海印寺

ごく普通の地元の寺院といった雰囲気。
よほどの寺院マニアでない、有名観光地を回っている一般観光客が目に留める可能性はあまり高くないかも。残念なことに、自治体サイト様などでも、あまり言及がないから。
陶興明、興昌の供養塔が発見され、地元の権威の先生の手で身元が明らかとされた。
マイナーな二人の有名な供養塔だ。彼らの供養塔は当寺院内に静かに安置されている。

ここは、陶一門のうち二名の供養塔があるという点で、とても貴重で外せない場所なんだよ。

亡き後に供養してくれる人、残された断片から史実を明らかにしてくれる人、そんな人々の存在に感謝する場所だ。

供養塔

さて、ここにある供養塔は、隆房の兄・興昌と伯父・興明のもの。二つとなり合って並んでいる。隆房の名を出さないと一般人にはなじみがないかもしれない。
これらの供養塔には、偶然にも見つかったものが、著名な研究者である先生のもとにもちこまれ、先生の緻密な調査によって、誰のものであるか明らかになったという経緯がある。もともと、誰のものか分からず放置されていた古い石塔を、丹念に調査し身元を調べてくださった研究者の方々がおられたのだ。
地元研究者のご尽力には頭が下がる思いだ。皆さまの地道な研究や調査のお陰で、今日我々が貴重な文化財を拝めることを思うと、到底、先生方に足を向けて眠ることはできない。供養塔はアイキャッチにいれてあるよ。
写真向かって右が興昌、左が興明である。

ちなみに、興明供養塔には「基礎の塔身だけ」しか残っていなかったので、現在は「別物の笠」がのっているそうだ。なお……興明供養塔は龍豊寺にもあり、こちらの供養塔の謎を解明したのと同じ、陶氏研究の権威・播磨定男先生のご研究で判明した。
その存在の発見から、事実が明らかになるまでのご苦労については、播磨定男先生の論文に詳細に書かれている。当該論文は、『山口県の歴史と文化』というご本におさめられているので、ぜひご覧ください。この本は、一見すると観光ガイドブックのようなタイトルだが、そうではなく、播磨先生の論文集。こちらの供養塔のほかにも、興味深いことが色々と学べる。

確かに、このような形の石塔はごろごろ転がっており、刻まれた文字なども消えかけているので、供養されている人物を探し出すのは至難の業だろう。
龍文寺の石塔が手つかずのようにみえるのも頷けるというものだ。

入り口石碑の字体がポップ。周囲はとてものどかな雰囲気。
供養塔については、説明看板にさらりと書いてあるだけ。市外、県外の観光客が偶然、寺内に入った場合、どこのだれのことなのか分からないかも。
何しろ、陶家「ゆかりの」宮島の地ですら、「陶」(とう)と読む地元民の方がおられるくらいなんだ。

合掌地蔵尊

 


合掌地蔵は「こえかけ」地蔵と読む。
日本には様々な神様、仏様がいらっしゃる。その中でも親しみやすく、人気があるものの一つがお地蔵様だ、と著名な観光ガイドさんから教わったことがある。
仰る通り、お地蔵様は生活の中に溶け込んだ身近な存在。どこの町や村にもお地蔵様は必ずいらっしゃる。あるいは目抜き通りの入り口の目立つ場所に、あるいは端っこにひっそりと。
そんなお地蔵さまに、ご近所の人が涎掛けを作ってあげたりして、皆に大切にされている。実際には、あまり意識して見たことがない類の人種だが。
ここ海印寺にも沢山のお地蔵様がいらした。そして、この看板に書かれた言葉が、とても素敵だな、と思った。
寺内にはお地蔵様についての説明看板があった。
もしかすると、これがメインの寺なのかも?
元々、興明供養塔は地蔵堂の脇にあったとのことだが、その地蔵堂とこちらが同じものなのか、不明。

さらに、お地蔵様も大量にあるため、どれが説明文に書かれているものなのか分からなかった。

何だよ、何も分からいんじゃないか。それに……この陶興昌って?

(そうだよ、君のお兄さんだよ。でも、今は知らなくて良いよ。お兄さんはまだ元気で生きてるもんね。)

初出:2020年4月16日 周防山口館「陶氏ゆかりの寺」改編

〒746-0082 山口県周南市大字下上横矢1754
0834-62-0642