叛乱家臣たちの政権は安泰ではなかった。陶家とは犬猿の仲、津和野の吉見が挙兵。傀儡当主も親征するなど全力で潰しにかかるが、相手も必死。妻が亡き殿様の姉ゆえ、義兄という立場でもある。いっぽう、「定説」通りに毛利元就の策略が次々と炸裂。厳島での大博打はすぐそこまで迫ってきた。
卷第二十一
長曾我部国親山田を討つ事
将軍御帰洛之事
丹州八上城攻附 攝州芥川城明退事
備後國泉合戰之事
祝城沒落之事
三村家親毛利家に屬す 附 備中國猿懸城合戰之事
三村穂田重合戰之事
卷第二十二
尼子晴久作州働き 附高田合戦 竝眞木大蛇を射る事
浦上敗軍 竝播州刀田太子堂 合戰之事
毛利元就誅井上一黨
卷第二十三
細川晴元歸洛竝三好上洛 附 將軍丹波に赴き給ふ事
丹波國所々合戰 竝 有馬月公播州働之事
尼子晴久新宮黨を殺す事
尼子吏部之子息生害之事
吉見賴信與陶道麒刺違ふる事
正賴吉見の家督を繼ぐ
長州嘉年落城竝陶攻津和野城事
卷第二十四
毛利元就攻藝州所々城事
宮川甲斐守藝州に上る事
藝州廿日市折敷畑合戰之事
神領明石合戰之事
石州永安之城明退 附 大田懸(かけ)之橋合戰の事
野間隆實降參之
陶 吉見と 和睦之事
毛利元就佐西郡働(はたらき)之事
陶全薑江良丹後守を誅する事
少貳時尙肥前綾部城に歸り入る 附 龍造寺隆信諸所働(はたらきの)事
赤松晴政播州明石竝に三木城を攻める事
卷第二十五
毛利元就城を嚴島に築く事
仁保島合戰之事
陶入道嚴島渡海評定之事
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イマドキ『陰徳太平記』
『陰徳太平記』は江戸時代に書かれた軍記物です。毛利家臣によって書かれ、「陰徳思想」によって、毛利元就を礼賛する書物です。毛利家と関わりのあった他家の人々についても面白おかしく書かれているので、読み物としてはそれなりですが、信憑性は薄いです。
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