広島県廿日市市宮島町の三翁神社とは?
厳島神社を創建した人とされる佐伯鞍職を祀る、厳島神社の境外摂社です。明治時代に水天宮神社を合祀したことから、安徳天皇や二位の尼も御祭神となっています。
古くは比叡社、長らく山王社として篤く信仰されてきました。明治時代に厳島神社の摂社となり、現在に至ります。三翁神社の名は、三人の「翁」をお祀りしていることから来ており、鞍職のほかに、所翁、岩木翁も御祭神となっています。
三つのご本殿が並ぶ荘厳な造りで、銅製の明神鳥居は宮島では唯一のものです。
三翁神社・基本情報
ご鎮座地 宮島町 1-1
御祭神 所翁、岩木翁、佐伯鞍職、安徳天皇、二位尼、大綿津見命(以上『中殿』)、大己貴神、猿田彦神(以上『左殿』)、御子内侍祖神、竹林内侍祖神、徳寿内侍祖神(以上『右殿』)
主な建物 本殿(中殿、左殿、右殿)、拝殿、鳥居
主な祭典 例祭 十月二十三日
(参照:『広島県神社誌』、『宮島本』、現地案内看板)
三翁神社・歴史
元は山王社、本殿と同時期に創建
創建年代不明となっていることが多い厳島神社摂社・末社の中で、その起源がそれなりはっきりしている神社のひとつです。『広島県神社誌』や現地案内看板によりますと、「伊都岐島千僧供養日記」(安元二年、1176)に「比叡社」と書かれている神社が現在の三翁神社の前身と考えられているようです。
また、『神社誌』にはさらに、「伊都岐島社神官等申状」(仁治二年、1241)に「山王社一宇」「山王社拝殿一宇」などの記述があると言及しています。
千僧供養を行なったのは平清盛であることは周知の通りで、この時点では比叡社と呼ばれていたものが、その後は、山王社と呼ばれていたらしきことが分かります。
となると、平安時代、平清盛の時代にはすでに存在していたことになり、とても古い由緒ある神社ということになります。ただし、社殿は往時そのままではなく、江戸時代の再建物となります。
元山王社は明治十一年に、厳島神社の摂社となりました。いつから、三翁神社と呼ばれるようになったのかという重要なことが『神社誌』にも、現地案内看板にも書かれていないのですが、普通に考えて全国の山王社が日吉神社に名前を変えた頃であろうな、と思いました。
平家ゆかりの人々を合祀
元山王社は、明治時代に三翁神社となります。「三翁神社」というのは、ちょっと変ったお名前ですよね。これは、文字通り三人の「翁」がお祀りされているゆえのネーミングのようです。岩木翁と所翁がおられるので、なるほどと思いますが、お一人足りません。三番目の翁は、厳島神社の創健者であり、神格化された佐伯鞍職さまのことではなかろうかと思います(理由はほかに思いつかないからです。どこかに典拠があると思われるので探しています)。
三翁が祀られていることは分かりやすいのですが、ほかの御祭神の由来が不明です。かなり大勢の神さま方が合祀されていますが、これらの神さま方はどこから? と思ってしまいます。それについては、現地案内看板に書かれておりませんので、勝手に想像することはできません。しかし、平家一門ゆかりの神々については、その由来が分かっています。
じつは、明治時代まで、宮島には水天宮神社が存在していました。安徳天皇、二位の尼、大綿津見命はそちらから合祀されたのです(参照:『広島県神社誌』)。神社誌には書いてありませんでしたが、おそらくは平清盛もこちらに祀られていたと思います。清盛神社ができるまで、清盛も三翁神社に祀られていたことはよく知られています。とすれば、安徳天皇をお祀りしていた水天宮に、外祖父母にあたる清盛と二位の尼夫妻も仲良く祀られていたと考えるのが自然です。
水天宮神社の合祀は明治四十三年のことで、それまでは平家一門ゆかりの神社が独立していたことになります。二位の尼のご遺体は宮島に流れ着いたと伝えられており、その霊を弔うために寺院が建てられたことは有名です。しかし、その寺院も今は廃寺となり跡地しか残っておりません。かつて存在していた神社も今はないとなると、二位の尼灯籠が唯一の遺物となってしまいました。
三翁神社・みどころ
数ある厳島神社の摂社・末社のうちのひとつです。厳島神社の創健者とされる佐伯鞍職がお祀りされていることから、厳島神社の歴史に関心がある方にとっては貴重な参詣場所のひとつとなります。また、この神社の鳥居は特別ですので、見落としのないようにしてください。
鳥居
山翁神社の鳥居は「銅製の明神鳥居」で、宮島ではこの神社だけのものです。ご本殿に近付くことはできませんが、三つの社殿が並んでいることがはっきりわかりますね。
社殿
「三翁神社
御祭神 中央 佐伯鞍職 安徳天皇
所翁 二位尼
岩木翁 大綿津見命
左殿 大己貴神 猿田彦神
(向かって右)
右殿 御子内侍 竹林内侍
(向かって左)徳寿内侍各祖神
例祭日 十月二十三日
御由緒 御鎮座の年月不詳
治承元年(一一七七)
「伊都岐島社千僧供養日記」に
比叡御社壇とあるのが
現在の三翁神社と考えられる
明治以前は山王社と称されていた」
(看板説明文)
意外にも、三翁神社の社殿をご案内するのにふさわしい写真がありませんでした(撮影した気がするので、失われた可能性も)。取り敢えず全体像です。次回もう少し重点を置いて撮影してみます。
手前に拝殿、背後に三つのご本殿が並んでいます。現在のご本殿は天正十九年に再建されたものとなります。……といっても、かなりの年代モノとなりますね。
三翁神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 宮島町 1-1
※『広島県神社誌』にあった住所です。
アクセス
厳島神社へ向かう参道を進み、入口から神社には入らずにそのまま進むと左手に荒胡子神社や厳島神社御文庫があります。道なりにさらに進んで行きますと、やはり左手に三翁神社があります。
参照文献:『広島県神社誌』、『宮島本』
三翁神社(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想
三翁神社(廿日市市宮島町)・まとめ
- 厳島神社境外摂社のひとつ
- 厳島神社の創建者とされる佐伯鞍職を祀るほか、ほかにも数多くの神々が合祀されている。「三翁」の名前は鞍職、岩木「翁」、所「翁」が祀られていることから来ている
- 起源は平安時代に遡ると考えられ、平清盛が千僧供養を行なった際の記録「伊都岐島千僧供養日記」(安元二年、1176)に載っている「比叡社」とされる
- その後、「伊都岐島社神官等申状」(仁治二年、1241)には「山王社」と記され、明治時代まではずっと山王社であった
- 明治時代に三翁神社として、厳島神社の摂社となった。その後、宮島にあった水天宮神社を合祀したことから、祭神に安徳天皇、二位の尼、大綿津見命が加わった
- 元は安徳天皇らとともに祀られていた平清盛は、清盛神社に遷されている
- 神社の鳥居は銅製の明神鳥居であるが、宮島の神社で銅製の明神鳥居はここだけである
厳島神社の参道はいつも大混雑しています。その意味では参道沿いにある文化財は見落としがちです。三翁神社は、その御祭神のラインナップがすごいことになっておりまして、案内看板を見てびっくりです。とはいえ、よほど神社巡りがお好きな方でない限り、参道はスルーして世界遺産だけ見ました、となりそうで、非常にもったいないです。
まずは、厳島神社の創建者とされる佐伯鞍職。この方を知らずして、厳島神社を語ることはできませんので、その意味では通り過ぎることはできないはずの神社ですね。大野の大頭神社でも、鞍職さまへのご参詣はできますし、島内の大元神社でも相殿神となっております。ほかにもありそうですが、今のところはこのくらいしか存じ上げません。それから所翁。この方は、市杵島姫命さまが社殿を建てて欲しいと鞍職にお願いをした際、取次ぎをした鞍職の家来です。
恥ずかしいことに、そのほかの岩木翁やら、○○内侍などのゆかりがわかりません。これを説明できずして、宮島を極めたとは言い難く、どこかで調べねばと思いますが、さてどこを調べればよいのでしょうか……。というような意味で、この項目はちょっと調査不足のところがございます。他人さまのことは言えず、参道はけっこうスルーしておりまして、写真すら足りていません。けっこう、今回はこの神社をメインでとテーマを絞らねば、何も分からないのが宮島の厳島神社以外の神社さまだったりします。宮島って、本当に奥が深いんです。
こんな方におすすめ
- 厳島神社の摂社・末社を極めたい方に
- 『平家物語』愛読者の方に
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
平清盛の神社を建てた時、なんで二位の尼と安徳天皇を合祀しなかったんだろう、ってガイドさんが仰っていたね。奥方とお孫さんもご一緒のほうが寂しくないのに、って。心優しい方だったなぁ。懐かしい。
うん。とっても優しいガイドさんだった。とっても尊敬しているし、大好きなお方だよ。いつまでもお元気で、たくさんの観光客の皆さんに宮島の良さを伝え、幸せを届けていただきたいな。
できたらもう一度お目にかかりたい。いや、二回でも三回でもと思うけど、俺たちだけで独占したらダメなお方だから諦めている。一人でも多くの人が、貴重なご案内を受けられるように。心の中では、広島に来る度に、毎回ご挨拶しているよ。
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みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
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厳島神社境外摂社&末社
世界文化遺産・厳島神社の摂社・末社合計二十五社の一覧表。摂社、末社、外宮、境内社などの用語解説。三翁神社についての説明と、そのほかのすべての神社への歴史、観光情報、所在地アクセスについてがわかるページへのリンクを掲載。
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