広島県廿日市市宮島町の大元神社とは?
宮島の西方、大元公園内に鎮座する厳島神社の摂社です。創建年代ははっきりしませんが、厳島神社摂社・末社の中でも、最も古いのではないかとするご意見があります。起源は島の地主神だったと伝えられているのです。
現在のご本殿は大永二年(1523)に再建されたものとなりますが、それでも数百年前のものです。全国でもここだけという工法「大元葺」を用いた屋根が稀少であるほか、管弦祭や御島巡りともゆかりが深く、さらに「百手祭」と呼ばれる例祭も有名です。
大元神社・基本情報
ご鎮座地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町10
(※Googlemap に書いてあった住所です)
御祭神 大山祇神、保食神、国常立尊
相殿神 佐伯鞍職、大国主神(※)、蛭子神、応神天皇、猿田彦神、興津彦神、興津姫神
主な建物 本殿、拝殿、鳥居
主な祭典 例祭(百手祭)一月二十日
※大国主神以降の神々については、『神社誌』にのみ記載。現地看板には表記なし
(参照:『広島県神社誌』、『宮島本』、現地案内看板)
大元神社・歴史と概観
今回ご紹介する大元神社は、以下の場所にございます(看板写真右下緑枠内)。
ご覧の通り、桟橋からはかなり離れており、一般観光客の皆さま方が訪問なさる主な観光資源としては島内の最も外れに近いです(もちろん、これより先も道は続いております)。とはいえ、厳島神社からはさほど遠くない位置ですので、どうか見落とすことのないようお願いいたします。
大元神社は大元公園の中に鎮座しており、公園付近には水族館などもございます。⇒ 関連記事:大元公園
ご鎮座年代についての二つの説
宮島の摂社・末社はご鎮座年月日が不明であるものがほとんどです。残念ながら、大元神社についてもはっきりしていない、というのが結論です。いちおう、二つの説がございます。
一、鎮座年代不明。しかし、非常に古いと思われる
二、厳島神社と同時期に創建された ⇒ 仁安三年(1168)
以下、それぞれについて説明します。
一、『神社誌』には、「鎮座年月日不詳」で「当島の地主神なり」と伝えられている、とあります。厳島神社の摂社・末社でご鎮座された年代が正確にわかっているものは皆無と言っても過言ではなく、一応の年月日が記されているのは、伝承であったり、研究者の方々の推測のようです。
宮島の「地主神」とありますから、いにしえより続く極めて歴史の古い神社であることだけは確かです(地主神であることも、伝承とはなりますが……)。以前、著名なガイドさんにご案内いただいた時にも、この神社が最も古いのではないかと思う、と仰っておられました(注:個人的なお考えとして)。
二、神社前の案内看板(後述)には、厳島神社再建時の「佐伯景弘解」を根拠として神社の創建時期が記されております。「佐伯景弘解」に記された○○社が前身と考えられている、という記述はほかでもよく見かけます。これを以て、遡れば本社と同時期の創建とするのです。ただし、「考えられている」という但書がついているということは、残念ながら確実ではないのです。
一、二、どちらの説が正しいのか、この場合、『神社誌』と案内看板とどちらを信用したらよいものか困ってしまいます。本来ならば、神社さま前に書かれた案内看板を信用すべきです。けれども、『神社誌』はとても権威あるご本ですので、その記述を疑うこともできません。問題は、ご本の出版年代がやや古い(現在では古書店経由でないと入手不能)であることです。いずれにせよ、はっきりしていない、その一言に尽きると思います。そして、そのはっきりしない創建年代はかなり古いこと。その点だけは確かです。わからないほど古いのですから。
明治十一年(1878)十二月、厳島神社の摂社となりました。この年代については疑いありません。
現存ご本殿
現在あるご本殿は大永二年(1523)に再建されたものとなります。特に典拠は書かれておりませんでしたが、『神社誌』および現地案内看板にそのように書かれておりますので、この点ははっきりしているようです。さらに、『神社誌』には「本殿内陣にある玉殿は嘉吉三年(一四四三)の造立」とありました。
ご本殿は三間社流造、板葺です。拝殿と合せてとても大きいと感じます。宮島島内の摂社・末社はわりとこぶりな社殿が多い中、たいへんに印象深いものです。
大元神社の荘厳な社殿ですが、じつはその屋根が他に類を見ない極めて珍しい工法が用いられており、たいへんに貴重なものとなります。
本殿の屋根の葺方は「大元葺」と呼ばれ、 「六段重三段葺」で全国に例を見ない工法で葺かれている。
出典:『宮島本』
「六段重三段葺」とお伺いしてもピンと来ないのが悲しいですが、とにかく、日本全国見渡してもこちら大元神社さまでしか見ることのできない貴重なものです。そんなことを心の片隅に置きつつ、屋根もチラ見しながらご参詣ください。
百手祭(例祭)
毎年一月二十日に行なわれている大元神社の例祭を「百手祭」とお呼びします。お名前の由来が知りたくて調査中です。『宮島本』によれば、「騎射」と「直会」が行なわれるとあります。騎射はよいとして、「直会」って何ぞ? ってなりますが、神さまにおそなえした食べ物をいただくことのようです。そして、この神さまにお供えする食べ物のことを「神饌」とお呼びしますが、『神社誌』に次のような記述がございました。「神饌は熟飯であって、これを餝飯と呼ぶ」。熟飯は調理した料理、つまりはお供えにする食べ物を生のままではなく調理してからお供えするものですが(参照:Google AI)、「餝飯」のほうがわかりません。
騎射の見学あり、食事会ありで地元の皆さまで仲良く、楽しく過ごしているご様子が目に浮かぶようです。
管弦祭と御島巡り
宮島と厳島神社には数え切れないほどの、魅力的なイベントがございますが、その中でも特に著名なもののひとつが管弦祭ではないでしょうか。また、浦々の神社をすべて巡る御島巡りもよく知られた興味深いものです。大元神社はこの二つのイベントで、大きな役割を果たしている神社さまです。
管弦祭:御座船は大元神社前の海で楽を奏でた後、厳島神社に帰る
御島巡り:浦々の神社を参拝していく行事である御島巡りにおいて、一番最後に参拝する神社
管弦祭については、神事当日でない限り、特に見ることができるものはありません。御島巡りについて少しだけ補足いたします。
「最後に巡る神社」である、ということは、島々を巡り数々の神社に参詣した後、宮島に戻ってくる場所である、一周回ってお疲れ様でした、となるのがココということです。ゆえに、無事に御島巡りを終えることができた人々は、大元神社に参拝すると同時に、確かに全行程を終了しましたよ、という自らの名前を記した記念の額を奉納します。拝殿では、それらの額が所狭しと掲げられているのを見ることができます。
大元神社・みどころ
静寂に包まれた荘厳な神社さまです。厳島神社の摂社・末社はどこもそれぞれに魅力的なのですが、こちらでは特に、社殿の大きさと特徴ある屋根とに注目しつつご参詣くださればと思います。なお、ご鎮座の大元公園は桜の名所ですので、お時間が許せば、桜の季節に訪れるのがオススメです。
鳥居
いつ頃建てられたものなのかは不明です。大元神社は公園の中にご鎮座されている関係上、また、さまざまなルートから辿り着けることなどから、いきなり社殿に着いてしまうことがあります。しかし、マナー的には、こちらの鳥居からきちんと入らなければならない、ということになりますね。
社殿
まさに荘厳のひとことです。一間社が多い中で、三間社であるということの意味がとてもよくわかります。大きいです!
「重要文化財
大元神社
御祭神 国常立尊
大山祇神
保食神
相殿神 佐伯鞍職
例祭日 一月二十日(百手祭)
御由緒 御鎮座の年月不詳
仁安三年(一一六八)
「伊都岐島社神主佐伯景弘解」に
大伴社と記述があるのが
現在の大元神社と考えられる
現在の本殿は大永三年(一五二三)
に再建されたものである」
(看板説明文)
前述の通り、創建年代については、二つの説がございます。宮島では現在、様々な案内看板の類が新しいものに置き換えられて整備が進んでいます。看板が新しくなれば、それが最新の研究の成果であると見なしてかまわないと思います。むろん、新しくなれば、こちらの記事も差し替えます。
社号額
拝殿内に掲げられた社号額には「大元宮」と書かれています。しかし、よく見ると、「大」の字の中に点がありますよね。つまり「太」と読めてしまうのですが、これが正しいのでしょうか。
社殿(脇から拝見)
ご本殿のお姿は脇から拝見するとわかりやすいです。むろん、正面から覗き込むようなご無礼はできません。拝殿から拝み見るものです。
拝殿内の額
拝殿内に掲げられたこれらの額。いずれも御島巡りを終えた人々の奉納品です。かなり古いものから、最近のものまで、実に大量にございます。これだけの方々が、御島巡りを終えられたのですね。全行程を巡ることは、宮島を一周したにも等しく、羨ましい限りです。信仰心篤い方々にとっては、浦々の神社すべてにご参詣できたという達成感も半端なかったことでしょう。
大元神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒739-0588 広島県廿日市市宮島町 10
※Googlemap に書いてあった住所です。
アクセス
大元公園の中に鎮座なさっています。大元公園への行き方についての詳細は、大元公園の項目をご覧くださいませ。現在は Googlemap のナビゲーション機能が格段にアップしておりますので、素直にナビ起動でお任せするのが、迷わずに行ける行き方です。ただし、歩きながらのスマートフォン使用は危険ですので、こまめに道の脇で停止しながら画面を確認するようになさってください。
また、宮島では行き方を示した矢印型の案内看板が至る所に設置されております。以前はなかった所にも真新しいものが設置されるなど、整備のスピードが目覚ましいです。ナビゲーションに頼らずとも、案内看板に示された通りに行けば、たいていのところに辿り着けます。
多宝塔の丘から、あせび歩道を使って大元公園に行く行き方、宮島水族館を目指して行く行き方(宮島水族館は大元公園の向かいです)などがございます。
参照文献:『広島県神社誌』、『宮島本』、現地案内看板
大元神社(廿日市市宮島町)について:まとめ&感想
大元神社(廿日市市宮島町)・まとめ
- 厳島神社の境外摂社のひとつで、大元公園内に鎮座している
- 御祭神は大山祇神、保食神、国常立尊だが、相殿神として厳島神社の創健者とされる佐伯鞍職はじめ多くの神々が祀られている
- 鎮座年代は不明。宮島の地主神であったとする説(『広島県神社誌』)と、平清盛と佐伯景弘が厳島神社を再建した際の「佐伯景弘解」に記された神社がその前身であるという説(現地案内看板)に分れている。いずれにしても、非常に古い創建であることは確か
- 本殿は三間社流造りと、厳島神社の摂社・末社(宮島島内)の中ではとても大きい。また、「大元葺」という独特の工法が用いられている屋根は、全国でもほかに例がない貴重なものである
- 神社の例祭は「百手祭」と呼ばれ、騎射や直会が行なわれている
- 厳島神社の管弦祭で、御座船は当神社前で楽を奏でた後に厳島神社へ帰還する
- 御島巡りで、浦々の神社を巡る際、最後に立ち寄るのが大元神社。よって、全行程を無事に終了出来た参加者たちは、その旨記した額を奉納する。拝殿にはそれらの人々によって奉納された額が所狭しと掲げられている
厳島神社の摂社・末社はどれもそれぞれに魅力的ですので、どこが一番素晴らしいなどと決めることはできません。そもそも神社さまに序列などつけられません(古い時代の神階とか、一の宮、二の宮……の区別などはございますが)。ですが、参詣者それぞれの心の中には、この神社さまのここが素敵とか、この神社さまこそが最高! とか、個人的な感じ方はそれぞれだと思います。信仰の自由が保障されており、また、非科学的なことは否定されている現代においてはそれこそ、何を感じ、どこの神社さまを好きになっても個人の自由です(だと思います)。
正直、厳島神社に関わるところは何でも好きと言ってしまいたいくらいなので、お気に入りの摂社・末社はどこですか? とお問い合わせがあったとしたら「全部です」とお答えします。と書きつつも、やはり、この神社のここは最高だよなぁ。という「感じ方」はございます。また、非公開ながら心の中で好きな順番も存在します。その意味で、こちら、大元神社さまはとても心惹かれる神社さまのひとつです。
「大元桜花」の季節にお伺いしたことがないため、その時期に大元公園がどれほどの人混みになっているのかは想像がつきません。また、百手祭開催日や管弦祭の日も大勢の参詣者が訪れることでしょう。残念ながら、それらもまだ未体験です。その上でなのですが、正直なところ、厳島神社とロープーウエイだけの方々は、大元神社を見落としておられることが多いのではないかな、と思います。参道が人で溢れていてどうにかして欲しい……と思うような日でも、大元公園付近はわりと閑散としています。確かに時間のない方にとっては、島の西端まで足を運ぶ余裕はないのでしょう。
そのことが嬉しいと言ったら失礼にあたってしまうかと存じますが、お陰で神社さま付近は静寂にして荘厳な趣が保たれています。山口の友人たちをご案内した際にも、皆さんとても気に入っておられたご様子でした。厳島合戦の関連史跡を回っている方々で、目的は上陸地の大元浦と「血仏」だったのですが。そのような方々は、正直厳島神社にさえ関心がなかったりします(びっくりですけど、自らも最初はそうでした)。時間の関係もあり、本当にスルーとなりました。それらの方々(神社全般にご興味がない)ですら、奥ゆかしくて荘厳とうっとりしておられたので、大元神社の魅力は相当なものであると確信しました。あまり宣伝して人だらけになってしまうのも嫌だなという我儘勝手な思いもあるのですが。
こんな方におすすめ
- 厳島神社の摂社・末社を極めたい方
- 由緒ある神社巡りを趣味とするすべての方
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
俺、この神社が一番好き。女神さまの神社と同じくらいに。
ミルも大好き。
上陸して、敗走して、亡くなった人々の霊を慰めるために血仏が建てられて。それらすべてを静かに見守って来られたんだ。ここが合戦跡地だったのは遠い昔のこと。今は鹿たちの楽園に佇んでおいでだね。
いつからそんなに大人の会話ができるようになったの?
社殿の荘厳さと鎮守の森の静寂が、敬虔な思いにさせてくれるんだよ。
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みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
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厳島神社境外摂社&末社
世界文化遺産・厳島神社の摂社・末社合計二十五社の一覧表。摂社、末社、外宮、境内社などの用語解説。三翁神社についての説明と、そのほかのすべての神社への歴史、観光情報、所在地アクセスについてがわかるページへのリンクを掲載。
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※この記事は、20241031 に、大元公園の記事から大元神社に関する部分を分離独立させ、加筆・修正したものとなります。