今回はご参詣するだけで、幸せになれる素敵な神社さまをご案内します。その名も「幸神社」さま。正式には道祖神社とお呼びするようなのですが、地元の皆さまは「幸神社」と呼んでおられることから、当サイトでもこちらを採用します。厳島神社にご参詣した方なら、帰り道に立ち寄れますので、見落としのないようにお願いします。この記事を読んでくださった皆さまが幸神社さまに参詣し、幸せな気分になれたならと願ってやみません。(訪問回数3回)
広島県廿日市市宮島町の幸神社とは?
町家通りにある厳島神社の末社です。正式には「道祖神社」とお呼びするようです(由緒看板)。『宮島本』でも、幸神社(道祖神・牛王社)となっております。神社周辺を幸町というのは、幸神社があるからなのか、ご鎮座地が幸町であるゆえに、幸神社と通称されているのか、どちらが先なのか不明です。
いずれにいたしましても、「幸」神社というお名前を聞くだけで、幸せになりそうな気がする神社さまです。例祭の時に参詣すると、陰陽石なる御神体を拝むことができます。かつては立派な金鳥居が立っていたようで、付近には「金鳥居の辻」という地名も残りますが、往時の鳥居は現在失われています。
幸神社・基本情報
ご鎮座地 〒739-0588 廿日市市宮島町 426
御祭神 猿田彦神
主な建物 鳥居、社殿、灯籠
主な祭典 例祭(旧暦八月十五日)
(参照:『宮島本』、建物は目視、ご鎮座地は Googlemap)
町家通りにご鎮座しておられますので、町家通りの記事もご参照ください。 宮島の表通り商店街より内陸側にある通り。賑やかなお土産街道の裏手に落ち着いた雰囲気の町並みが広がる。ちょっぴり懐かしい気分になれること請け合い。神社や商店などのみどころ、食べ処も。この通りから眺める五重塔がとても美しいことも有名。 続きを見る
町家通り(廿日市市宮島町)
幸神社・歴史と概観
御祭神・猿田彦神と道祖神
猿田彦神は瓊瓊杵尊が降臨なさった時に、天八達之衢(天上(高天原)から地上(葦原中国)への分かれ道)に立っておられた神さまです。天照大神がいったい何をしている何者なのかを尋ねるために、天鈿女命(=天宇受売命)を遣わせたところ、天孫(瓊瓊杵尊)の「道案内」をするためだと答えます。
長すぎるため、途中省略して引用すると、『日本書紀』には以下のように書かれています。
瓊瓊杵尊が降られようとしていると、先駆の者がかえって来て報告して、 「ひとりの神が天八達之衢にいます。その神は、鼻の長さが七咫、背の長さが七尺余り、七尋といった方がよろしゅうございましょう。また口のわきが光りかがやいています。眼は八咫鏡のように赫々とかがやいて、ちょうど赤いほおずきのようでございます」 と申し上げた。(中略)そこでとくに天鈿女に命ぜられて、 「おまえは、人よりも眼の威力がすぐれているから、おまえが行って尋ねてまいれ」 と仰せられた。そこで天鈿女が出かけて行って、〔中略) 「天照大神の御子がいまお通りになられようとする道に、こうして立ちふさがっているおまえはいったい何者だ。尋ねたい」 と言われた。衢の神は、 「天照大神の御子神がいま降臨されるとうかがったのでお迎えするためにこうしてお待ちしているのだ。私の名は猨田彦大神という」 とお答えした。〔中略)「ではおまえはどこに向かって行こうというのか。おまえについて行くと、皇孫はどこにお着きになることになるのか」 と言われると、 「天神の御子は筑紫の日向の高千穂の槵触峯にお着きになろう。私の方は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に行く」 と答えられた。そして、 「私をこの世に顕わし出したのはほかならぬおまえである。だからおまえは私を送りとどけよ」 と申された。そこで天鈿女は帰還して事の次第を報告した。〔中略)皇孫は筑紫の日向の高千穂の槵触峯に到着され、猨田彦神は、伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到着した。そこで天鈿女命は、猨田彦神の乞うとおりにこの神をお送りした。そのとき皇孫は天鈿女命に命ぜられて、 「おまえは、おまえが顕わし申した神の名を姓氏とせよ」 と仰せられて猨女君の名を賜わった。だから現在、猨女君らの男女をみな君とよぶのは、この由緒によるのである。
出典:井上光貞. 日本書紀(上) (中公文庫) . Chuokoron-shinsha,Inc.. Kindle 版.
※ちなみに「猨=猿」です。
天鈿女命は、天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸の前でちょっぴり色っぽい踊りを踊ったことで知られている神さまですよね。上述のご縁で天鈿女命と猿田彦神とは結ばれました。ご夫婦ともどもにお祀りされていることも多いといいます。しかし、こちらの神社では御祭神にはなっていないようです。
いっぽう、道祖神は、『日本 神さま事典』では「塞の神」の別名として紹介があり、「集落の外部から侵入してくる、疫病や災害などをもたらす悪霊を防ぐ神」とあります。そのため「村境」や「辻」にお祀りされています。なお、猿田彦神は「道祖神と同一視」されるようになったといいます。それゆえに、道祖神社に猿田彦神がお祀りされているのですね。
陰陽石
『宮島本』にかつては、「疫病の神・牛王が祭られ、社殿の背後には陰陽石があり」云々とあります。この石は、今でも例祭の時に見ることができるそうです。いったいどんな石なんでしょうか。
まず、「疫病の神・牛王」というところで、もしかしたら、昔は牛頭天王が祀られていたのかな、と考えました。しかし、そのような場合、現在は素戔嗚尊をお祀りしている神社に変っていることが多いですので、別物かもしれません。
さて、「陰陽石」についてですが。『日本 神さま事典』で調べることができましたが、けっこうややこしいことになりました。まず、「岐の神・辻の神」という神さまがおられます。
古来、道が分岐・交差する場所である岐・辻は、神霊往来の場と考えられるとともに、悪神・邪霊の進入路と観念された。そこで、村境や岐・辻・橋などに祀られたのがこの神である。塞の神・道祖神・石神などとも呼ばれ、陰陽石・丸石や、男女一対の石像などが御神体とされるケースが多くみられる。
出典:『日本 神さま事典』
文字通り、その性格は道祖神とまったく同じです。しかし、石が御神体となっているという点が興味深いです。「道祖神とも呼ばれ」とありますが、解説を拝読すると、この神さまと道祖神とが習合してしまったようです。そんなわけで、道祖神が猿田彦神と同一視されていたのならば、この神さまも同じく同一視されたわけです。そのほか、お地蔵さまなどとも同一視されたそうですので、辻ごとにお地蔵さまがおられるのも頷けますね。
しかし、肝心の「陰陽石」についてはこれだけですとよくわかりません。恐らくはこちらの神社においても、御神体だったのだろうということは容易に想像できますが。
これについては、道祖神と同じく、「岐の神・辻の神」をそう呼ぶこともあったという「石神」に詳しいです。要は石を御神体としてお祀りすることは少なくないことであり、そのようにして神格化された石こそが神さまなのです。そのたとえの中に「陰陽石」も出ておりました。男女のしるしの形をした石のようで、子授けや安産などのご利益があるのだとか。こちらの神社ですと、ご由緒にある「男女和合」がそれにあたるのかもしれません。
いったいどんな形をしているのか、気になる方は例祭の日にご参詣ください。
金鳥居
かつて、この神社の前には金鳥居が立っており、それゆえに、町家通りには現在も「金鳥居の辻」なる看板が立っております。現在、鳥居は失われており、看板説明文以外に、往時を偲ぶものはございません。⇒ 関連記事:町家通り
幸神社・みどころ
全景
町中に佇んでおられるため、鳥居・ご本殿・御由緒看板がひとつにおさまってしまうほどコンパクト。それでも、ここだけは別格。神さまがお立ち寄りになるところ、ということが、ひしひしと伝わって参ります。
「道祖神社(通称幸神社)
厳島神社末社
御祭神 猿田彦神
例祭 旧暦八月十五日(中秋)
御利益 旅の安全・夫婦和合
火難・水難避除け
社殿の背後に陰陽石があり、道祖の
御神体といわれ例祭日には陰陽石の参拝ができます
神社の前の道は、東町から厳島神社に
参詣する道筋だったので、この辺りは
島内でも屈指の賑わいを見せていました」
(御由緒看板説明文)
鳥居
金鳥居はなくなっても、このように立派な石鳥居が立っています。「幸神社」という扁額を見れば、幸せな気分に。ご本殿もズームアップされました。
幸神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒739-0588 廿日市市宮島町 426
(※Googlemap にあった住所です)
アクセス
町家通りにございます。町家通りは、表通り商店街の一本奥にあたる道です。表通り商店街で桟橋方向に向かって右折してまっすぐ行くと町家通りに出ます。右折路は何本かございますが、もっとも厳島神社に近いところ、つまり神社に参詣を終えて表通りに入るところですが、ここは町家通りと交差しています。表通りに入らずに右折し、最初の道を左折しますと、町家通りのメインストリートです。真っ直ぐ進むとややズレた十字路に出ます。神社はその左手の道にあるのですが、ちょっと奥まっていて見つけにくいかもしれません。ナビゲーションに頼れば、上のダラダラとした説明は不要です。
参照文献:『宮島本』、『日本 神さま事典』、『日本書紀』(現代語訳)
幸神社(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想
幸神社(廿日市市宮島町)・まとめ
- 厳島神社の末社で、町家通りにある
- 幸神社は通称のようで、正確には道祖神社という(由緒看板)。地元の方々も「幸神社」と呼んでおられるし、神社の鳥居にもそう書かれている。皆さまが慣れ親しんだ幸神社とお呼びするのがよい
- 御祭神は猿田彦神だが、かつては「牛王」を祀っていたという
- 猿田彦神は、瓊瓊杵尊が降臨なさった時に、道案内をなさった神さまとされる。「辻の神・岐の神」や道祖神などと同一視されており、道祖神社という名前もそれに関連しているものかと思われる
- 御神体は陰陽石という石神であり、例祭の日に参詣すれば、拝むことができる
「幸神社」というお名前が最高です。聞くだけで幸せな気分になれそうです。こぢんまりとした町中の神社さまですが、町家通りからちょっとだけ奥まったところにあります。注意していないと、見落としてしまうかもしれません。常に前ばかり見ている方は、道が交差するところでちょっとその先を除いて見てください。
道祖神社だったり、牛王神社だったりと、多くの別名がございます。現在、幸神社とお呼びするようになった経緯がぜひ知りたいと思いました。幸福駅の切符を求めてわざわざ赴く人がいた、というようなことも今は昔。だって、紙の切符なんていまどきないではありませんか。と思ったら、あれこれ複雑な事情があるみたいです(ネット検索)。幸せな神社に行ければ満足ですので、心が沈んだ時には、こちらに赴きたいと思います。
これまた、厳島神社と弥山だけの方にはなかなかご参詣の機会は限られてしまうかもしれません。でも、表通り商店街でお土産を買い求める手をとめて、ちょっとだけ立ち寄っていただけたらな、と思います。遠い場所にご鎮座されていると安易におすすめはできなかったりしますが、近いですので。厳島神社にご参詣した方でしたら、ちょっとだけ立ち寄る感じです。参詣した皆さまに、幸せが訪れますように。
こんな方におすすめ
- 厳島神社の摂社・末社を極めたい方に
- 普通に神社巡りを趣味とする方に
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
最初にご参詣してから、記事をアップするまで、どれだけ時間かかってるの?
ごめんね。最初は写真が一枚しかなくて。今もちょっとあまりいいものが撮れていないきがしてる。まあ、それはどの写真も同じだけど。あまりにも行動範囲を広げすぎたから、後回しになってしまった。神社さま、ごめんなさい。
思えば、この神社を訪れてから、どれだけ幸せな気分を味わうことになっただろう。ものすごいパワースポットに感じられるよ。お名前に偽りなし、だね。
そうだね。本当に happy な出来事が続いているよね!
(幸せなのは、旅している時限定だけどな)
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みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
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厳島神社境外摂社&末社
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