はつかいち町歩き

正覚院(廿日市市天神)

正覚院・「こうやくん」

広島県廿日市市天神の正覚院とは?

奈良時代創建の古刹です。開基は行基、のちに、弘法大師によって真言宗に改宗されたと伝えられています。藤原姓厳島神主家が鎮守として勧請した天満宮の別当寺を務めていました。神主家の祈願所でもあり、あつく信仰されていたと思われます。

神と仏が分かたれたのちも、天満宮と正覚院とは仲良く隣り合っています。由緒ある寺院ゆえ、重要文化財の数が非常に多いです。

なお、天満宮の鎮座する高台は天神山と呼ばれており、かつて、神主家の居城・桜尾城を守る七尾城(桜尾城も含め、六つの城郭があり、連携し合って防御を固めていた)の一つ、篠尾山城があった篠尾山と峯続きでした。現在、城跡の遺構のようなものは何もありませんが、隣り合っていた天神山が残されていること、また、正覚院の山号が篠尾山であることなどから、当時を偲ぶことができます。

正覚院・基本情報

所在地 〒738-0012 廿日市市天神3−1
山号・寺号・本尊 篠尾山 ・大乗寺 正覚院・不動明王
宗派 高野山真言宗
ホームページ http://shougakuin.com/index.html
(参照:寺院さまホームページ)

正覚院・歴史

行基が開基 弘法大師が改宗

寺院さまホームページを拝見したところ、「開創644年(皇極3年)、創建717年(養老元年)」とありました。たいへんに長い歴史をもつ、由緒ある寺院さまです。

何しろ、「天平9年行基の開基」(観光協会パンフレット)ということですから。その後、弘法大師によって、真言宗寺院に改宗されたのです。対岸宮島にも、弥山、大聖院という著名な真言宗寺院がございますし、弘法大師とのゆかりは言わずもがな。ほど近いこの地に、大師さまにかかわる寺院さまが存在するのも普通に頷けるお話です。

この寺院さまは、かつて廿日市天満宮と習合していました。観光協会のパンフレットにも、「正覚院が天満宮を祀っていたので天神坊と呼ばれていました」と書かれており、その限りでは、あくまで、寺院が正、神社が従の関係です。

天満宮を勧請したのも藤原姓神主家なら、正覚院さまを祈願所と定めたのも同じく、藤原姓神主家でした。寺院さまホームページにも天満宮の別当寺だったとございます。寺社ともどもに、神主家とのゆかりが極めて深かったことがわかります。

神仏習合が理解しにくい理由には、寺院の中に神社が、神社の中に寺院が!? というかつての思想が現代人には受け入れがたいこと、そもそも現在は寺院と神社はきれいに分かたれて住み分けができているため、一つになっていた時代のお姿を想像するのも難しいことなどがあります。

聖徳太子が仏教を国教のごとく定めたおかげで、元々いらした日本固有の神さま方は、なんとなく仏教より下のように扱われていたようです。鶴岡八幡宮がかつては神仏習合してたので、ほとんど「寺」だったという日本史の講義をきいて、信じられなかったんです。今はどこをどう見ても寺院には見えませんからね。この神社だけ特別ということはあり得ぬので、恐らく全国ほとんどにおいて似たり寄ったりだったのでしょう。

まあ、色々と中国地方の寺社を巡ってきて、嫌と言うほど「神仏習合」云々してたのでというお話を聞きましたから、現在は多少のイメージは湧くようになりました。しかし、習合時代の神社の姿はやはり思い浮かびません。

廿日市天満宮は、藤原姓神主家が鎌倉から荏柄天神社を勧請したのが起源でした。藤原姓神主家の登場がさほど古い話ではないので、皇極天皇の御代から存在したこちらの寺院さまのほうが、遙かに古いということになります。

天神山と篠尾山

なお、この正覚院さまと、天満宮さまがある篠尾山はかつての七尾城の一つです。ゆえにてっきり、城の鎮護のために建てられた神社とその社坊だと長いこと誤解しておりましたが、少しく誤っておりました。

取り敢えず、大切なことは、先ず何よりも先に寺院ありき、という点です。奈良時代から存在しておられたので。神社はあとからです。鎌倉時代になってから。

つぎに、篠尾山城の問題です。城の鎮護だった神社と別当寺が存続しているということは、ここは城跡である、と思っていましたが、違っていました。完全に違うかと言えば、その辺りなんとも何ですが。

七尾城については資料が集まったので、そのうちどこかでまとめたいと思っていますが、廿日市は都市化の波が激しく、ほとんどの城跡はきれいさっぱりなくなっています。

寺院さまの山号が篠尾山となっていることからも、いかにもなのですが、実際には城跡は完全に消滅してしまっている場所の一つです。城跡に建っているから寺院と神社は高台にあるのでは? と思います(思っていました)が、違うのです。

篠尾城は「天神山の峯続き」ということで、天満宮と正覚院があるほうは「天神山」と呼ばれておりました(参照:『廿日市町史』、『桜尾城とその時代』ほか)。しかし、『棚守覚書』に「天神山篠尾」なる記述もあるそうで、そもそも天満宮が城の鎮守社のごときものだったことから考えても、城跡にありますという認識は間違っていないかと。ただし、恐らくは、同じ峯続きのところに神社を建てたが、城そのものは隣にあったというような感じで、分れてたのではないでしょうか。

だいたい、最初からこの地にあったのは、正覚院さまなわけで、寺院を押しのけて築城するわけにもいきません。何にせよ、篠尾城と深い関係にあった神社と寺院がある峯続きの山は、天神が祀られていることから「天神山」と呼ばれたと推測します。

なので、寺社に参詣して、城跡に来たと喜んでいたのはじつは誤りで、寺社は破壊することなどできませんから、そのままご鎮座なさっておられますが、城跡のほうは使われなくなり姿を消しました。寺社の存在により、辛うじてその位置が分る程度です。要するに、削り取られてしまったんですよね。

正覚院・みどころ

行基が開基ということは、とんでもない悠久の歴史ですので、寺院さまは重要文化財の山となっておられます。しかし、これほどすごい寺院さまであるのにもかかわらず、入口がわかりません。何かが間違っていると思い、周辺をウロウロして探しましたが、ひょっとしてドデカい山門はないのでしょうか? もう一度参詣して確認をと思いつつ、いつでもいけると思い後回しになってしまっております。

遠景

廿日市天満宮・外観

ご覧のように、天満宮と正覚院とは隣り合っております。

寺号碑

正覚院・寺号碑

この寺号碑なんですが、敷地外(つまり山頂ではない場所)にも立派なものがあるようなのです。つまりはそこが正規の入口なのではないかと思われるのですが、探せませんでした。下には墓地しかないので、徘徊するのも躊躇われますし。でも、そちらから拝見すると、立派な伽藍が見えていたのです。そこにどうやって入ればいいのか分らず。

天満宮脇の入口

正覚院・鐘楼

真言宗のゆるキャラ!? こうやくんがお出迎え。天満宮隣から入るとこちらが入口となります(※他の入口が存在するかについては調査中です)。

文化財案内版

正覚院・文化財案内版

ものすごい数の文化財があることがわかります。これすなわち名刹の証です。

聖観音像

正覚院・聖観音像

麗しいお姿の聖観音さまがおられました。

地蔵尊

正覚院・お地蔵さま

いつも不思議に思うのですが、六地蔵さまってよく聞きますが、六体のお地蔵さまの真ん中にリーダーの如く、一回り立派な一体がおいでになるこれら。ほかの場所でも嫌というほどお参りしてます。六体ではないので、六地蔵さまではないのですよね? 六地蔵+一体。なんで?

お気づきかと思いますが、ご本堂がわからないのです。ないはずはありませんから、見落としているはずなんですが、天満宮さまのお隣にあるのは、これだけなのです。墓地から見える立派な伽藍へはどこから?

正覚院(廿日市市天神)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒738-0012 廿日市市天神3−1

アクセス

廿日市駅から徒歩圏内(路面電車の駅から見えています)。周囲は住宅地で、道は多少わかりにくいのですが、高台に存在するため見付けやすいです。

ひろでん廿日市駅を使うことをオススメします。常に JR を使っていますが、先頃、友人たちを案内した時、つぎは宮島行こう、って時に、フェリー乗り場近くに着くという理由でひろでん廿日市駅を使いました。すると、待合室から天満宮が見えてました。JR から行くと、それなり歩くのがたいへんでして、ナビ起動でどこにあるん? となってましたが、路面電車の駅からは見えている訳で、そのまま見える方角に進むだけだからです。微妙な差異ではありますが、少しでもショートカットするのは町歩きの鉄則です。

参考文献:観光協会パンフレット、寺院さまホームページ、『廿日市町史』、『桜尾城とその時代』

正覚院(廿日市市天神)について:まとめ & 感想

正覚院(廿日市市天神)・まとめ

  1. 奈良時代、行基によって創建されたと伝えられている
  2. のちに、弘法大師・空海によって真言宗寺院となった
  3. 藤原姓厳島神主家が鎌倉から天満宮を勧請。その別当寺を務めた
  4. 当寺院も神主家の祈願所としてあつく信仰された
  5. 創建年代の古い寺院であることから、数多くの重要文化財がある

未だにご参詣できていない寺院さまです。ご参詣できていないのに記事があるのはおかしい? そうかもしれません。ですけど、お伺したことは事実ですので。立派な伽藍が並んでいるのを見たのは蜃気楼ではないと思うのです。ですが、天満宮さまの脇から入ると写真にある通りのものしか拝見できず。

階段があったので、下りていったところ、墓地に出てしまったように記憶しています。とても広い墓地ですので、檀家の方も多いと思われます。恐らくは、墓参に来られた皆さまがご本堂に御挨拶なさるはずで、伽藍も高台ではないところにあったように思うんです(やはり蜃気楼かな?)

しかし、遠目からもそれとわかるように、天満宮と並んで正覚院の文字がくっきりと浮かび上がっているため、当然上に上がっていきますよね。何かが違っている気がしてならず、何度かお伺したのですがだめで。洞雲寺の穂井田・桂夫妻墓所のこともありますし、ひょんなことから謎が解けるかもしれません。

こんな方におすすめ

  • 由緒ある寺院さまを参詣して回っている方
  • 廿日市天満宮に参詣に来られた方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

上にはこうやくんがいただけだよね?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

そうなんです……。どこに入口が? 当然、こうやくんは入口にいたと思うんだけど。でも、ご本堂はどこ?

鶴千代吹き出し用イメージ画像(怒る)
鶴千代

お前らまともに町歩きやっているのか?

五郎吹き出し用イメージ画像(怒)
五郎

お前に言われたくないよ。SITEOWNERに頼んで、広島県寺院沿革史も買ってもらおう。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

いや、似たようなご本はあるはずだけど、寺院沿革史は山口県のだからね。あと、あの人、お金ないからね。賀茂郡史が3万円したとか、神社誌が2万円したとか、君、金銭感覚ゼロだね。

大頭神社・鳥居
はつかいち町歩き

廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。

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  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
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