陶のくにの人々

義長政権家臣たち

2022-05-02

陶様
ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

今回は職場の同僚って感じで一緒に政変した人、厳島で戦った人たちをまとめます。弘中さんなんて調べが進めば独立しそうだし、本家に入れるべき人もいる感じがするけど、サブディレクトリになったので、わりとお気楽に移せるから気にしないの。

弘中隆兼

義隆死後、義長政権に仕えた。詳細は以下に記事を移しました。

弘中氏 大内氏重臣の一族・子孫は毛利家に仕え今も続く | 周防山口館
弘中氏 大内氏重臣の一族・子孫は毛利家に仕え今も続く | 周防山口館

『萩藩諸家系図』には、清和源氏であること以外、その出自は不明と書かれている。厳島合戦で活躍した弘中隆包が圧倒的に有名だが、事蹟を残したのは彼 ...

suoyamaguchi-palace.com

僧了善

摂津国住吉の僧である。隆兼に目をかけられて付き従う。隆兼が竜馬場にたてこもった時、毛利氏はその地が険しくて兵が勇敢なので、力攻めすべきではないとして、降る者は一命を助ける、といった。これに誘われて、弘中備中守、同忠兵衛、糸永加賀守等十二、三人が降伏を望んで山を下った。ほかのものは備中守等が敵に降ったのを見ていつとなく逃亡し、了善ただ一人となって隆兼父子に殉じた。

江田安芸新五郎

厳島で戦死した。

『房順記』に、陶、弘中を討ったら、山中を下がるはずなのに、江田安芸新五郎が討たれていないので彼者を討とう、と、三日の夜も元就は一夜陣をすえていたとある。「□処天野紀州隆重へ江田新五討取、首到来すれば弥山下向ある」、とあるだけで、ほかにはまったく所見がないけれども、房顕の記す所を以て見るに陶、弘中につぐ兵であると思われるので、記しておく。

仁保隆慰

義長政権下で、奉行を務めていた。記事は以下に「仁保氏」として移動。

https://suoyamaguchi-palace.com/miura-family/
https://suoyamaguchi-palace.com/miura-family/

suoyamaguchi-palace.com

青景隆著

初め右京進(天文十四年九月廿一日初見)のち越後守となる (天文十八年三月九日より前) 。
長門国衆。天文十七年三月十六日、従五位下を授かる。

天文十八年九月、備後国外郡神辺・村尾の城督となる。

隆著は杉重矩と仲が悪く、重矩はまた長年陶隆房を嫌っていたので、二人を義隆に讒言した。

天文十八年正月、麻生余次郎が家人・小田村備前守を殺した事に関して、 義隆は相良武任に命じて重矩に問うところがあった。重矩は武任に隆房、隆著のことを話した。武任が己が言ったことを隆房、隆著に漏すことを畏れた重矩は、意を曲げて隆房、隆著と交り、己が嘗て讒言したことを武任の讒言にすりかえて、隆著に告げた。隆著は信じず、八月、家人・早河藤左衛門尉を遣わせて、武任に意見をきいた。武任は慮るところがあって、知らないと答えた。そこで隆著は武任を恨み、遂に重矩に心を合せて武任を隆房に讒言し、隆房を反逆させるに至った。

弘治二年、戦死 (死んだ場所不明)。

飯田興秀

初め大炊助(明応九年の御成雑掌注文に飯田小五郎の名がある。興秀の幼名だろう) 、のち石見守となる。大炊助弘秀の子である。興秀は義隆に仕え、義隆の時小座敷衆であった。

天文十九年七月十七日、従五位下を授かる。隆房に与して義長に仕えた。

飯田長秀

興秀の子。初名不明(長字は義長の偏名である)、大炊助となる。義隆に仕え、侍大将ならびに先手 衆であった。父と同じく晴賢に与みした。

天文二十年一月(二月とも)七日、従五位下を授かる。

家中覚書にはその名が見えない。二十四年より前に死んだのだろう。さて、小座敷衆に飯田小五郎があり、有名衆 には侍大将ならびに先手衆の中に見える。長秀の弟と思われる。

阿川隆康

太郎と称す。義隆に仕え、侍大将ならびに先手衆であった。義隆が法泉寺に入ると、隆康はこれに従い 本営を守った。隆康は普段から、自らを十人力があるとほこっていた。人々は皆、その最後の戦闘を想像した。二十九日、義隆は隆康に命じ 嶽山を守る冷泉隆豊等を召還した。隆康はその命を伝えてのち、山中にて甲冑を脱ぎ棄てて逃亡した。人々はこれを見てますます気がくじけてしまったという。義長に仕えて小座敷衆につらなった。

参照箇所:近藤清石先生『大内氏実録』巻十四「叛逆」より

  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

-陶のくにの人々