宮島厳島神社の末社・四宮神社例祭で「たのもさん」という行事が行なわれていることは有名です。その時に流される舟が流れ着く先をご存じですか? 今回は「たのもさん」の行き着く先にあった稲荷神社をご紹介します。ご鎮座地だった山は崩されてしまい、場所が移動してはいますが、宮島と対岸大野の結びつきを知ることができる貴重な神社です。(訪問回数1回)
広島県廿日市市大野の鯛山稲荷神社とは?
門山城跡がある城山の麓にある稲荷神社です。創建年代は不明ながら、伏見稲荷を勧請したといわれています。鯛山と呼ばれているのは、元々ご鎮座されていた地名が鯛山だったからです。宮島の四宮神社で「たのもさん」と呼ばれる厳島神社平舞台から舟を流す行事が知られていますが、その舟が流れ着く先は対岸の大野でした。
宮島には稲荷神社がなかったため、宮島の人々は豊作への祈りを対岸の大野にあるこの神社に託し、舟を流していたのです。いっぽう、大野の人たちは、流れて来た舟を拾いあげて農家の畔に置きました。やはり豊作の祈りを込めてです。宮島と大野を結ぶ、極めて貴重な由緒をもつ神社です。
鯛山稲荷神社・基本情報
ご鎮座地 〒739-0441 廿日市市大野原 3-4-13
御祭神 宇迦之御魂大神※
主な建物 鳥居、社殿
(参照:現地案内看板、建物は目視、ご鎮座地は Googlemap)
※現地案内版には、御祭神について記述がなかったため、伏見稲荷大社から勧請されたという情報から同じ神さまと推定して書いています。一柱だけなのか、などは不明です。
鯛山稲荷神社・歴史と概観
稲荷神社と鯛山
かつて、大野には鯛山と呼ばれる山がありました。しかし、近代化の波で山は崩されてしまいます。それでも、すこし前まではその名残のようなものがあったようですが、現在は付近の小学校の拡張工事により、完全に失われました。今は「鯛山跡」という石碑のみがかつてそこに山があったことを伝えているそうです(石碑未見)。
門山城から眼下を見下ろしますと、小学校を見ることができますので、かつて鯛山があった場所についてよくわかります。小学校も含めて見えるのは現代の町並み。ちょっと寂しさも感じます。
この元鯛山には、伏見稲荷から勧請されたとされる稲荷神社が鎮座していました。意外ですが、宮島には稲荷神社がありません(参照:現地立て看板)。そこで、稲荷信仰の方々にとっては、対岸の鯛山稲荷神社の存在はきわめて重要でした。
「たのもさん」の舟が流れ着くところ
宮島の四宮神社では、例祭の時、厳島神社の平舞台から飾り付けた小さな舟を流します。舟が無事に鳥居を潜って対岸に流れ着けば、豊作になると考えられていました。この小さな舟を「たのもさん」といい、現在も行事は続けられています。
「たのもさん」のお話を最初にお伺いした時以来、舟が対岸に流れ着くって? どこに? など様々な疑問符が浮かんでいました。対岸は大野であり、そこに鯛山があったということを知り、積年の謎が解けました。宮島の人々は島に稲荷神社がないことから、稲荷信仰の思いを舟に託して流していました。いっぽう、対岸の大野では、流れて来た「たのもさん」を漁船が拾い上げていました。そして、大野の農家では、拾い上げた「たのもさん」を畔に置いておくと豊作になると信じられていたそうです。
舟を流す人々と拾う人々があり、両者ともどもに豊作への祈りを込めた行事であったのです。鯛山稲荷神社が果たしていた役割の大きさがわかります。舟は人々の思いを乗せ、この神社に向けて流されていたのですから。⇒ 関連記事:四宮神社
鯛山稲荷神社・みどころ
こぢんまりとしたお社ながら、御由緒をお伺いすると、宮島と大野を繋ぐ極めて重要な神社として光り輝いて見えます。
社殿
いかにも稲荷神社を思わせる赤い鳥居と小振りのお社。御由緒看板も含めて一枚の写真にすべて収まってしまいます。
ご由緒看板
いわゆるご由緒看板のように、御祭神は何の神さまで云々ということよりも、鯛山という今は失われた山についての記述がメインです。宮島の「たのもさん」との関係もバッチリわかり、多少なりとも大好きな門山城をいただく大野の歴史に触れることができました。
「大野西小学校からプール周辺にかけて鯛山と呼ばれていた小山がありました。鯛山は小山地区から南に突出した小山で「昔はこの辺りまで海でこの山から鯛を釣っていた」との言い伝えがあります。元は松の木がうっそうと茂った山でしたが昭和三十年頃からはじまった大野西小学校の拡張工事のためだんだんと削り取られ昭和二十四年には鯛山はすっかり消滅してしまいました。今は大野西小学校の体育館付近に「鯛山跡」の石碑が置かれ、わずかにその面影を残すのみです。
当時、鯛山にあった法華経石塔に参詣する道の正面には鯛山稲荷神社が祀られていましたが鯛山の消滅に伴い、この地に移されました。 創建年月は不明ですが伏見稲荷を勧請したものです。 宮島と鯛山稲荷神社は関係が深く、 稲荷神社のない宮島では昔から対岸の大野へ島民の稲荷神社への信仰をこめて「たのもさん(田面船、田の実船)」を流し、 その流れ行く舟を漁船が拾い上げる習慣がありました。大野の農家ではその舟を田の畔に置くと豊作になると信じられていました。」(看板説明文)
門山城から見下ろす鯛山跡
黄色い枠の中が小学校です。このあたりに鯛山があった、ということになります。⇒ 関連記事:門山城
鯛山稲荷神社の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒739-0441 廿日市市大野原 3-4-13
(※Googlemap にあった住所です)
アクセス
最寄り駅は大野浦です。普通に歩いて行くことができます。ナビゲーションを起動して導いてもらうことをおすすめします。
参照文献:現地案内看板
鯛山稲荷神社(廿日市市大野)について:まとめ & 感想
鯛山稲荷神社(廿日市市大野)・まとめ
- 廿日市市大野にある稲荷神社
- 宮島の四宮神社例祭で、厳島神社から流された「たのもさん」が行き着く先、対岸の大野にある。宮島には稲荷神社がないため、人々は豊作の願いを込めて、この神社に向けて舟を流していた
- 大野では、宮島から流されてきた舟を漁船が拾い上げ、その後、農家の畔に置く習慣があった。おなじく、豊作を祈願してのことだった
- 元々のご鎮座地鯛山は、近代化の波で崩されていき、現在は完全に消滅してしまった。跡地には「鯛山跡」の碑が残っている
- 門山城から眼下を望むと、元鯛山があった場所を見ることができる。現在は小学校になっている
近代化に伴い、廿日市でもかつての七尾城跡などの旧跡が容赦なく崩されたりという残念なことが数多くありました。それは、全国どこの自治体でも同じです。鯛山もそのようにして失われた旧跡のひとつです。山城跡とは違い、神社の社殿は遷すことができます。要は神さまの仮のお住まいを別の場所に引っ越しさせるだけですから。そう考えると、ご無礼なことでも何でもないのですが、やはりかつて存在していた山が失われたというのは寂しいですね。
山城跡などもそうですが、宅地化でなくなった頃辺りから、かつての姿を惜しむ人々が現われたように思います。近代化に向けて一生懸命だった頃には気付かなかったことに、豊かになってから気付くことはよくあることのようですね。全国にあったと思われる近世天守閣の城跡などまさにそうで、後からレプリカを作るくらいなら壊さなければよかったのに……と思う方々は多いようです。
文化財保護法などというものがなかった時代、失われた文化財は山とあったときいています。しかし、いつまでもかつての山城跡地に囲まれて、現代の我々の居住地が作れないというのも問題ですから、その辺りは仕方のないことです。
宮島の四宮神社で「たのもさん」の行事を行なっていることは、ずっと以前から知っていました。しかし、流された舟の行き先については分からず。ずっと気になっていましたが、対岸の大野でガイドさんが「鯛山稲荷神社」をご紹介くださいました。まさに積年の謎が氷解した感じです。現在のご鎮座からは、かつて付近で舟を拾い上げていた様を想像するのは難しいですが。でも、現在のご鎮座地もまた、とてもいい感じなのです。今のところは、そこまで宅地が進んでいないため、町歩きも楽しめます。
こんな方におすすめ
- 宮島四宮神社例祭の「たのもさん」に関心がある方
- 普通に神社巡りを趣味とする方
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
あれ? 千人塚のことが書いてないじゃないか。
一記事1キーワードです。分割すると記事数が増えるのです。
そうかもしれんが、内容が薄くならないか? 記事ボリュームとやら。
購入予定の本に『大野町史』も入れています。恐らく、詳しい情報があるのではないかと。
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はつかいち町歩き
廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。
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