広島県廿日市市明石の大歳神社とは?
神社庁さま登録の神社として、廿日市には大歳神社が二つあります。一つは地御前、一つはこちら明石です。最寄り駅は宮内串戸(もしくは路面電車の宮内)となりますが、駅からはかなり距離があります。
廿日市天満宮の兼務社となっており、境内には詳細を表わすものが何もありません。明石の氏神として、地元の方々の信仰を集めている神社さまで、その奥ゆかしい風情は時が経つのを忘れます。
大歳神社(明石)・基本情報
ご鎮座地 廿日市市宮内明石2938番地
御祭神 大歳神
主な建物 鳥居、社殿、灯籠、手水鉢、
主な祭典 例祭(十月第四日曜日)
(参照:廿日市天満宮さま HP、主な建物については目視)
大歳神社(明石)・歴史
宮内明石の氏神
残念ながら、詳しいことは何もわかりません。廿日市のガイドさんと町歩きをする機会があったので、お伺いしておけばよかったと悔やまれてなりません。恐らく、地元の詳しい方であればご存じかと思います。ただし、観光資源的な神社さまとは趣を異にしているため、いわゆる観光資源案内看板の類がまったくありません。よって、現地に一人で訪れて由緒について学ぶのは困難です。
御由緒
当社の創祀は不詳であるが、御神像とともに祀られている薬師如来像に応仁2年(1468)の銘があるので、それ以前の創建であろう。
出典:廿日市天満宮さまHP https://hatsukaichitenmangu.or.jp/kenmu/
唯一見付けられた情報は、兼務社となっている廿日市天満宮さまのホームページに書かれていた上記の内容だけです。
この記述からも、祀られた薬師如来像の銘を手がかりにそれより以前から存在していた、ということしか分らないので、何かと謎に満ちた神社さまと言えるでしょう。
応仁二年(1468)の仏像が残されているというのはすごいと思うのですが、特に文化財指定は受けていない模様です。
唯一はっきりしているのは、大歳神社(明石)は宮内明石の氏神であるということ。この点は上記のホームページにも明記されています。
宮川甲斐守は合祀されているのか?
神社のご鎮座地は、折敷畑古戦場跡がある折敷畑山への登山口に近いです。また、付近にはこの合戦に敗れて亡くなった宮川甲斐守にかかわる切腹岩と呼ばれる大岩もあります(いずれもかなり前に制覇済なのですが、記事の公開が間に合っていません。暫くお待ちください)。登山口はいくつかあり、現在は付近の入口から入ることは推奨されていないようですが、岩の位置は変っていません。そこに、地元の方が甲斐守の霊を祀った祠があったと言われ、明治時代の小祠や社の整理に際して、「明治九年、八坂神社に合祀」されたということです(参照:『宮島本』)。
しかしながら、そうではなくてこちらの大歳神社に合祀されたというご意見もあります。宮内天王社(八坂神社がのちに改名した)には、多くの神々が合祀された旨の記録はあるのですが、具体的にどの神が……という点は明記されていません。しかし、元の甲斐守さまのお社も同じ明石にあり、付近の神社はほとんど八坂神社に合祀されたというのに、この大歳神社はそのままの姿で残っていることから、こちらに合祀されているという言い伝え(?)もそれらしくは思えます。なので、あくまで推論にすぎませんが、ほど近い場所にある大歳神社に合祀されたということは、十分に説得力があります。
先頃、地元のガイドさんのご案内で宮内地区を回る機会に恵まれ、上記の件についてお伺いしてみました。むろん、正解には辿り着けませんでした(史料が存在しないため、誰にも断定はできない)。しかし、地理的に見て、宮内天王社よりも、こちらに合祀されたという説のほうが理にかなっているし、ご自身もそう思う。とのお言葉。ただし、あくまでも、史料がない状態ですから、「諸説ある」としか言えないと仰っておられました。そもそもが、小さな祠のようなものだったようですので、記録など残っていないのでしょう。ですが、地元のガイドさまのご推論ほど説得力のあるものはない、と考えています。
大歳神社(明石)・みどころ
こちらの大歳神社は、こぢんまりとした神社の森の中に、太古の昔から時間が止まったように閑かな時が流れていました。暫しの間、イマドキの喧噪をすっかり忘れてしまいました。廿日市に来たら、是非とも訪れて欲しい神社さまです。
鳥居
社殿
応仁年間から続くものとは思えませんが、かなりの年代モノのように見受けられます。例によって、脇からも拝見いたします。
灯籠
手水鉢
なんか趣がある手水鉢で、年代モノのように見えるのですが。いかがなものでしょうか。
御神木
樹木に注連縄を張って御神木としている神社さまは少なくありませんが、緑に囲まれたこちらの大歳神社さまのそれは、いかにも何らかのパワーを秘めているように感じられました。
大歳神社(廿日市市宮内明石)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 廿日市市宮内明石2938番地
アクセス
宮島口からタクシーを使いました。前日までの旅程で疲れていたので、ホテルのフロントからタクシーを呼んだわけです(5000円かかりました……)。かなり歩くことにはなりますが、折敷畑山への登山口からはほど近いです。登山口までは真っ直ぐの道が延々と続くだけなので迷うこともないはずで、付近まで来たら Googlemap のナビ使用がいいと思います。車ですと、登山口すら一瞬にして通り過ぎてしまいますので、小さな神社を探すのはそれこそ困難で、運転手さんを困らせてしまうことになります(でも、広島のタクシーの運転手さんはとても親切です!) ※徒歩で行く場合、広島電鉄の宮内駅もしくは JR 西日本の宮内串戸駅をお使いください。
参照文献:『宮島本』、廿日市天満宮様HP、広島県神社庁様HP
大歳神社(廿日市市宮内明石)について:まとめ & 感想
大歳神社(廿日市市宮内明石)・まとめ
- 宮内明石地区の氏神
- 創建年代は不明ながら、神像とともに祀られている薬師如来像に応仁二年の銘があることから、それより以前には存在していたものと考えられている
- 御祭神は大歳神で、毎年十月第四日曜日に例祭が執り行われている
- 付近に折敷畑古戦場跡がある、折敷畑山への登山口があること、宮川甲斐守が祀られた祠があったとされる大岩からほど近い場所にあることなどから、同祠はこの神社に合祀されたという意見がある。しかし、公式見解としては、『宮島本』に、明治時代に宮内天王社に合祀されたとされている
- 宮内天王社の兼務社となっており、同社のホームページにわずかな説明文が載っている以外、詳細は不明
宮内天王社に参詣したのと同じ日、Googlemap のナビゲーションを見て、ほぼ真っ直ぐな分りやすい道が続いていたことから、そのまま宮川甲斐守の岩まで向かいました。途中の道はきちんと舗装され、小型のトラックなどが飛ばしていたりするのですが、左右を中国山地の山に囲まれなんとも風情ある道行きでした。とてつもなく長い距離を歩き、ついでにこちらの神社さまにも向かおうと思いましたが、ナビによれば、徒歩45分とありました。往復することを考えれば1時間半。宮内天王社から岩までもかなり長時間歩いていました。体力的には、何ら問題なかったのですが、時間が四時近かったので、一時間半かけて岩から神社まで往復し、また岩の所から何時間もかけて宮内の駅までは戻れないと思い諦めました。道路が舗装されているくらいなので、山道ではないのですが、途中どなたとも出逢わなかった道ですので、どことなく心細かったからです。
翌日はさすがに疲れていたので、また同じ時間をかけて岩まで向かい、そこからさらに45分×2歩く気がしませんでした。車ならばあっと言う間だと思い、ホテルからタクシーを呼んでもらいました。しかし、タクシーの運転手さんもご存じない。ホテルのフロントのお姉さんも同様でした。皆さま「きいたこともない」といった雰囲気です。ホテルからほど近い地御前の大歳神社さまのほうはご存じなのですが。とりあえず行ってみましょうとなりましたが、上記のご鎮座地を入力しても、カーナビには出ません。これ、常に裏切られて悲しいのですが、地元密着型の寺社さまで、所在地も奥まっている場合、これらの〇〇番地だけではまるでどこなのか分らないのです。恐らくは、街中の何丁目何番地のように住所表記が整備されていないのでしょうね。〇〇番地という範囲が異常に広かったりするのです。こうなるとお手上げです。正直、ナビ起動で歩いたほうが見付けられたりします。
地元の方すらご存じなく、ベテランのタクシードライバー様が、道々地元の方にお尋ねくださったのですが「知りません」の方ばかり。最後に「知っていますよ」というご夫婦に行き逢ったのは、神社の真横でした(車からだとわかりにくく、到着していたことに気付いていない)。そのくらいご近所の方しかご存じない、ということです。こういう迷惑な乗客ほど、タクシーの運転手さん泣かせの人物もいないのですが、とても親切なお方で、何度も何度も付近の民家に声をかけて探してくださいました。あれからもう、かなりの時間が過ぎてしまいましたが、本当に感謝しております。同じ運転手さまとのエピソードはまだまだ続きます。
こんな方におすすめ
- 閑静な自然の中にある奥ゆかしい神社さまが好き
- あまり人に知られていない神社さまに惹かれる
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
やっぱりさ、多少暗くなって寂しくなっても、強引に一日目に神社まで行っておくべきだったね。そうすれば、運転手さまを困らせることもなかったんだよ。
あのさ、歩いたら三万五千歩かかるからね。ミルが「歩けます」といっている距離は、普通のイマドキの民にはおよそ無理だよ。タクシーの代金からどのくらい遠いかがわかるよね?
-
はつかいち町歩き
廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。
続きを見る
※この記事は 20240618 サイトの統廃合によりURLを変更して移動されたものです。
元ドメインでの公開日:20240518
なおもリライトが続いております。