はつかいち町歩き

北山黄幡社(廿日市市宮内)

北山黄幡社・入口

広島県廿日市市宮内の北山 黄幡社とは?

宮内地区にある小さな神社のうちのひとつです。なんと、「御祭神不明」です。何の神さまをお祀りしているのかも分らずにお参りしているのか!? ということになって、本当に驚きなんですが、はっきり「不明」となっているものについて、勝手な推測は加えられません。

ヒントはいくつか提示されているのですが、神さま事典の説明も今ひとつしっくりは来ないですし、残念ながら謎の神さまというよりほかありません(本は間違っているはずないですが、そこにも『不明』とあるのです)。

北山黄幡社・基本情報

ご鎮座地 〒738-0034 廿日市市宮内4丁目21
御祭神 不詳(『五郎の神』を祀るとされる)  
主な建物 社殿、境内社(小祠) 
例祭 10月第2日曜日
(参照:ガイドさん資料、観光協会パンフレット、建物は目視、ご鎮座地は Googlemap)

北山 黄幡社・歴史

なんとびっくり祭神不明

宮迫明神社を探して彷徨っていた際、偶然にも見付けた神社さまです。観光協会の宮内町歩きのコースには入っておりますので、由緒ある神社であることは間違いないです。「が」なんと、御祭神不明です。でも、このようなケースも珍しくはないようでして、確か宮島にもあったと思います(今、ちょっとお名前が出てきません)。

町歩きのパンフレットには以下のような説明文がありました。

「昔から沢の尾道のほとりにあり、国郡志差出帳には王伴社と書かれています。
五行祭祭文に曰く、『五郎の王子を祀る』とあります。」

難しすぎて分りませんが……。

「五郎の王子」っていったい何!?

現地には説明看板等は一切ないですので、ことこの神社についてはわかるのはこれだけとなります。ガイドさんとご一緒に宮内地区を歩く機会に恵まれたので、絶好の機会と期待しましたが、祭神についてのご説明はパンフレット通りでした。

要するに、ど素人が適当にあれこれ邪推することは許されても、プロのガイドさん方は記録にないことを想像や推測で語るということはなさらないからです。

それに案外と、祭神不明なんて珍しいことではなく、どうしても知りたいんです! と粘る観光客のほうが稀なんでしょう。地元の方々も、お祀りされているのが何の神さまであれ、尊いと思えばお参りするし、関心のない方は素通りなんだろうと思います。

県内黄幡神社の多くは真幡神社にチェンジした

パンフレットに書かれていることだけで、すべてが完結しないのが、ガイドさんとの町歩きです。実は今回、コースに入っていた黄幡社はご相談の上、スルーすることにしました。なぜなら、すでに「参詣してしまっていた」からです。ただし、参詣した時は、ご案内の方がおられず、いったい何の神さまなのかわからなかったので、現地に行かずとも、ご案内だけはお聞かせくださいと我儘なお願いをしました。

その結果ご教授いただいたこと、さらに帰宅後調べたことを元に、なんとなくですが、イメージがわいてきました。ただし、不可解な点も多々あります。考えれば考えるほどブラックホールになってしまいます。

まず、この黄幡社がなにゆえに貴重なのかと言えば、明治時代になって県内のほかの黄幡社の多くが「真幡神社」となって現在に至るにもかかわらず、ここは昔ながらの黄幡社のままである点なのです。

この改名は、妙見社が天御中主神社に置き換えられたのと同じく、神さまの置き換えがなされたゆえにでしょうね。でも、少ないながら、現在も妙見社のままってところはあるわけです。もしくは、いったん改名されたけれども、元の名前に戻したケースも。あるいは、改名は強制で、どこも一度は天御中主神社になっていたかもしれません。それと、妙見社と名乗っているからといって喜んで近付いてはだめで、じつは御祭神はやっぱり天御中主神さまだったりします。

同じことは宮内天王社にも言えます。いったん八坂神社に改名されたけれども、地元の人々からの要望によって、元の天王社に戻ったという経緯があります。

由緒書がないゆえ、本当に何もわかりませんが、こちらの黄幡社も、ほかが真幡神社になったのであれば、一度は改名された可能性はゼロではありません。ただ、少なくとも現在は正真正銘の黄幡社です。

比治山神社(広島)は江戸時代「黄幡大明神」だった

広島に比治山神社という有名な神社さまがございますが、こちらの旧称も黄幡社だった模様です。ガイドさんのご案内にもありましたし、公式ホームページにもそのように書かれております。

黄幡大明神なる神さまの正体が何者であれ、神仏分離以降に現在の比治山神社というお名前に変ったとありますので、流れ的に同じでしょう。ですが、ほかは真幡神社になったのに、こちらだけなにゆえに? というのはございますね。でもこれも、稀有な例ではないんです。だって、降松神社って、本家本元大内氏の氏社妙見社で、今は天御中主神がお祀りされていますが、名前は天御中主神社ではなく、降松神社ですから。神さまの種類は違えど、まったく同じことです。

でもって、縁結びの神さまで、大国主命をお祀りしているとのご由緒が書かれていたので、県内のほかの真幡神社(=元黄幡社)もそうなのかなぁと思い調べてみました。むろん、すべての神社さまのご祭神など調べきれません。『広島県神社誌』をぱらぱらとめくってみただけです。すると、素戔嗚尊をお祀りしているところがほとんど(むろん、メインが素戔嗚尊ではない神社さまもございましたが、たいてい入っています)。比治山神社さまにも、大国主命以外に「建速須佐之男大神」ほかがお祀りされておりました。

と、いうことは……。こちらにも素戔嗚尊がお祀りされている確率は極めて高いような気がしますね。気がするだけですからね! あくまで「祭神不明」です。

明治時代に改名させられたのは、神仏習合していた神社と寺院を分けるためでしたよね。ですが、中には「仏さま」と習合しているとはいえないような謎の神さまと習合しているケースもありました。なので、大多数は神と仏を分離するで正しいですが、中には正体不明の謎の異国の神を切り分けるため、ということも。

いったいどんな神さまと習合していて、現在はどんな神さまがお祀りされているのか、気になってしかたありません。

ヒントは密教と陰陽五行系の解説書にあり

困ったときは『神さま事典』ですが、有難いことに「おうばんしゃ」なる項目がございました。

【王番神/大元神】
<馬・牛・稲作の守護神〉
中国地方、ことに山口県・広島県一帯に多い小祠 で、黄幡神とも書く。福山市地方では王番神と 書き馬を守る神と伝えられ、また王馬とも言って、 二月十三日を祭礼の日としている。
(中略)
王番神は大山祇神を祀っている地方に多く分布しており、また素盞鳴尊を祀ると伝える地方も ある。
広島県山県郡芸北町の例をみると、王番神は大元神ともいい、これは作神、稲の神(田の神)であっ て、馬牛の神とはしていない。祭神は出雲系の神と思われるが不明である。
(後略)
出典:『日本の神様読み解き事典』

冒頭の「山口県・広島県一帯に多い小祠」という部分だけ拝見すると、文字通りこれでは? という気がいたしますが、字が違うのが気になります。せっかく「黄幡社とも書く」という注意書きまであるのですが、何となく違う気が。それに、一番困るのは、結局のところ、祭神についてはわからないことです。

大山祇神、素戔嗚尊、出雲系の神などなどいくつか候補はあがっておりますが、要は色々ありますよ、って書いてあるだけですからねぇ。「馬・牛・稲作の守護神」というところも、何となくしっくりきません。しかしこれは、現在神社の周辺が住宅地になってしまっているためで、かつては田んぼの中だったということなので、あてはまらないとも言い切れません。

八百万の神々といわれるほどですから、すべての御祭神を調査するなんてことはもはや不可能。それこそ、あれもこれも神さまにしてしまうのが、日本人の寛容性なんです。しかし、かつて「黄幡大明神」と呼ばれていたことははっきりしているのですから、お名前まで分っているのです。神仏分離で名前を真幡神社にしたというところから、異国の神さまを祀っていたらしきことまでも推測できます。そこまで分っているのに、祭神不詳って、なぜなのでしょうか? ところがこの、「黄幡大明神」がどこにも載っていません。どことなく既視感があったのですが。

「方位を司る八将神の一柱」

じつはガイドさんの資料に「方位を司る八将神の一柱」というぶっちぎりのヒントがあったんです。ところが、この八将神というのが、『神様事典』にないのです。つまりは「日本の神様」ではないから。妙見大菩薩同様、唐渡りではないのかと、道教系で調べましたところ、ありました。やれやれ。ただこれ、名前だけ。密教系で調べても同じく。どういう神さまなのかが知りたいのに。意外な所に答えはありました。『日本史辞典』です。

八将神(はっしょうじん)
暦注における方角神の総称。太歳、大将軍、大陰、歳刑、歳破、歳殺、黄幡、豹尾の八神をさす。格神は各方位に対応し、年ごとに方位を移動する。それぞれの神には相当する禁忌があり、太歳は木の伐採、大陰はお産、歳殺は嫁婿取りをそれぞれ禁じるなどとされる。
出典:『日本史広辞典』1754ページ

載ってはいたのですが、これだけです。具体的に黄幡神がどのような神さまなのかはわからないですね。密教系だと「九曜」の項目に、道教系はちょっと忘れてしまいましたが、どこかに同じくこんな感じで名前だけは載っていますが、具体的な説明はなし。お名前だけです。最後に陰陽道系の本を拝見したところ、やっとのことで、詳しい説明を見付けました。ただし、難解で意味が不明でした(陰陽道に詳しい方ならなんてことはないと思いますが)。

陰陽道における黄幡神とは?

結論からいうと、やはり唐渡りの神さまです。既視感があったのは、畏れ多くも読み終わったからご本を断捨離しようとして山と積んでいた中に埋もれていたため。一度は見てたのですが、難解ですし、分らなくても生きていけると思ったんです。ギリギリセーフで残っててよかった。でもって、牛頭天王の八王子と関係あるのではないかと目星を付けていたことも間違ってはいませんでした。というよりも、牛頭天王信仰のために、八将神は午頭天皇の八人の王子と置き換えられてしまっていたため、名前が消えてしまってたんです。

どこかでまた同じ八将神が現われた時のために、記録を残しておきます。なんと、国立国会図書館さまのホームページにかくも有難い表が。引用、リンクフリーな上、おおやけの機関さまです。これからもお世話になれそう。なお、引用ではなく、参照させていただいたもので、表は自作です。本人にしかわからなくなっている可能性もありますので、リンク先もご覧ください。とても分りやすいです。

太歳神木星その年の十二支と同じ方角に位置する万事吉、樹木の伐採は凶
大将軍神金星「殺伐」を司る、大凶神凶。同じ場所に三年居座るため「三年塞がり」という
大陰神土星太歳神の妻結婚・出産は凶
歳刑神水星「刑罰」を司る、凶神何事も凶、耕作、種まきは禁忌
歳破神土星太歳神と常に向き合う移転(引っ越し)、旅行、乗船は凶。
歳殺神金星「殺伐」の気が満ちる何事も凶。婚姻、出産は特にいけない。
黄幡神羅睺星(架空の星)羅睺星の化身、万物の墓の方、兵乱の神未、辰、丑、戌の方向にしか移動しない。太歳神の墓十二支の墓に居座る。土地や土に関するイベントは凶、弓はじめなどは吉。
豹尾神計都星(架空の星)計都星の化身、黄幡神の反対に位置する万事不浄を嫌う。家畜を求めるのは禁忌
参照:国立国会図書館「日本の暦」ホームページ
https://www.ndl.go.jp/koyomi/chapter3/s2.html
(そのまま引用ではなく、参照にしてるだけなので、正しくはホームページをご覧ください)

残念ながら、これを見てもさっぱりですね。ごくごく基本的な問題として、昔は時間も方位も十二支で数えていたということがあります。古文常識などで覚えさせられて、何のため!? と思うアレです。未だにさっぱりわかりませんが、一日二十四時間制で生活するのには、まったく不要な知識です。

で、その十二ある方角のいずれかにこれらの神さまが居座っており、年ごとに移動しております。よって、今年は〇〇の神が△△の方角に居座っているからという理由で、物事を行なう際の吉凶が変りました。方角は十二に分けられているのに、神さまは八柱。年によってどなたもおいでにならない方角もあるということですね。

あと、普通に考えたら一年毎に順番に進んでいくものかと思ってしまいますが、そうでもないのです。一番上の太歳神だけはその年の十二支と同じになるというので、毎年順番に進んで行くのでしょうが、我々がここで話題にしている黄幡神は元の表にちょこっと書き加えておきましたが、未、辰、丑、戌の方角にしか行きません。十二あるうちの四つだけを行き来しているのです。また、大将軍神のところに、三年間同じところに居座るとあるので、この神さまは三年ごとに移動するのだろうと思っていましたが、それも違います。

十二支を東西南北で割ると三になります。つまり、一つの方角に三つ宛がわれているわけ。南東とか北東とかありますから。なので、同じ方角に三年居座るという意味は、一つの方角中の三つの位置を動いているため、通り過ぎるのに三年かかるということです。どの神さまも順番に動いていたら、全員「三塞がり」となるはずが、そうは書いていないことからも、皆さんかなり不規則に動いておられるわけ。

神さまどうしの関係もあれこれで面白いです(常に反対にある、など)。しかし、昔の人々が物忌み方違えとか言って、悪い方角を避けていた慣習によるものなのか、禁忌ばかりが並んでいてちょっと怖い感じがいたしますね。

ところで、だいたいにおいて、表にある通りなのですが、肝心の黄幡神についてが一番難しくて、わかりません。要するに「墓」ってなんなんだろう!? ってことです。ここはちょっとだけ、陰陽道の本を参照して書き加えましたが、なおも分らない。

要するに、陰陽五行って、「木、火、土、金、水」じゃないですか。水は火を消してしまいますから、火にとっては水が困った相手です。そんなところから、「墓」にあたる干支が導き出されるらしいのですが、読んでもさっぱり。ただし、唯一分った点は、「木、火、土、金、水」が十二支に宛がわれている関係上、ここも一対一にはなっていない点です。そして、黄幡神が移動する「未、辰、丑、戌」はすべて「土」なんです。土に穴を掘って埋葬する、つまりお墓ですね。してみると、何やら縁起の悪い神さまのように思えて来ます。

墓は墓でも「太歳神の墓」なのだそうでして。なかなかに謎な神さまであります。

……で、結局のところ、この神さまがなんなのかは分りませんでした。これは、このまま理解せよ、という意味かと。かつて、この神社には黄幡神が祀られていたのでしょう。いかにも異国の神であるため、神仏分離で去って行ったものと思われます。となると、「五郎の神を祀る」の意味が分らなくなりますが。じつはほかの場所でも「五郎社」「五郎神社」をみたことがございます。どこかで由来も見たような気が?

なお、八将神は牛頭天王信仰の広がりとともに、牛頭天王の八人の王子と置き換わってしまった模様です。それゆえに、黄幡神というよりも、その置き換わりの神さまのほうが著名です。牛頭天王は素戔嗚尊と習合し、やがて素戔嗚尊だけを残して神社から姿を消しました。その辺の事情については以下に。⇒ 八坂神社の前身・祇園社と牛頭天王

八坂神社の前身・祇園社と牛頭天王 | 周防山口館
八坂神社の前身・祇園社と牛頭天王 | 周防山口館

祇園祭で有名な八坂神社。御祭神は素戔嗚尊。かつて素戔嗚尊と習合していた異国の神さまがいました。牛頭天王です。明治以降、祇園社は八坂神社となり ...

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それゆえに、黄幡神は牛頭天王の王子に置き換わり、黄幡社もやがて素戔嗚尊を祀る神社へと変化したのではなかろうか、と考えた次第です。元黄幡社現真幡神社には、祭神が素戔嗚尊のところが多かったもので。ちなみに牛頭天王の子らは八人の王子でしたが、素戔嗚尊の五男三女に置き換えられました。五人の王子……五郎。なんか曰くありげですよね。

しかし、公的にはここは、「祭神不明」ですから、勝手に素戔嗚尊を祀っているなどと誤解なさいませぬように。

北山 黄幡社・みどころ

閑静な住宅街の中に佇んでおられます。何やら社殿の周囲だけがパワースポットのように感じられる説明しがたい趣があります。辿り着くのが骨であるがゆえに、ゆっくりとご参詣していただきたいです。

社殿

北山黄幡社・社殿

結構奥行きがあるのがわかりますね。

北山黄幡社・社殿2

ご覧のように背後は山です(丘くらいかな……)。住宅地の中にちょっとした安らぎの空間が広がっているんです。注連縄も綺麗ですし、真新しいお花も生けられておりました。また、向かって左手にある小さな石の祠も風情がありますね。

社号プレート

北山黄幡社・社号プレート

ご覧ください。こちらが紛れもなく「黄幡神社」であることの証です。昔の名前のままなんだぞ、と主張しているように思えました。

黄幡神社付近の風景

北山黄幡社・付近の風景

「付近」というのは無理があるかもしれません。一時間ほどの時間差がありました。しかし、基本宮内の風景はこんな感じです。でもちょっと高台にあがると麗しい厳島が。何度も足を運んでしまうのは、五郎がこの町をよほど気に入っているらしいからです。でも分る気がしますね。厳島は俺のものだ! って誰もが思えてしまう。本当に羨ましくてなりません。

北山 黄幡社(廿日市市宮内)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒738-0034 廿日市市宮内4丁目21

※Googlemap にあった住所です。

アクセス

最寄り駅は宮内串戸です。かなり歩きます。地図見ながら、廿日市(洞雲寺)から速谷神社まで歩いたことを思い出しました。それよりは近いようですね。観光協会さまのガイドさんご案内付き町歩きが、宮内串戸集合で四時間歩きます。むろん、ほかにもいくつかのみどころが組み合わされておりますが。しかし、地元の地理に明るいガイドさんと、道なりにご参詣していくのとは違い、一人で道に迷いつつ到着するとかなり辛いことになります。結局一箇所だけでも四時間かかるようなものです。お財布と相談になりますが、歩くのが嫌な方はタクシーがいいです。問題は、運転手さんが、ご存じかどうか。小さな祠一つが意外にも知られていたりする半面、かなり立派な神社でも、どなたもご存じなかったりします。歩く場合は、ナビゲーション起動でまったく問題ありません。普通に辿り着けました。ただし、入口を見落とすことはあり得るので、近くなってきたら周囲に気を配るようになさってください。

参照文献:ガイドさん資料、観光協会パンフレット、国立国会図書館ホームページ、『日本史広辞典』、『日本の神さま読み解き事典』、『広島県神社誌』

北山 黄幡社(廿日市市宮内)について:まとめ & 感想

北山黄幡社(廿日市市宮内)・まとめ

  1. 方位を司る神「八将神」の一柱・黄幡神を祀っていたのではないかと思われる社名だが、祭神は「不詳」
  2. 広島県内の黄幡神社は、神仏分離にあたり多くが「真幡神社」と改名した。改名しなかったのか、元の名前に戻ったのかは不明ながら、当社は今も「黄幡神社」を名乗る数少ない一社として貴重である
  3. 八将神は牛頭天王の八王子と置き換えられてしまい、牛頭天王信仰とあいまって八王子のほうが有名となってしまった。牛頭天王は素戔嗚尊と集合しており、神仏分離の際に、多くの祇園社・天王社の祭神が素戔嗚尊となり、社名も八坂神社となった。黄幡神社が真幡神社となったのも、同じような理由からかと思われる
  4. 八王子繋がりで牛頭天王(=素戔嗚尊)とゆかりがあるからか、現在の真幡社は素戔嗚尊を祭神としているところが多い。しかし、こちらの黄幡神社は社名もそのままだし、祭神も不明。謎多き神社である
  5. 発展目覚ましい廿日市の中でも宅地化のペースが凄まじい宮内地区にあって、閑静な住宅地の中に、ひっそりと佇んでいる

小さいけど、とても趣がある神社さまです。この付近に桝井ドーフィンで有名な桝井さんのお墓もあるらしいのですが、一人で行った時は見付けられませんでした。宮内は迷路みたいとお話したことがありますが、本当です。住宅地の中というのは、往々にしてそうではありますが。こちらへ辿り着くのも本当に一苦労でした。就いた途端に脱力して動きたくなくなった感じです。

真幡神社って? と思い、ちょいっと検索してみたら、やはり広島県内が多いんですね。神さま事典にあった馬・牛・稲の神(山口と広島に多い)というのもあながち間違ってはいない気がします。黄幡神がレアなので(個人的な意見です)何者なのか、本当に知りたいです。恐らく、地元の方はご存じなのではないかな、と思ったりするんですが、ガイドさんもご存じないのですから、望み薄です。というよりも、黄幡神については国会図書館に書いてあるくらいなので、ご存じの方はご存じ。むろん、ガイドさんもご存じで、苦労の末に辿り着いた墓の神とかいうようなことも、見せてくださった資料には載っていました。最初にそれを拝見すればよかったのですが、今回、郷土史会の会報で宣伝するお許しは頂戴したものの、SNS などに投稿してもよいのかどうかについては確認を取り忘れておりました。

なので、資料の丸写しはできないのと、耳から入ったことならば覚えていれば自らの知識として書けますが、三月も過ぎて、ほとんど忘れてしまったんです……。脳内のキャパシティがもう限界。海外からのお客さまで、十二支の方位や、黄幡神とは何ぞ? などと聞いてくる方はおられないので、あれもこれもなおざりになっていますが、近世(日本史)も含めて、もうちょっと深く学ばないとだめですね。恥ずかしい。

こんな方におすすめ

  • 神社巡りが好きなすべての人
  • 町中にひっそり佇む小社に惹かれる人

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

五郎の神って、多分俺のことだと思うんだよね。神格化されてたなんて嬉し過ぎる♪

鶴千代吹き出し用イメージ画像(怒る)
鶴千代

お前ごときが「神格化」されるだと? 元就公レベルにならねば無理だ。だいたい、元就公ご自身は神格化など望んではおられなかったと思っている。自ら神になろうなどと望むとは、あまりにずうずうしい奴だな。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒)
五郎

お前に言われたくないよ。ああ、築山大明神の掃除当番嫌だな。だいたい、掃除しろとか規則作って押しつけてくるって、本家は威張りすぎなんだよ。俺は龍豊寺に祖父さまの墓掃除に行く。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

それも大事だけど、二人して龍文寺行ったら? 黄幡神だけに墓掃除の話になってしまったみたいね……。

大頭神社・鳥居
はつかいち町歩き

廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。

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ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

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