みやじま・えりゅしおん

大願寺(広島県廿日市市宮島町)

大願寺

今回は厳島神社の出口からほど近い場所に位置する、大願寺さまをご紹介します。とにかくみどころの多い寺院さまです。神仏習合時代の仏教系の仏像その他を多数引き取っておられることでも知られています。大聖院と並んで、宮島の二大寺院さまのひとつといえます。厳島神社のすぐとなりなので、特に意識せずとも、ご参拝している方が多いかと思います。(訪問回数5回以上)

広島県廿日市市宮島町の大願寺とは?

真言宗の古刹です。開基は不明ながら、 鎌倉時代に了海という僧侶によって再興されたといわれています。やがては、普請奉行を務め、寺院の造営・改築などを差配する地位に就くまで発展しました。元々は、塔の岡の麓にあり、五重塔、多宝塔、千畳閣などの仏教系建物とともに、一大伽藍を形成していました(厳島伽藍)。現在は山門と本堂を残すだけとなっていますが、護摩堂が再建されるなど、かつての賑わいを取り戻しています。

厳島神社の御祭神・市杵島姫命と習合していた弁才天は、大願寺の本尊となり、ほかにも多くの廃寺となった寺院の仏像などを引き取って守り伝えておられます。五重塔、多宝塔、千畳閣のかつての本尊もこちらにございます。国の重要文化財指定を受けた仏像が多数あるなど、みどころが尽きません。

大願寺・基本情報

所在地 廿日市市宮島町北大西
山号・寺号・本尊 亀居山・放光大願寺・薬師如来
宗派 真言宗
(参照:『宮島本』、『広島県の歴史散歩』)

大願寺・歴史と概観

普請奉行としての役割を担う

「奉行」ときくと、なんだか江戸時代を扱った時代劇なんぞに出てくるナントカ奉行の類を想像してしまいますので、寺院さまが御奉行さま!? となりがちですが、奉行という言葉そのものには○○奉行とあれば、○○を担当している程度の意味もあるようで、文字通り厳島において、普請を担当している寺院さまだったということです。

普請という言葉がまた、わからない、となりそうです。要するに建築一般。寺社の修繕や増改築などを差配していたというわけです。

瀟湘八景と『尊海渡海日記』

「瀟湘八景」とは、尊海というお坊さんが、高麗版一切経を手に入れるために、朝鮮に渡った際に買い求めた品です。この時に書かれた紀行文が『尊海渡海日記』です。この日記ですが、国指定重要文化財となっており、じつはこれ、この屏風の裏側に書き込まれています。

せっかく渡海したにもかかわらず、朝鮮国王は一切経を譲ってはくれず、徒労に終わりました。この時の渡海には、大内義隆の助けを借りています。ですので、『大内氏実録』にも記述があります。間違いやすいのは、尊海さんはご住職道本さんのお使いとして朝鮮に行ってる点。

「厳島大願寺の道本、一切経を求むるの疏及び勘合を請ひて使僧を朝鮮に渡しけるが、漸く本年五月九日釜山浦にいたり、閏六月八日国都に入り、十六日に礼曹に面して一切経を獲んことを請願するに、近ごろ仏を敬せず、寺塔を焼却せしを以て蔵経なしと答ふ。しかれ共使僧滞在して八月廿三日再願せしが、終に獲ること能はずして帰国せり」

とあって、この「使僧」=尊海さんと思われ、お名前が出てきません。けれども、『宮島本』によれば、一切経を獲得するように住職にすすめたのは尊海さんで、朝鮮渡海ではもらえなかった一切経はのちに、長門の寺院から譲られたと書いてあります(詳細は、直接『宮島本』で)。でもって、尊海さんご自身ものちに、ご住職になっておられます。

秘仏・弁才天

厳島神社、江島神社、竹生島神社が日本三大弁才天(弁財天)だって話をした時に、触れた気がします。神と仏が分かたれた現在、厳島神社と弁才天は無関係、って扱いになりました。ですが、かつて神仏習合していた時代には、市杵島姫命さまと弁才天とは同一視されており、人々はこれらの神社にお参りするとき、弁天様にお参りしてる、って感覚だったんですよね。現在、大願寺さまにある弁才天はもともとは厳島神社から移されたものだったのです。⇒ 関連記事:厳島大明神とは?

でも、秘仏の弁財天が簡単に拝めるはずはないので、普通に観光して通りかかった場合、あまり関係ないかも。ただし、ご開帳は毎年一回なので、数十年に一度とかいう絶望的な間隔ではないです。

正月三ヶ日 弁財天護摩祈祷、6月17日 弁財天大祭、毎月1日・17日 弁財天御緣日と、年中行事も弁才天がらみのものが目白押し(年中行事はほかにもございます)。いかに信仰されているかがわかります。

「厳島伽藍」と神仏分離後の仏像

神仏習合の時代には、塔の岡の麓にあったそうです。塔の岡=亀居山(現在も山号として残る)だったのですね。大願寺の境内はもとより、付近の仏教系の建物すべて(五重塔、多宝塔、千畳閣など一切合切)信仰の対象であり(それは今もかわりませんが)、ひっくりまとめて「厳島伽藍」と呼ばれていました。

『宮島本』にもこの言葉についての説明があり、「厳島伽藍」の「中心が大願寺であった」と書かれています。神仏分離の嵐の中で、宮島にあったそれら仏教系の建物がどうなったか心配ですが、立派なお姿のまま、現在も健在であることから、無事だったのだということはわかります。五重塔ほかは、仏教系の建物でありながら、厳島神社の管轄となっています。神社のものである、と主張することで、これらの建物を守ったのですね。

しかし、神社の建物であると主張する以上、そこに仏教系のものが安置されていてはこまります。そこで、たとえば、千畳閣の本尊であった釈迦如来像などは、大願寺に引き取られました。ほかにも多くの、残念ながら廃寺となってしまった寺院さまの仏像などが、大願寺に引き取られて存続しています。

本堂に安置されている仏像四体は、いずれも国指定重要文化財です。「薬師如来像」 「釈迦如来像」「阿難陀尊者像」 「迦葉尊者像」がそれにあたります。

長州戦争講和会議

明治維新の前、長州戦争の和睦会議の場がもたれたのは、この寺院さまでした。長州藩の人と、幕府側からは有名な勝海舟がこちらに赴いて話し合いをしました。いきなり勝海舟って何やねん? と思いますが、そういう関連で名前が出ます(ガイドさん方が必ずご教授くださいます)。その時に使われたお部屋が公開されています。

勝海舟説明看板(高知空港)

じつは、勝海舟ってきいたことあるけど誰? ってレベルなので、テキトーに検索は信頼できないし、事典はつまらないので、上の飛行場にあった看板で勉強(ふるさとの訛なつかし高知空港にあったもの)。

錦帯橋のミニチュア

これも、何でココに? って思うのですが、明治時代にパリ万国博覧会で展示された品なのだそうです(これも、必ずガイドさんからご教授を受けると思います)。ホンモノの錦帯橋を「25分の1」サイズに縮小してはいますが、たいへん精確に作られています。それゆえに、のちに、錦帯橋が災害で流されてしまい再建されたとき、大いに参考にされたといいます。ただし、なにゆえにこの模型が大願寺さまにあるのかという「経緯は不明」(『宮島本』)とのことです。なお、本堂軒下にあります。

錦帯橋(岩国)

模型ではなく、ホンモノの錦帯橋

護摩堂と不動明王

大願寺には立派な護摩堂がございますが、これは平成十八年(2006)の再建物となります。元々の建物は、明治時代に消失しており、じつに140年ぶりの再建だったということです。中には不動明王が安置されています。 この不動明王さまの両脇に「ご神木」白槙が祀られています。これは、小西行長お手植えといわれる元宮島町指定原燃記念物でした。平成期に伐採され、現在は御神木となっているのです。

大願寺・みどころ

大願寺さまには、数え切れないほどのみどころがございますが、マナーの悪い人が後を絶たなかったせいか、ほぼすべての建物は写真撮影禁止です。このことに気付かない観光客の方は数多いのですが、「写真撮影禁止」という立て看板が立っておりますので、ご注意ください。じつは、みどころについては本文中にすでに書いてしまいました。写真撮影禁止となっていると立腹される方が多いのですが、むしろ、本来ならば、宝物庫にでも入れておくべきはずのものを、目に見える形で安置してくださっていることに感謝すべきです。みどころはスマートフォンの中ではなく、ご自身の心の中におさめてください。

山門

大願寺

顔出し看板があることから、ここだけは撮影可能であると判断しました。「禁止」の立て看板もなかったからです。ただし、顔出し看板に入ると、角度が微妙に山門とは違います。ですので、あるいはこれも? と思いますが、その場合速効で削除いたします。

九本松

大願寺・九本松

境内にある 「九本松」。これは、伊藤博文手植えの松とされ、廿日市市の天然記念物に指定されていました。けれども、虫害そのほかで枯れてしまい、本数も減っています。この写真は数年前のもので、現在はさらに少なくなっています(写真撮り忘れ)。

大願寺(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP

所在地 〒739-0588 廿日市市宮島町3
(所在地は Googlemap にあったものです)

アクセス

厳島神社の参詣を終えて、出口からでてすぐのところにあります。

参考文献:『宮島本』、『広島県の歴史散歩』、『大内氏実録』、高知空港立て看板

大願寺(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想

大願寺(廿日市市宮島町)・まとめ

  1. 創建年代は不明。鎌倉時代に了海という人が再興したとされる
  2. かつては塔の岡の麓にあり、五重塔、多宝塔、千畳閣などとともに一大伽藍を形勢。「厳島伽藍」と呼ばれた。その中心が大願寺だった
  3. 明治以降、神仏分離により、五重塔ほかの元本尊、廃寺となった寺院の仏像などが引き取られた。多くの国指定重要文化財がある
  4. 大内義隆期に朝鮮へ高麗版一切経を求めて渡海した僧・尊海による「尊海渡海日記」は、尊海が朝鮮で購入した「瀟湘八景」という屏風の裏に記されている。同日記は国の重要文化財
  5. 厳島神社の御祭神・市杵島姫命と同一視されていた弁才天を引き取り、弁才天を祀る寺院として著名
  6. 長州戦争で、勝海舟が講和条約を結ぶために訪れた際使われた部屋、パリ万博に出品された岩国・錦帯橋の模型、伊藤博文手植えの松などのみどころが多数ある
  7. 明治以来再建されていなかった護摩堂が平成期に再建され、不動明王や御神木が祀られている

とにかく見るべき物が多い寺院さまです。厳島神社のとなりにあるというロケーションから、見落とす方はおられないでしょう。移動時間もほぼゼロですので、恐らくはほとんどの方がご参拝されているはずです。宮島の歴史の中で、非常に大きな役割を果たしてきた寺院さまであることや、多くの貴重な文化財があることなどから、ぜひとも足を運んでいただきたいところです。

貴重な建築物などを惜しげもなく公開してくださっていることから、写真撮影禁止となっているものが多いです。参拝する時には、そのことに十分注意をなさってください。注意喚起看板があるにもかかわらず、写真を撮っている方を多く見かけますが、NG です。恐らくは自宅に戻って記念写真の整理をしている時点でお気づきになる方が多いかも知れません。素直に削除いたしましょう。

なお、写真撮影以外にも、御朱印を集めている方々のマナーが悪いことも、寺院さまを悩ませておられます。御朱印はあくまできちんとお参りをした方にだけ書いてくださるものです。もちろん、皆さまその点はご存じと思いますが、最初に御朱印をもらってからお参りという順序ですと、とてつもなく無礼なことになります。集める趣味がありませんので、他人事と思っていましたが、授与所にも、入口にも「お参りしてから」という注意喚起の看板や貼り紙がございます。つまりは、そのようなマナーを守らない方が多い、ということです。お叱りを受けることがないよう、念のため。

こんな方におすすめ

  • 由緒ある寺院を巡るのがお好みのすべての方
  • 弁才天信仰の方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

ミル吹き出し用イメージ画像(怒る)
ミル

大願寺の尊海というお坊さま、有名ですよね? あなたが朝鮮の王様に『一切経ちょうだい』って手紙かいたはずだけど、覚えてます?

義隆
殿様

ふうむ。そんなようなこともあったような……。おおお、そういえば、しつこく頼まれたから書いてやった気もしないではないなぁ……。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒)
五郎

(何なんだ? このぼんやりぶり。殿様じゃなかったらぶん殴ってる)

腰少浦神社付近での記念写真
みやじま・えりゅしおん

宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。

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ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

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