白崎八幡宮(山口県岩国市今津町)

山口県岩国市今津町の白崎八幡宮とは?
大内氏重臣だった弘中氏ゆかりの神社です。創建は鎌倉時代(建長二年、1250)に遡ります。当地の領主だった清縄左衛門尉良兼という人が、遠石八幡宮の神さまをお祀りしたのが最初です。南北朝期に、子孫の弘中堂内兼胤が現在地に社殿を造営しました。その後、代々弘中氏が大宮司を務めていましたが、弘中隆兼が厳島合戦で亡くなった後は、今地と改姓した孫・良房が宮司職を継ぎました。
江戸時代に入ると、初代・吉川広家を始め、歴代当主にも篤く信仰されました。現在に至るまで多くの人々の崇敬を受ける八幡宮さまです。
白崎八幡宮・基本情報
ご鎮座地 〒740-0017 山口県岩国市今津町6丁目12−23
ご祭神 応神天皇、仲哀天皇、神功皇后、配祀神:竹内宿祢命、埴安姫命、事代主命、素戔嗚尊、菅原道真公、五男神、大山祇命、金山彦命、少童神
主な建物 拝殿、本殿、神楽殿、十二支石像、参集殿、車祓所、白崎メモリアルコート、駐車場
主な祭典 例祭:十月第二日曜日、春祭:四月第一日曜日
境内社 住吉神社、粟嶌神社、猿田彦神社、稲荷神社、白蛇神社、剣神社、恵比寿神社、亀石神社、弁天神社、三宝荒神社、銭亀かえる、荒神社、白崎鎮守社、オートバイ神社
公式ホームページ あり(GoogleMAP ご参照ください)
※開門・閉門時間はないため、終日参拝可能。ただし、窓口は9:00~17:00まで、祈願希望の場合は16:00まで(20260312 公式 HP 確認)
(参照:神社さまご由緒看板、境内案内図看板、公式ホームページ)
境内案内図

白崎八幡宮・歴史と概観
創建者は「鎮守府将軍・源頼義ノ曾孫」
本殿前に以下の看板がございます。これが、この神社さまを創建なさったお方であり、そのご身分が、源頼義曾孫・源良兼というお方であることがわかります。そして、「旧岩国十七ヶ庄領主」というご身分であったことも。

そして、源良兼さまから百年あまり後、源兼胤さま代に、現在地に社殿が建立されました。以後、連綿と現在に至るまで、地元の方々に広く信仰されている神社さまです。
ちなみに、源義兼さまについて調べると、白崎神社さまを創建なさったお方と出てきてしまうため、源氏の系図でどうなっているのかについてははっきりとしたことがわかりませんでした。源頼義は当然出て来ます。ただし、その曾孫となるとややこしくなり、このためだけに膨大な時間をかけて調査するのは現状困難でした。三親等ですから、容易いように感じますが、普通に考えて、祖父母まではわかっても曾祖父母の生前に会ったことがある方は少ないと思います。ご両親が、その祖父母について思い出語りをする中でぼんやりと記憶に残るか、古いアルバムに写真が残っている感じでしょうか。この辺り、諸事情お察しくださいますと幸いです。
弘中隆兼ゆかりの神社
弘中隆兼さんは大内氏、毛利氏双方の関係者から慕われており、現在も大変に人気あるお方です。そのためか、白崎八幡宮さまを「弘中さんの神社」とお呼びする方もおられるほどです。実際、執筆者と友人もご参詣前のスケジュール調整と当日の参拝順決定にあたり「弘中さん神社」とお呼びしていました。ご無礼にあたりましたら、お詫びいたします。ただし、神社さま公式のホームページでも、「弘中三河守ゆかりの神社」と明記されておられます。=「弘中さん神社」とお呼びしてよいのかどうかは別問題ですが。
さて、さきほど、神社の創健者が、源頼義曾孫・良兼さまとご紹介しましたが、良兼さまは「清縄良兼」と名乗っておられました。それが、現在地に社殿を遷した兼胤さま代には、「弘中兼胤」と名乗っておられます。つまり、どなたの代にかまでは不明なものの、ある時点で「弘中」と姓を改められたのです。そして、その後は代々「弘中氏」が大宮司職を奉仕なさっていました。
その「弘中氏が代々大宮司職を奉仕」が弘中姓から今地姓の方に変更されたのが、厳島の合戦で、弘中隆兼さんが亡くなられた後のことです。変更されたといっても、源良兼さま以来の血統が失われたわけではありません。弘中から今地へと改姓なさったのです。
弘中隆兼さんが厳島合戦の前に、狭い厳島に渡海することの愚かさを主張したけれども、受け入れられず……という逸話は有名です。最近は厳島合戦についても様々な新しいご研究が出て来ておりますから、大内義長&叛乱家臣政権には、さほどの大軍は動員できなかったなどという新説もあります。これらについては、別の箇所で整理することとしますが、逸話はどうあれ、自らの意見が取り入れられないという不本意な状況ながら、与えられた任務はしっかりと完遂するという義理堅さが弘中さんというお方が今に至るまで多くの人に愛されている尊敬すべき点だと考えています。
このようないわゆる「忠臣」タイプのお方は歴史上数多いですし、それぞれに根強いファンがついておられます。ただし、執筆者が調査している範囲内では弘中さんと冷泉隆豊さんがその筆頭ですね。冷泉さんについては、お隣広島県にお伺いしても反応はほぼないですが、弘中さんの場合は、厳島で亡くなっておられるため、広島県の方々にもファンが多いです。特に宮島関係者には。終焉の地・駒ヶ林をご存じない方はおられませんから。
さて、弘中さんに関する逸話では、ご本人が「負け戦」になることを予感しつつも全力を尽したことに感動の涙となります。さらには、出陣前に奥方さまなどにこれが今生の別れとなるかもと伝えておられたことがまた、悲哀を増幅させます。けれども、たとえ「大勝利疑いなし」の合戦であったとしても、勝敗は時の運という部分もあります。何が起こるかわかりません。武士たる者、常に心の準備を万端にして戦場に臨んでおられたでしょう。
弘中隆兼さん亡き後の、弘中氏は寺院に入っていた弟さんが継承し、毛利家臣となったことが知られています。そして、白崎神社のことについても事前に遺言を残されていたようです。それに従い、お孫さんにあたる良房さんが宮司職を承継されました。この辺りの事情は、神社さまの公式ホームページに詳しいです。その際に、弘中から「今地」と姓を改められ、その後現在に至るまで今地さまが務められています。
なお、境内社「白崎鎮守社」には、創建者から弘中隆兼さんに至るまでの弘中姓大宮司さま方の霊がお祀りされています。なるほど、弘中隆兼さんを崇敬する方々がこちらの神社さまに参拝なさるわけです。

近世以降
大内氏の時代が終わり、防長の地は毛利家の支配領国となりました。白崎八幡宮さまに関しては、それによって廃れるようなことは一切なく、岩国を治めた吉川弘家さん以下、吉川家歴代当主からも篤く崇敬され、社殿の修築・改築なども行なわれました。
近現代になってもそれは変らず、参道の整備、車道の取り付けなどの工事が行なわれたほか、本殿屋根の修築なども実施されてきました。これらについては、神社さまホームページはもちろん、神社庁さまの『山口県神社誌』などに詳しいです。一般観光客的には、神社さま御由緒看板で確認すれば必要にして十分です。

- 建長二年(1250) 清縄左衛門尉良兼は、「遠石八幡宮の神が白鷺と化して室木に垂跡し給う」ことを知り、「氏族の繁栄と領内安民守護の神」として「今津琵琶首に八幡宮を創建奉斎」
- 貞和四年(1348) 弘中堂内源兼胤が、現在地に社殿を造営し、社領を寄進
- 明応五年(1496) 本殿が兵火により被害を受ける
- 明応七年(1498) 宝殿修築
- 文亀三年(1503) 弘中左衛門尉弘信が舞殿、籠所等を再建
- 永正八年(1511) 楼門建立
- 弘治元年(1555) 弘中隆兼が厳島で戦死、のち、孫・今地良房が宮司職承継
- 慶長十六年(1611) 吉川広家が社殿を再建。社領寄進、武運長久祈願
- 元和、万治、天和、宝永、寛政の五回、藩主による修改築が行われた
年代等典拠:現地案内看板、『山口県神社誌』
白崎八幡宮・みどころ
弘中隆兼さんのファンならば、どこを見ても感動しまくりでしょう。拝殿・本殿が立派であることはもちろん、境内社の数が極めて多いことにもびっくりです。「十二支石像」とあわせて横並びにずらっと並ぶさまは圧巻です。
鳥居

駐車場から入った方は、この鳥居と参道入口を見落としますので、徒歩でいったん戻る必要がございます。
手水舎

普通に手水舎なんですが、この写真向かって左に「御神水」があったり、背後にも注連縄付きの曰くありげな岩が置かれていたり、ほかにも亀が置いてあったりと色々です。参拝前に手を清めつつ、隅々ご覧ください。なお、かつて鐘つき堂もあったらしい境内図が『神社誌』には載っており、それらしき鐘もここに置いてありました。
拝殿

「必勝」の文字が目を引きます。様々なご利益があるのですが、受験生やスポーツ選手ならばこの二文字に心惹かれますよね。

脇からもご無礼します。ご本殿のお姿がちょっと拝めます。
境内社

ご覧の通り、ものすごい数の境内社です。向かって右側にそれぞれのお社の解説が丁寧に書いてくださっており、何の神社さまなのかわからない、ということにはなりません。たいへん助かります。
境内社・銭亀かえる

案内看板によれば、ご神徳は「金銀融通」。「亀の甲羅は小判の原形」「蛙はかえる」でさまざまなよいことがかえるとか。お金絡みだと俄然崇拝したくなります。
境内社・劔神社

ご祭神は武甕槌大神(建御雷大神)。「劔と雷を自在に駆使し八百萬の神々のうちで最も強靱な勝利の大神」と解説が書かれています。ご神徳も大量にありますが、「勝利」の二文字で十分ですね。向かって左が住吉神社、右が稲荷神社です。
境内社・白蛇神社

岩国なだけに、シロヘビの館などを思い出します。ご祭神は白蛇大神(宇賀御魂神)。「宇賀御魂神は弁財天などと同じ佛説に因れる神名で古来より稲魂を掌られる福徳の神様です」「この神様の使いが白蛇様であると云われ」「財宝守護神」としてお祀りしておられるそうです。ご神徳に財力、金運云々とあり、これまたお金関係ですから、俄然崇拝したくなります。
なお、「白蛇社といえば巳成金」とあり、「1体1,000円」で小判を買って奉納します。なんかご利益がすごそうですね。
十二支石像


十二支の動物たちすべての石像がずらっと並んでいます。それぞれに、「○年生まれの人」として、その性格や運勢を解説してくださっています。自らのものにあてはまるところを熟読するのも楽しいです。ちなみに、悪いことは書かれていないため、自分は最高! って思えます。敢えて読みませんでしたが、友人のそれは、かなり「当ってました」。
オートバイ神社(境内社)

「オートバイ神社!?」ってなりましたが、これ、全国各地にけっこうあるようです。友人曰く。ご祭神は品陀和氣命。「日本二輪車文化協会認定 第二十四号 オートバイ神社」と看板にあります。ご神徳は特に明記されておりませんが、「交通安全」と書かれていますし、その通りでしょう。なお、これも歴とした境内社です。
白崎神社(山口県岩国市今津町)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒740-0017 山口県岩国市今津町6丁目12−23
アクセス
岩国駅からはバス利用(バス停からは徒歩2分)、錦帯橋、岩国空港からはそれぞれ車で10分圏内という公式アナウンスです。素直にタクシーがいいのかなと思われます。参拝後に錦帯橋などを見て帰るのも最高! というイメージです。やたらに参拝に時間がかかる方以外は、タクシーにお待ちいだたいてそのままが楽に思えます。
参考文献:白崎八幡宮さま公式ホームページ、現地案内看板、『山口県神社誌』
白崎神社(山口県岩国市今津町)について:まとめ & 感想
- 創建は鎌倉時代、建長二年(1250)。清縄左衛門尉良兼が遠石八幡宮の神さまが白鷺に姿をかえて現われたのをお祀りしたことが始まり
- なお、清縄左衛門尉良兼は源頼義の曾孫と伝えられている
- 創建から100年余後、弘中堂内源兼胤が、現在地に社殿を造営。いつの時点か由緒看板には明記されていないが、弘中姓は清縄から改められたもの。以後、弘中隆兼まで、代々の大宮司は弘中氏が務めた
- 弘中隆兼が厳島合戦で亡くなった後、孫にあたる良房が「今地」と改姓して宮司職を承継し、現在にいたる。よって、巷で親しみを込めて呼ばれている「弘中さん(の)神社」という認識は間違っていない
- 近世以降も、歴代岩国藩主に篤く信仰されるなど多くの人々の崇敬を受けている
- 主祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后だが、ほかにも数多くの配祀神がおられ、本殿裏手には大量の境内社もある
- 公式ホームページが非常に充実しており、読めば由来沿革、御祈祷その他について、すべてが詳細にわかる。現地にも詳しい御由緒看板があるほか、一つ一つの境内社にも解説があり、事前の予習は必要ない
- 「勝利」にまつわるご利益がひときわ目を引く。有名なスポーツ選手が授与されたお守は長らく品切れになるほどの人気だったとか。境内社の「劔神社」は勝利の神さま。勝負事や受験を控えた人にうってつけ
- ほかにも、金運、財力にまつわる「銭亀かえる」「白蛇社」といった境内社がある
- 厳島合戦で有名な弘中隆兼ゆかりの神社として広く知られており、彼を慕う人々の参詣も多いと思われる。弘中氏代々を祀る境内社として、白崎鎮守社もある
- インターネットでお守を郵送してもらったり、祈祷の予約を入れることができる神社は増えているが、こちらでは、なんと、御祈祷そのものを、オンラインでやっていただくことが可能。詳細はホームページに
郷土史会の理事を務める友人たちと参詣予定でしたが、お一人御病気で二人でのご参詣となりました。参詣日までのやりとりや、当日も普通に「弘中さん神社」とお呼びしておりました。そもそも、SNS のフォロワーさんが「弘中さん神社に行って来た云々」とポストしていたのに誘発されて、いいな、行きたい! となったのが最初です。
神社さまのホームページにも、弘中さんゆかりの神社である旨明記されておりますし、そもそもご由緒看板に書いてありますね。弘中さん人気で著名な神社さまという認識でしたが、それだけではありませんでした。有名なスポーツ選手が授与されたことで売り切れ続出となっていた「必勝」お守りとか。インターネットでご祈祷お願いできてしまうとか(申し込みだけではないですよ。御祈祷そのものがオンラインなんです)。オートバイ神社とか。あれもこれもすごすぎてびっくりでした。
ちなみに、境内社の数が大量。多くの神さまに一時に参詣できてしまいます。さらに、十二支の像もすごい。でもって、白蛇をお祀りしている境内社には小判をお供えします! 当然のことながら、「金運」の神さまです。
なんというか、あらゆる意味ですごい神社だった……。弘中って人、どこへ行ってもすごい人気だな。
嫌われる理由が何一つない、立派なお方だったからだよ。
それもそうなんだけど、ミルが「金運」と「資格試験」で目の色を変えていたのが印象的。確かにそういうご利益はあるのだけど、願いがそれだけって悲哀漂うね。白崎八幡宮さまのご神徳はそれだけではないからね。
でもそれ、生きて行く上で一番大事だと思うんだよね。特に「お金」。神社さまの解説しているのに俗物ですみません。





