はつかいち町歩き

宮迫明神社(廿日市市宮内)

宮迫明神社・全体像

広島県廿日市市宮内の宮迫明神社とは?

厳島神社の御祭神・市杵島姫命をお祀りする神社です。女神がお住まいとする場所を探し求めていた時、この地に至ると足元から雉が飛び立ちました。驚いた女神は向かいの島に渡られたとか。向かいの島=宮島を指しているのかは不明ながら、浦々の神社にも似た、お住まい探しの伝説に浪漫が感じられます。

近現代の宅地化の波が激しい廿日市にあって、ご鎮座地を探すのにきわめて苦労する神社さまです。

宮迫明神社・基本情報

ご鎮座地 〒738-0034 広島県廿日市市宮内
※民家の脇にあるためプライバシーに配慮し、正確な住所は記せません。
御祭神 市杵島姫命
主な建物 鳥居、社殿、灯籠 
主な祭典 例祭 十月第二日曜日
(参照:廿日市観光協会ガイドさま資料、建物は目視確認)

宮迫明神社・歴史

これほど魅力的なご由緒なのにご存じの方が少ない神社

『宮島本』には以下のような記述があります。

厳島明神を祀る。昔、市杵島姫命が永住の地を求めてこの地を訪れられた。ところが、足元から雉子が飛び立ち驚かれて向かいの島に渡られたという伝説がある。この故事によって厳島明神を祀ると伝える。
出典:『宮島本』177ページ

この「故事」に惹かれ、いつの日か訪れたいと思いつつ、廿日市の先生も所在地をご存じなく。神社庁さまホームページにも登録情報なし。

観光協会の窓口にお伺いした際、はつかいち町歩きのパンフレットを発見。なんと、その中の「宮内コース」に明神社のお名前がありました。しかし、窓口のお姉さんはご存じなく。どなたかにお問い合わせくださり、宮園団地入口付近ということがわかりました。しかし、そもそも宮園団地入口に辿り着けず(Googlemap にない)。

自力ではもはや無理と思い、一年後、事前に観光協会さまにお問い合わせ。ゼンリンの地図には掲載されているということを教えてくださいました。ご教授いただいたとおりに地図を調べると、ありました! しかし、せっかくなので、ご由緒などをお伺いしながらほかの場所も回りたいと思い、ガイドさんにご案内をお願いすることにしました。

ご案内いただかなければ、地図だけでは辿り着けなかったかと思います……。また、『宮島本』以外、どこにもその存在が書かれていない神社について、貴重なお話をお伺いすることも叶いました。

創建は厳島神社より古いのか?

「厳島の祭神市都杵島姫命が、九州から瀬戸内沿岸沿いに東上されたときに宮内に入り、休まれた。のちにその場所に明神社を建てた」という伝説がある。
出典:ガイドさんご案内・資料

『宮島本』の記述とはやや異なりますが、市杵島姫命ゆかりの神社である点は同じです(しかし、拝見した資料には『この伝説と関係があるのかどうかわからないが』とありました)。

宮内に限らず、廿日市には市杵島姫命ゆかりの伝説がとても多いのだそうです。それらにまつわる観光資源もたくさんあるようでして。あまりにも知らなすぎました。そのうちいくつかを教えていただきましたが、時間の制約もあり、今回は訪れることができませんでした。

さて、いずれの由緒にせよ、共通しているのは、この神社が市杵島姫命が厳島神社を建立してもらい、そこを自らの社殿とする以前の物語であるという点です。むろん、=厳島神社より先に建てられた、とはなりませんが。

宗像三女神のお一人である市杵島姫命さまが、九州から安芸国にやって来て、いずこかにお住まいにふさわしい地を探そうと考え、その結果見つけ出した最適の地が現在の厳島神社となった、というのはそのまま厳島神社の縁起でもあるわけですが。この神社(のご鎮座地)は、女神が佐伯鞍職らにご鎮座地探しを依頼する以前に立ち寄った場所、ということになります。その意味では、厳島神社より古い「伝説」です。むろん、後から付け足した物語ということも十分考えられますけれど。

もしも、お立ち寄りになった場所に、順番にお社を建てていたとしたら、こちらは本社より古いということになりますよね。あくまで「伝説」ですし、そもそも、この神社とそれらの「伝説」との関係性も証明はできないですが。

少なくとも、明治時代の資料には神社の存在が記されており、今も残る奉納された灯籠には、江戸時代の年号が書かれておりますので、どんなに新しくても江戸時代にはすでに存在していたことは確実であろうと思います。

明治時代の資料(『神社取調帳』)では、この神社のことを「厳島神社」と記し、八坂神社(現在の宮内天王社)の末社と定められたようです。多分、それまでは明神社と呼ばれていたのでしょう。現在は「宮迫明神社」(地図では単に『明神社』)となり、廿日市天満宮の兼務となっています(参照:ガイドさんご案内、資料)。

宮迫明神社・みどころ

地元の方の邸宅脇に辛うじてご鎮座地を確保しているという感じです。そもそも、もともとずっとこの場所にあったのかも不明です。宅地化の波で住宅地の外れに押し出されたような雰囲気です。

鳥居

宮迫明神社・鳥居

この鳥居なんですが、「〇神社」と書かれております。明神社ではなく。明治時代の頃に、厳島神社と書いたのかな? と思えど、一文字足りません。この写真だと、わかりづらいですが、神社は辛うじて読めますが、その上の一文字が読めません。ガイドさんもご存じないと。多くの方が、この字、なんです? とご質問なさるようですが、本当に何と書いてあるのでしょうね。

○○体という、習字の知識がないため、お手上げですが、気になりますよね。

社殿

宮迫明神社・社殿

またしても吹き抜けのようになった社殿が手前にございますね。これが拝殿なのかなぁ?

宮迫明神社・社殿2

灯籠

宮迫明神社・灯籠

社殿と鳥居を除けば、唯一の所属品はこの灯籠です。「文政七年酉七月・みやさこ若連中」と刻されているそうです。ちなみに1825年です。

宮迫明神社(廿日市市宮内)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒738-0034 広島県廿日市市宮内

※Googlemap にあった最寄りバス停「宮園入口」の住所です。

アクセス

とてつもなく見つけにくいです。また、残念ながら Googlemap に載っていないため、ナビゲーションも使えません。航空写真からバッチリ見ることもできるのですが、地元の方の邸宅脇になるため、恐らくその地点を載せると、ご住所が公開されてしまうと思われ、無理でした。

徒歩で行く場合、最寄り駅は「宮内串戸」となります。しかし、歩くとそれなりですので、地図にある「宮園入口」バス停で降りるとすぐです。地図を拡大していただき、バス停マークのところからずっとまっすぐ行きます。ブリーゼと書いてあると思います。そこを目印に左折します。Googlemap の地図には書いてありませんが、ブリーゼの隣が、「集会所」です。実はこちらが、この神社さまへ行く際の目印です。集会所を左手に見ながら、その先の道を左折します。道なりに行くと、神社は右手のほうにあります。

参照文献:『宮島本』、廿日市観光協会ガイドさまご案内、資料

宮迫明神社(廿日市市宮内)について:まとめ & 感想

宮迫明神社(廿日市市宮内)・まとめ

  1. 市杵島姫命は宗像から安芸国に来て、永住の地を求めた
  2. その際、この地で休憩したもしくは、この地に来た際足元から雉が飛び立ったという伝説がある。その伝説の地に社が建てられたものと考えられている
  3. 元々の規模などは不明ながら、現在はすぐ近くまで、住宅地が迫っており、やや狭苦しい雰囲気となっている
  4. けれども、狭いながらも不思議と奥ゆかしい風情を感じる趣のある神社である
  5. 創建年代その他、詳細は不明ながら、明治時代にはこの地にあったことが調査されており、寄進されたと思しき灯籠の年代から江戸時代にも存在していたことが明らか。それより古いことは、今のところわかっていない。
  6. 明治時代に、宮内天王社の末社となり、現在は廿日市天満宮の兼務

『宮島本』に書かれた足元から雉が飛び立ったという麗しい伝説に惹かれて数年。廿日市の先生はおろか、観光協会の若いお姉さん方もご存じないまさに、幻の神社でした。書いてある以上存在するだろう、何ならば、『宮島本』の出版元にお伺いしても? とまで考えていたところ、事態が急展開したのは、観光協会さまが出しておられたはつかいち町歩きのパンフレットでした。なんと、そこのご案内ルートのなかに、この神社のお名前があったのです。

ところが、パンフレットには名前はあれど地図がありません。ほかの訪問予定箇所は載っているのにです。詳しい方にお尋ねくださり(ガイドさん方だったかもしれません)宮園団地入口がわかれば……というところまで教えていただきましたが、どうしても見つけられず。宮園団地入口を知らない人は地元の皆さまにはおられないだろうとのお話で、付近に行ったらどなたかにお伺いすれば……と思えど、閑静な住宅街で道行く人もおられない場所に迷い込んでしまい、果たしてこれが宮園団地なのか、それとも違うのか、まるでわかりません。パンフレットに載っていたほかの訪問箇所をいくつか発見できたものの宮園団地も含め、明神社だけはどうしてもだめ。天気も雷雨になりそうだったので、泣く泣く諦めました。

翌年、もう一度挑戦しようと、今度は出発前に観光協会さまにお問い合わせ。最悪、ガイドさんをご紹介いただこうと思いました。最悪どころか、ご案内いただけば、あれこれのゆかりも知ることができて楽しい時間となるのは確実です。「が」ガイドさんは有料でしたので、一人でお願いするとそれなりにたいへんなことに。そのかわり、観光協会の方が地図を探してくださった上、口頭で詳細な行き方のご案内も。これで到着できなかったらおかしいよなぁというくらい。

にもかかわらず、結局ガイドさんをお願いしていました。事前にご挨拶をしたところ、地図があっても無事に辿り着けるかどうかわかりませんよ。かなりわかりにくい場所にあるので、とのお話。ご一緒してみてわかりましたが、仰る通りでした。本当にわかりにくいです。またしても、素敵なガイドさんと充実した一日を過ごすことができ、お願いして大正解でした。

こんなに行きたいと思われていた宮迫明神社に無事到着できましたが、いかがでしたか、とのお言葉に、感無量です。確かにとっても狭くて小さな神社さま。想像していたのとはかなり違いました(だって、ご由緒がすごいではないですか)。ですけど、何とも言えない風情がございました。言葉に尽くせません。ここだけは諦めるしかないのかと思っていましたが、無事に辿り着くことができ、本当に最高でした。

こんな方におすすめ

  • 市杵島姫命が好きな方
  • 由緒ある神社に惹かれる方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

美しい女神さまが舞い降りた場所にある神社さま。これだけでもう、へへへ。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

麗しい女神さまの足元から雉が飛び立つなんて、素敵。

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

このあと、おがらすさまに導かれて、厳島神社創建へと続いて行くんだね。今回のガイドさんも優しくて、なんでもご存じの魅力的な方だったね。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

そうだね。ナビゲーションさえあれば、どこでも行けるけど、ミルたちだけじゃ、何もわからないことだらけだもんね。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒)
五郎

その行き方、いい加減にしたほうがいいと思う。腹切岩まで歩いたという話に、ガイドさんも吃驚だったじゃないか。歩数計自慢はいらないから。俺、常に歩き疲れてる。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

歩くのはタダだからだよ。でも確かに、無駄に歩き疲れるより、せっかくの機会なんだから、時間を有効に使うためには、出費も無駄とは言えないね。

大頭神社・鳥居
はつかいち町歩き

廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。

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  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

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