今回は厳島神社の末社・粟島神社についてご案内します。昔から神職方のお屋敷が多かったとされる滝小路の先にございます。途中にはかつての神職方のお屋敷跡などのみどころもあり、最終的に大聖院に至りますので、宮島の良さをたくさん味わうことができます。ぜひともお立ち寄りください。(訪問回数2回)
広島県廿日市市宮島町の粟島神社とは?
滝町にある厳島神社の末社のひとつ。御祭神は少彦名命です。安産祈願のご利益があることから、女性の信仰を多く集める神社として知られています。滝小路を大聖院方面に向かって歩いて行くと、突き当りくらいの場所にご鎮座されています。
滝小路にはほかにも、棚守屋敷跡や上卿屋敷などがあり、古くからの風情が残る町並みが人気です。厳島神社ご参詣のあと、ちょっと足を伸ばせば行けてしまいます。ほかにも多くのご利益がありますので、女性に限らず、多くの方がご参詣可能です。
粟島神社・基本情報
ご鎮座地 廿日市市宮島町
御祭神 少彦名命
主な建物 社殿、鳥居、灯籠
例祭 五月三日
(参照:『宮島本』、建物は目視、ご鎮座地は Googlemap)
粟島神社・歴史と概観
元は社僧東泉坊の鎮守
『宮島本』のご案内によれば、「元は社僧東泉坊の鎮守で維新後に今の地に移された」ということです。元々はどこにご鎮座していたのかは分かりませんが、神仏習合の時代に、寺院さまと深く結びついていたことがわかります。さて、それではどこの寺院さまと結びついていたのだろう? ということですが、大聖院さまです。
同じ滝小路にある、棚守屋敷跡の説明看板に、「厳島神社は神仏習合の社としてその信仰を集め」とあるように、現在は完全にどこをどうみても完全なる神社である厳島神社も、以前は神社なのか、寺院なのかわからないような雰囲気だったのでしょう(およそ信じられませんが)。のみならず、神社の「管理・運営」には神職である棚守はともかくとして、大聖院や大願寺などの寺院も参画していたわけで。これまでいやというほど、このような例を見てきましたが、厳島神社だけは何となく、古来から現代に至るまで、純粋な神社であったような錯覚を受けていたので、ここも例外ではなかったということに気付かされます。
棚守屋敷や林家住宅には「跡地」がありましたが、元社坊については何一つ残っていないようです。
御祭神・少彦名命
少彦名神(すくなひこなのかみ)は、大国主神とともに、「国造り」をした神さまです。神産巣日神の子で、父神の手の間から落ちてしまったというほど、小さな神さまだそうです。この物語は『古事記』に載っており、少名毘古那神(すくなびこなのかみ)とお呼びします。少彦名命は、『日本書紀』での表記です(参照:『日本 神さま事典』※『事典』では少彦名神となっていました)。
故大国主神、出雲の御大之御前に坐す時に、波の穂より、天の羅摩の船に乗りて、鷦の皮を内剝ぎに剝ぎ衣服と為て、帰り来る神有り。尓して其の名を問はせども答へず、また従へる諸神たちに問はせども、みな知らずと白す。尓して多迩具久白して言さく、「此は久延毗古かならず知りてあらむ」とまをす。久延毗古を召して問ひたまふ時に答へ白さく、「此は神産巣日神の御子少名毗古那神なり」とまをす。故尓して神産巣日御祖命に白し上げしかば、答へ告りたまはく、「此は実に我が子なり。子の中に、我が手俣よりくきし子なり。故汝葦原色許男命と兄弟と為りて、其の国を作り堅めよ」とのりたまふ。故尓より、大穴牟遅と少名毗古那と二柱の神相並び、此の国を作り堅めたまふ。
出典:中村 啓信. 新版 古事記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫) (p.93). 角川学芸出版. Kindle 版.
『神さま事典』には、「医薬・温泉・酒造の守護神」とあります。大国主神とともに国造りを行なったとされることから、ご一緒にお祀りされていることが多いようですが、粟島神社さまではおひとりですね。
厳島合戦時の放火地点?
『宮島本』に、「厳島合戦の時に、陶勢がこのあたりに火を放ち駒ヶ林に敗走した」と書いてありました。吉川元春勢と弘中隆兼らとの小競り合いについては、滝小路のところでご紹介しました。吉川元春は、厳島神社に被害が及ばないようにと消火活動に転じたというあれです。
わざわざ『宮島本』の粟島神社の項目にも書かれていることから、放火地点はここだったのでしょうか? まあ、通り一面という感じであったろうかと思いますし、火が回るのも早かったのでしょう。ここから、厳島神社まではそう遠くないといえ、すぐとなりとも言えませんので。しかしながら、駒ヶ林まで逃げ延びたのは、弘中隊くらいなものでしょう。言い伝えの中に、ほかの著名武将もともに楯籠もったというお話はないですから。古すぎてよくわかりませんし、神社にご参詣するのには不要な知識となりますが。⇒ 参照記事:滝小路・柳小路
物騒な合戦時の放火地点も、現在は趣のある通りと、地元の方々の信仰篤い神社のご鎮座地となりました。
粟島神社・みどころ
赤い鳥居も鮮やかな神社です。付近の町並みも風情があり、ぜひともお立ち寄りすることをおすすめします。大聖院に向かう予定の方でしたら、ほぼ目の前というくらい近いですし。女性の信仰篤いとありますが、もちろん、性別に関係なくお参りできますし、男性にもかかわるご利益がございます。
鳥居と社殿
町中に佇む神社さまゆえ、とってもコンパクトです。赤い鳥居がひときわ目を引きますので、見落としはないと思われますが。
御由緒看板
「粟島神社
祭神 少彦名命
例祭日 五月三日
少彦名命は大国主命(大黒さま)に協力して、国土開発、殖産興行、社会福祉などに大きな功績を遺された神様です。
商業、産業、醸造、医薬等の守護神として篤い信仰を受けておられます。
殊に病気平癒、安産、家内安全、福徳開運の霊験あらたかな神様として女性の方々の信仰を受けておられます」
(看板説明文)
看板説明文にも、女性の信仰が篤いと書かれておりますし、地元の方にご案内いただいても、同様のご説明があります。何となく、男性が行きにくくなりそう。
粟島神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 廿日市市宮島町
(※Googlemap にあった住所です)
アクセス
大聖院に向かって滝小路を進んで行きます。棚守屋敷、林家住宅といった観光資源を見学しつつさらに進んで行くと、粟島神社に至ります。
参照文献:『宮島本』、『古事記』(現代語訳)
粟島神社(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想
粟島神社(廿日市市宮島町)・まとめ
- 厳島神社の末社。御祭神は少彦名命。大国主神の国造りを助けた神さまとして知られている
- 元は、大聖院の社坊の鎮守神だったといわれ、神仏分離によって現在地に移転した
- 多くのご利益がある中、安産祈願も含まれているためか、女性による信仰がとても篤いという
- 神社がご鎮座する滝町は、元神職の屋敷跡などのみどころが多く、現在もとても趣があるところ
- 大聖院からほど近い場所にあるため、ともに訪れるのがよい
女性の信仰が篤い神さまというのは、わりと耳にします。やはり、安産などのご利益がある神社が多いように感じます。ただし、医療全般に霊験あらたかなので、男性が参詣しても問題ありません。厳島神社だけでも時間が足りないという方が多いですが、最近は大聖院などもとても賑わっておられます。宮島が気に入って、リピートしている方が多いのではないでしょうか。
大聖院への行き方も何通りもございますが、素直に滝小路からまっすぐ行っても、そうでなくとも、粟島神社には目が行くと思います。赤い鳥居が目立ちますので。
厳島神社にはじつにたくさんの摂社・末社があります。宮島島内だけでもすごい数です。スタンプラリーのように、すべてを回る必要もないですが、浦々の神社とは違い、町中にある神社さまは、お姿や御祭神もそれぞれが個性的です。一つ一つの御由緒や、神さま方の物語についても調べつつ、ゆくゆくはすべてにお参りを終えました、となれば理想的ですね。
こんな方におすすめ
- 厳島神社の摂社・末社を極めている方に
- 普通に神社巡りを趣味となさる方に
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
女の人たちの信仰が篤いってなんだろう。神社を信仰するのに性別が関係あるの?
それはね、それぞれの神社さまによって、ご利益が違っているからだよ。もちろん、男性も女性もお参りできるけど、安産の神さまということで、お参りする女性が多いのかもね。
そう言えば、いちいち神社のご利益など考えずにお参りしているね、いつも。
観光客的にはそうなってしまうね。でも、地元の方々はよくご存じだから。本来ならば、叶えて欲しいご利益がある神社さまにお参りするのが理想的だなんだよ。
俺なら武芸の神さまになるなぁ。そうすると、こちらは少し違ってたかも。健康そのものだから、医療とも無関係だし。
いやいや、家内安全、福徳開運があるからね。どなたにもご利益があります。
-
みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
続きを見る
-
厳島神社境外摂社&末社
世界文化遺産・厳島神社の摂社・末社合計二十五社の一覧表。摂社、末社、外宮、境内社などの用語解説。三翁神社についての説明と、そのほかのすべての神社への歴史、観光情報、所在地アクセスについてがわかるページへのリンクを掲載。
続きを見る