぁ。などとぼんやりと考えています。神社建築も奥が深いなと感じた次第です。そんなことはどうでもいいので、という方も、嘉吉元年の建物、かなりの年代モノという点に惹かれたならば、ぜひまじまじとご覧になってくださいませ。
こんな方におすすめ
- 厳島神社の摂社・末社を極めたい方
- 神社巡りがお好きな方
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
確かに、なんかとんがってて、女神さまのイメージとはちょっと違うね。それに色違いというのも、かなりの衝撃。御山神社を愛する俺としては……
ふん。男の子は女神さまの神社が大好きだよね、どーせね。市杵島姫命さまは絶世の美女だしね。
人の話を途中で遮るなんて、無礼じゃないか。なんだか男らしくてかっこいい神社だね、と言おうとしていたのに。
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みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
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厳島神社境外摂社&末社
世界文化遺産・厳島神社の摂社・末社合計二十五社の一覧表。摂社、末社、外宮、境内社などの用語解説。三翁神社についての説明と、そのほかのすべての神社への歴史、観光情報、所在地アクセスについてがわかるページへのリンクを掲載。
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※この記事は、20241016 厳島神社境外摂社&末社という記事の中にあった「荒胡子神社」に関する部分を加筆修正して独立させたものです。