みやじま・えりゅしおん

今伊勢神社(広島県廿日市市宮島町)

今伊勢神社

今回は桟橋からほど近いところにご鎮座なさっている今伊勢神社さまについてご案内します。毛利元就が「囮の城」を築いたという言い伝えで有名な宮ノ尾城は、この神社があることから、宮のある尾根=宮ノ尾と呼ばれるようになったそうです。そんなわけで、宮ノ尾城跡(=要害山)に向かう方々は、城跡を徘徊している最中に、社殿に遭遇します。しかし、本来の入り口は伊勢町から石段、鳥居という順路です。(訪問回数5回以上)

広島県廿日市市宮島町の今伊勢神社とは?

厳島神社の末社です。伊勢神宮から勧請されたので、「今伊勢」神社と呼ばれていると考えられています。神社付近の地名は「伊勢町」ですが、この神社があることに由来します。

厳島合戦の時、毛利元就が「囮の城」を築いたとされる要害山にご鎮座しています。要害山は、今伊勢神社があることから、「お宮のある尾根」=「宮ノ尾」とも呼ばれ、毛利軍の城も「宮ノ尾城」として知られています。

今伊勢神社・基本情報

ご鎮座地 〒739-0511 廿日市市宮島町伊勢町
御祭神 天照大神、八幡大神、春日大神、素戔嗚尊、猿田彦神、興津彦命、興津姫命
主な建物 社殿、鳥居
(参照:『宮島本』、建物は目視、ご鎮座地は Googlemap)

今伊勢神社・歴史と概観

厳島神社関連史跡と渾然一体化

毛利元就が築いた宮ノ尾城跡とされる場所にご鎮座されています。そのため、合戦史跡を巡っている方が、城跡地に行ってみたら神社があったよ、ということになりかねません。その点、ちょっとだけご無礼な感じがします。しかし、現状、宮島は世界遺産・厳島神社の島として訪れている方がほとんどと見受けられますので、途中で要害山に上っていく方は少数派です。

合戦史跡を巡っている方でしたら、神社がある尾根にある城だから「宮ノ尾」ということを最初からご存じですので、ついでにお参りも……となりますね。要害山にはほかにも、仁王門跡や行者堂などのみどころがございまして、そもそもどこからどこまでが元城跡なのかもよくはわかりません。

現在の城跡紹介のご本ではほぼすべて「宮ノ尾」となっておりますが、これは近世以降に定着した呼び名だとのご指摘をどこかでお見かけした記憶があります。城跡=要害ですから、単に要害山となっている場所も全国に数えきれません。そもそも、要害の地であったために、そこに城を建てるわけです。

合戦当時、神社さまはすでにご鎮座されていたのでしょうか? 創建年代などが、とても気になってしまいました。すでにご鎮座されていたのならば、「宮ノ尾」という地名にも長い歴史があることになり、毛利軍は神社の神さま方に守られつつ勝利したように思えます。珍しく、御由緒看板の類がなく、小さなお社ですので、『神社誌』にも載っていません。城跡解説のご本に、「宮の城」「宮要害」と呼ばれていたと書いてあります(参照:『安芸国の城館』)ので、合戦期より以前に存在していたものと思われます。あくまで推測ですが。

よく、毛利軍の城は、海賊の砦レベルのものだった、というご意見がございますよね。『宮島本』にもそのような見張り台的なものに手を加えたのように書いてあったように思います。海賊の砦に伊勢神宮を勧請した!? と考えると謎すぎる展開となりますが、その辺りも含めて、地元の郷土史研究の先生方のご意見を賜りたいなぁと感じる次第です。

御祭神について

伊勢神宮を勧請したときくと、山口大神宮を思い出してしまいます。内宮・外宮があり、中世期には唯一本家本元伊勢神宮を完全に模倣した大規模な神社を造れる財力をもっていたのは大内氏くらいなものであった、と。それでも、本家本元伊勢神宮とは比較にならない規模です。この逸話を思い出すたびに、ほかの勢力には、伊勢神宮から勧請するなんてことはできなかったんだろうよ、と思っていました。でも、天照大神さまをお祀りしている神社って、ほかにもたくさんあるではないですか。こちら、今伊勢神社さまもそうですし。毛利元就が城を建てた時点で存在していたのだとしたら、どんなに新しくても1555年にはあったのです。こちらのほうが、ずっと歴史が古い可能性もあります。宗像三女神と天照大神さまとのゆかりはとても深いですからね。

ほかの御祭神のラインナップがかわっているなぁと思いました。神話に詳しくないですので、なんとも言えませんが。本家本元伊勢神宮には百を超える関連神社が周囲にあるといいますから、ここにお祀りされている神さまもどこかにおられるのかも知れません。数が多すぎて調べるのは無理ですが。

素戔嗚尊などはいいとして、こちらにも猿田彦神と竈の神さまがおられます。宮島ならではの組み合わせなのか、ほかでも普通なのかとても気になりました。

今伊勢神社の御祭神

天照大神、八幡大神、春日大神、素戔嗚尊、猿田彦神、興津彦命、興津姫神

猿田彦神については幸神社(道祖神社)のところで、竈の神(興津彦命、興津姫命)については長浜神社のところで、ご説明しています。⇒ 関連記事:幸神社長浜神社

今伊勢神社・みどころ

桟橋から来た方々は、要害山への登り口から上がっていくケースが多いと思われます。すると、彷徨っているうちに社殿に着いてしまいます。でも、本来ならば、長い石段を上がり鳥居を抜けて……というのが正統なルートです。

石段

今伊勢神社・石段

伊勢町方面から、長い石段が続いております。遙かに上の方に、社殿のお姿が見えております。

鳥居

今伊勢神社・鳥居

石段の中程辺りに、立派な石鳥居がございます。「今伊勢神社」という扁額も見えます。この階段、それなり急です。手摺りがないため、要害山入口から上っていく方がおられるのも仕方ないかと。鳥居をすべておさめた写真を撮るためにかなり後ずさりしましたが、これは何とも危なっかしい状況でした。

社殿

今伊勢神社・社殿

拝殿からご本殿が見えております。

今伊勢神社・本殿

脇から拝見したご本殿です。屋根のかたちがよく分かります。

今伊勢神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒739-0511 廿日市市宮島町伊勢町
(※Googlemap にあった住所です)

アクセス

桟橋からほど近いところに「要害山」という看板が立った階段がございます。そこから上っていくとすぐです。しかし、この場合、最初はそっと通り過ぎて、ご本殿前の階段を下りて行ってください。そして、下から上り直すことで、正式にお参りすることが可能です。

参照文献:『宮島本』、『安芸国の城館』

今伊勢神社(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想

今伊勢神社(廿日市市宮島町)・まとめ

  1. 厳島神社の末社のひとつ
  2. 伊勢神宮を勧請したため、「今伊勢神社」と呼ぶと伝えられる。ご鎮座地付近は伊勢町となった
  3. 厳島合戦の時、毛利元就はこの神社のご鎮座地がある要害山に城を築いた。この山は今伊勢神社が鎮座していることから「宮のある尾根=宮の尾」と呼ばれるようになった。城も、「宮要害」「宮ノ城」などと呼ばれたらしい。現在は「宮ノ尾城」と書かれている解説書が多い
  4. 伊勢神宮から勧請されているので、天照大神が御祭神。関連する神さま方も多数合祀されている
  5. 桟橋から向かうと、要害山を目指していけばすぐにご鎮座地に到着するが、本来の参詣順路は伊勢町から石段を上り、鳥居をくぐって行くべきところ

Googlemap を見ていると、要害山の跡地としてマークされている場所と、今伊勢神社はまったく別物とわかります。当然、別物なんですが。しかし、要害山つまり宮ノ尾城の全貌は不明と言うほかなく、かくも桟橋から近い場所が開発されていないことは考えれません。というようなことで、要害山に上がっていくと、周辺の山にある観光資源が、要害山の中にあるものか、まったく別の付近の山にあるものかは分からないというのが正直なところかと。

宮のある尾根に建てられた城なので、宮ノ尾城という認識であれば、今伊勢神社は要害山の中にある、ということになります。そうでなくとも、要害山が最初の目的地だったため、それこそ、「あ、城跡に神社あった」となりました。ここで終わると、鳥居もないのかなぁ? となります。数え切れないほど通っていてそうなので、一度きりのご訪問という方には、要害山は素通りかなと。厳島神社と弥山、大聖院や大巌寺に赴くだけで、時間はまったく足りないからです。

何度もお参りした最後に、鳥居を探そう……となって、山から下りて行き、もう一度下から上り直して正式なお参りをすませるまで、数年かかりました。このやり方ですと、いったん社殿を通過してからやり直しているかたちとなりますので、本来は最初から伊勢町をスタート地点にすべきなのです。しかし、宮島って、島外の観光客にとっては、意外と道の繋がりが分かりづらいのです。地元の方と同じくらいに、あそこに行くのはここからです、とご説明できるようになりたいな、と思います。いつの日かきっと。

こんな方におすすめ

  • 厳島神社の摂社・末社を極めている方
  • 普通に神社巡りを趣味としている方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

確かに俺たち、最初はすごくマナー違反だったかもね。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

いや、じつはね、車で来ると駐車場からいきなり社殿とかいう神社さま多かったりするんだよね。

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

だって、ここには車で来たわけじゃないよな。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

目的は神社ではなく、元就公ゆかりの城跡……

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

お前もいい加減にしたら? 城跡のことも調べているけど、難しいんだよ。ここでは神社の話しをしているから、お前とは無関係だ。毛利元就がこの神社に参詣した可能性についてでも調べたら? 創建年代突き止めてくれたら、俺たちも助かるし。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(仕官)
鶴千代

そうだな。作戦決行地点は博奕尾だが、勝利をおさめた後は、きっとこの城にもおいでになって、将兵の労をねぎらわれたはず。その時には……

五郎セーラー服吹き出し用イメージ画像
五郎

だから、ここでは城の話はしてないから。人の話をちゃんと聞けよ。

腰少浦神社付近での記念写真
みやじま・えりゅしおん

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ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
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