
広島県廿日市市宮島町の「厳島神社○○」となっている建築物とは?
名称が「厳島神社○○」となっている建築物とは、厳島神社宝物館、厳島神社御文庫、厳島神社宝蔵など明らかに厳島神社に関連する建築物とわかるものはもちろんのこと、一般に、五重塔、多宝塔となどと呼ばており、それ単体が著名な建築物となっているものにも、「厳島神社」の名前を冠しているものがございます。正式には「厳島神社多宝塔」「厳島神社五重塔」とお呼びします。つまりこれらはすべて、厳島神社に所属する建物なのです。
「厳島神社○○」となっている建物は、そのほとんどが厳島神社の周辺にございます。それらの建築物についてまとめてご紹介いたします。
「厳島神社○○」となっている建築物・概観
今回ご紹介するこれらの建築物はだいだい以下のような範囲内にあるものとなります。ほとんどが厳島神社の周辺にございます。
「厳島神社○○」となっている建築物・みどころ
具体的には、厳島神社五重塔、厳島神社多宝塔の二つの国指定重要文化財。それにプラスして、呼び名は違えど、普通どこの神社さまにもある宝物庫の類があります。五重塔と多宝塔は理解しやすいですが、宝物庫類までが国指定重要文化財になっていることがスゴいです。つまり、それらの建物にも由緒がある、ってことです。
厳島神社五重塔
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厳島神社五重塔(広島県廿日市市宮島町)
宮島のシンボルとも言える朱色の五重塔。高台に建つその姿は、厳島神社をはじめ、宮島の主要観光スポットから仰ぎ見ることができ、多くの人々に絶好の被写体を提供している。
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なお五重塔が建っている岡は「塔の岡」と呼ばれており、厳島合戦史跡の一つとなっています。詳しくは「塔の岡」をご覧ください。⇒ 関連記事:塔の岡
厳島神社御文庫
厳島神社に向かって参道を歩いて行き、神社には入らずになおも真っ直ぐ進んで行くと左手のほうにあります。名前の通り大切な文書を納めた場所です。見た目すごく新しくて綺麗なんですが、江戸時代の建物です。『宮島本』に、「寛政年間 (1790年代) 光明院の僧学信の発起により建てられ」たとあります。建物と中にある書籍とをセットにして、神社に奉納したんですね。
「名山蔵」と呼ばれ、中には孔子が祀られていたというので驚きです。「『二十一史』『十三経』など貴重書を納めていた」(『宮島本』)と、過去形になっているのですが、現在も蔵書置場として使われているのでしょうか?
背後に見えているのは千畳閣となります(上のほう)。
厳島神社宝物館
長い歴史をもち、多くの人々の崇敬を集めた厳島神社なので、伝えられている宝物もものスゴいものばかりです。平家一門にかかわるものから、大内氏の家宝まで(ほかにも大量にあるだろうけど、多すぎてよくわかりません)。それらがすべて、常に人目に触れる場所に公開されているとは思えませんが、貴重な文化財の数々をこの目で見ることができる場所です。
とはいえ、このようにして、神社や寺院の宝物を大切なものとして伝えて行こうという思想が発展したのは、じつはそう古い話ではありません。もちろん、個々の寺社さまはご自身のお手元に伝えられてきた宝物を大切にして来られました。けれども、個々の寺社さまにできることには限りがあります。やはり、国などの公的機関のサポートが絶対に必要です。にもかかわらず、文化財保護法ができたのって、戦後のことだったりして、この分野の歴史は浅いです。
明治時代にも「古社寺保存法」というものがあり、厳島神社の社宝も「特別保護建造物」や国宝となりました。けれども、この法律が発布されたのは明治三十年(1897)のことで、それまでには国内の数多くの貴重な文化財が海外に流出するなどして失われてしまいました。なんとももったいない話です。
宝物館の建物は昭和九年(1934) に建てられた普通の鉄筋コンクリート建造物ですが、いかにも荘厳な和風建築といったデザインで、見るからに立派です。それゆえにか、この宝物館じたいも国指定重要文化財となっています。設計者は大江新太郎氏、扁額は明治三十八年(1905) に制作されたものが使われており、九鬼隆一氏の手になるものです。
厳島神社多宝塔
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厳島神社多宝塔(広島県廿日市市宮島町)
永正年間創建の多宝塔で、内部には薬師如来が安置されていた。廃仏毀釈の時代、仏像は大願寺に引き取られ、加藤清正を祀る神社となっていた。現在は厳島神社により管理されている。
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厳島神社宝蔵
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厳島神社宝蔵(広島県廿日市市宮島町)
厳島神社の宝物を納めていた宝物庫。現在は使われていない。建物自体に歴史があり、創建は平清盛による本社再建の頃と推定される。現在の建物も室町初期のもので、重要文化財。
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「厳島神社○○」となっている建築物(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
所在地 & MAP
厳島神社五重塔
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厳島神社御文庫 〒739-0588 廿日市市宮島町大町1−4
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厳島神社宝物館 〒739-0588 廿日市市宮島町1−1
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厳島神社多宝塔 〒739-0588 廿日市市宮島町 70−2
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厳島神社宝蔵 〒739-0588 廿日市市宮島町中江町1−1
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おすすめルート
宮島に来たら何はともあれ、まずは厳島神社に直行! という場合は神社を見てから時間があれば周辺も……となります。けれども神社じたい、海上に浮かんでいるという独特な建築様式であるため、そこまで広大な敷地というわけではありません。なので、周辺に立ち寄る時間はじゅうぶんにあると思います。そもそも、無意識のうちに見てしまっているようなものがほとんどであるはずなので、ちょっとだけ意識して、これは何なのか、を確認すれば OK です。
まずは、神社入り口付近に、厳島神社御文庫があります。神社の入り口よりやや先にありますため、神社に入ってしまうと参詣前の見学・参拝はできません。ですが、神社内部は一方通行であり、帰り道で御文庫前を通ることになる(意図的にほかの脇道を通って戻った場合などを除きます)ため、あまり気にすることはありません。出口 ⇒ 柳小路 ⇒ 筋違橋付近と戻っていくと、三翁神社、荒胡子神社の摂社・末社、厳島神社御文庫の順番に現われます。宝蔵だけは、筋違橋を渡って左折します。宝蔵を左手に見ながら進み、御綾橋を渡ると三翁神社などに続く道に戻れます。
五重塔は参道沿いにはありません。五重塔がある岡に上がるには、四本もの道があり、そのうち一つが参道に接続しています。「神馬舎」の脇から階段を上って千畳閣に出る道です。千畳閣と五重塔が同じ場所にあるため、千畳閣を通り越した先が五重塔となります。いずれの道も階段がかなりキツいですので、足元にはじゅうぶんにお気を付けくださいませ。高さのある建物で、どこからでも見えるため、ほかの登り口も簡単に見付かります。
厳島神社宝物館と多宝塔については、神社の参拝を終えた後、すぐに桟橋に帰らずに寄り道します。宝物館は大願寺の向かいにあり、多宝塔もその隣に見えています。多宝塔は宝物館左手の道を上って行き、最初に現われた道を右折します。これ以外にも行き方はあるのですが、とんでもない石段を上がるなどたいへんなので、遠回りにはなりますが、宝物館左手の道からの行き方をおすすめしています。
参考文献:『宮島本』、『歴史散歩事典』
「厳島神社○○」となっている建築物(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想
「厳島神社○○」となっている建築物・まとめ
- 宮島のシンボル五重塔は応永年間の創建。元は釈迦如来や普賢文殊菩薩を祀る仏塔だったが、明治維新後、仏像は大願寺に移され、塔は厳島神社の所属となっている。
- 厳島神社宝蔵、厳島神社宝物館は厳島神社に伝えられてきた貴重な文化財を保管するための建物で、元は宝蔵が使われていたが、現在は宝物館に移されている。いずれの建物も、建物それ自体も貴重であるため、国の重要文化財となっている
- 厳島神社御文庫は江戸時代に建てられたもの。貴重な書物を保管するための倉庫
- 厳島神社多宝塔は、永正年間の創建とされ、多宝塔がある岡にはかつて大内氏の仮館があった。「勝山城跡」と呼ばれ、石碑が立っている。塔は国指定重要文化財。
厳島神社御文庫だけで一項目たてられるほどの著名サイトであれば、ひとまとめにして書くことはあり得ないのですが……。1ページ1キーワード(メイン)ってことくらいの知識はさすがにありますし……。けど、宮島って見るべきところが多すぎるし、それぞれ歴史が深すぎて全部網羅するなんて不可能に近い(言い訳)。それに、小さなお社などもたくさんありますが、さすがにそれだけでは文字ボリュームが足りないのです。地元の方々ならば、いくらでも心躍る逸話をご存じなので、どんなに小さなお社一つでも中身の濃いものをお書きになれると思うのですが。
というようなわけで、どういう分類にしようかと、毎回ない知恵を絞っております(絞れるような知恵がないよ……)。御文庫、宝蔵、宝物館などが厳島神社のものであることは誰の目にも明らか。敢えて神社の名前をつけるまでもありません。しかし、五重塔や多宝塔が厳島神社○○となっているのは、不思議な気がします。五重塔も多宝塔も、神社というよりは寺院の建築物であることが普通だからです。しかし神仏習合していた時代を思い出せば、これらが神社と深い関係をもっていたとしてもおかしなことではありません。けれども、同じ神仏習合がらみでも、五重塔や多宝塔はその後の神と仏が分かたれた時のほうに大いに関係があります。
明治維新の時、突然に神と仏を分離するように、という命令が出されます。現在の我々から見たら、神社と寺院が渾然一体としていた時代のほうが不可解ですので、きちんと分けることは至極当然のあるべき姿のような気がします。しかし、長い長い年月、普通に融合していたものを分割することは至難の業でした。のみならず、寺院や神社の整理も徹底されましたので、由来がはっきりしないだとか、信仰している人が少ないだとかの理由で、小さな神社や寺院は統合されたり、廃止されたりという憂き目に遭いました。小規模の寺社は経営的にもたいへんですので、ある意味これは仕方のないことです。ですが、統廃合に際して、仏像なども惜しげなく処分されてしまったようなんですよね。新政府はどちらかといえば、神社に優しく寺院に厳しかったので、厳島神社が五重塔や多宝塔を自らの所有物であるとアピールすることで、「神社の建物」として万が一にも破却されたりすることを避けたのでしょう。この辺り、とてもデリケートな問題なので、あまり云々したくありませんが、たまに地元の方がポロッとこぼすことがあるお話です。
こんな方におすすめ
- 厳島神社に関連する建築物はすべて見たい方
- 五重塔、多宝塔など塔が大好きな方
- 御文庫、宝蔵など貴重な物が納められた建物に関心がある方
- 厳島神社の宝物を見たい方(厳島神社宝物館へどうぞ)
オススメ度
いくつもの建築物がありますので、平均値です。
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五重塔って、まさか壊されるかもしれなかったってこと?

さすがに、宮島や瑠璃光寺の五重塔を壊そうとはしないと思うけどね。
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みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
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