広島県廿日市市宮島町の滝宮神社とは?
滝宮神社は宮島にある、世界遺産・厳島神社の末社。御祭神は宗像三女神の湍津姫命です。滝宮の名は、神社の後ろにある白糸の滝から来ており、滝から流れ出る白糸川はホタルの名所で、「滝宮水蛍」として厳島八景に選ばれています。院政期に、平清盛の娘婿・高倉上皇が参詣された逸話が有名で、上皇が輿を置いて滝を眺めたとされる「高倉上皇御幸石」があります。
観光客でごった返す厳島神社付近の喧噪から離れた、やや奥まったところにあるため、閑静で奥ゆかしい趣ある末社となっています。けれども、台風襲来の折、白糸川はその雅な風情からは想像もつかない激しい土石流となって神社を押し流してしまいました。ゆえに、現在ある社殿は再建されたもので、高倉上皇の時代から続く建築物ではありません。
滝宮神社・基本情報
鎮座地 〒739-0588 廿日市市宮島町滝町
ご祭神 湍津姫命
相殿 大歳神、素盞嗚尊
例祭日 2月1日
別名 隈岡宮
厳島神社末社
滝宮神社・歴史
ご鎮座の年月は不明。
高倉院御幸
高倉上皇は建礼門院徳子の夫、安徳天皇の父、平清盛の婿です。これほどまでに、平家一門と深い関係にありながら、そこは摂関家の外戚政策同様、平清盛が自らの息のかかった人物を天皇の位に就け、やがて皇子御誕生となればその外祖父として絶対的な権力を握り……というための布石にされてしまった悲劇の人でもあります。いわゆる政略結婚の犠牲者ですね。
上皇と平徳子との夫婦関係がどうであったのかについてはよく分りません。ですが、特に平清盛の娘だから、無理矢理政略結婚させられたから、といった理由で険悪な関係であった、というような話は聞いたことがありません。もちろん、本人たちに確かめるすべはないですが。
院政という特殊な政治形態が行なわれていた時代には、天皇の位を退いた上皇が政務を執り行なっていました。なにゆえにこの様な政治形態となったのかは諸説あり、断定は控えますが、天皇の父親である、というある意味天皇その人より位が高い上皇は、非常に高い権力を持っていました。そして、不思議なことには、しばしば、自らが隠居するにあたって天皇の位に就けた息子や兄弟たちの位を「すげ替える」ようなことが行なわれました。例えば、長男に位を譲って上皇となり、政治の権力を握っていたが、そのご、二男を天皇の位につけるというようなことです。長男になにかの落ち度があったとか、不幸にして先立たれてしまっただとか、なにがしかの理由があれば理解できますが、「なんで?」と思われるような天皇交代劇がたまにありました。
上皇が天皇の位を交替させると、そのために退位して後任者に譲った元天皇も上皇となります。すると、上皇が二人存在する、という事態になります。このような場合、天皇の位を自由に変更しているような先の上皇のほうが、権力を持ち続けているので、あらたに上皇となった人には何の権力もない、ということになります。それはその人が天皇時代だったときも同じことですが。こうして、一時に複数の上皇が並び立ったりすると先の上皇を「一の院」、新しく上皇になったひとを「新院」というなどして区別します。
さて、高倉上皇も、年若くして天皇の位を息子に譲りましたので「新院」と呼ばれました。しかし
二月廿一日、 主上ことなる御つつがもわたらせ給はぬを、 おしおろし奉り、 春宮践祚 あり。 これは入道相国、 よろづ思ふさまなるが致すところなり。
新版 平家物語 全訳注 全四冊合本版 (講談社学術文庫) (Kindle の位置No.15063-15066). 講談社. Kindle 版.
とあるように、これは父である後白河上皇の意向ではなくして、早く天皇の外祖父となりたいと願う、平清盛によって行なわれた「譲位」です。
高倉上皇という人は、母親が平清盛の妻の妹、しかもその実家は平姓でそもそも清盛の親戚ですから、上皇自身にも平家の血が流れているのです。しかも、妻の実家も平氏、したがって舅は平氏、と。実子であるのちの安徳天皇は母親が平徳子ですから、半分は平氏の血が流れている。もうこれ以上ないくらい、平氏とゆかりあるお人ですよね。だから、身内として親しく付き合ってしかるべきところなのですが、父である後白河上皇と舅の平清盛とが対立している。
間に挟まれてどれだけ辛い思いをされたことだろうと思うわけです。そんな上皇が、名ばかりの天皇の位すら息子に譲り、厳島に参詣しました。この時のことは『平家物語』の「厳島御幸」に詳しいです。それこそ島中の社を見て回るんですが、その中でも、特にこの、滝宮神社への参拝について書かれています。
ちなみにですが、平家に恩を売るため、平家崇敬の厳島神社に参詣してご機嫌を取る、という人々が数多くいました。中には、そのお陰で高い位をもらえた人も(『徳大寺之沙汰』)。平清盛にとって、自らが崇拝してやまない厳島神社を、ほかのひとも心より崇拝してくれることが何よりも嬉しかったんですね。高倉上皇も、実権のない上皇という地位について暇になってすぐに、厳島に御幸しましたが、これも清盛の歓心を買うためだったのかどうか。
ところで、上述の話は『平家物語』から採取しており、『高倉院厳島御神幸記』という書物によれば、高倉院の御幸は治承四年 (1180)三月、平清盛らとともに参詣し、二十六日の夕刻この滝宮神社に詣でたということです。
滝宮神社・みどころ
平成十七年(2005)九月、台風18号によって引き起こされた白糸川の土石流で社殿が流失してしまい、長らく参拝することができない状態でした。平成二十四年四月に再建され、現在は拝観できます。もちろん、残念ですが、社殿は再建物となります。
「白糸の滝」は夏のホタルが美しいことで有名な場所でして、「厳島八景」のひとつとなっています。台風のあと、ホタルの棲息がどうなったのかについては公式アナウンスを確認できていません(確認次第お知らせします)。
一の鳥居
大聖院裏手にあります。ここは、滝宮神社への入り口であると同時に、弥山登山道の大聖院コースへの入り口ともなります。この登山道から登っていくと、最初に出逢う鳥居であるがゆえに「一の鳥居」と呼ばれており、滝宮神社にいくつもの鳥居があるうちの一の鳥居、という意味ではないようです。(参照:『厳島大合戦』)
懺悔地蔵
鳥居を潜ってすぐ左手のところにあります。滝宮神社との関係は不明です。
高倉上皇御幸石
高倉上皇が滝宮神社に向かう途中、この岩の上に輿を置いて白糸の滝を見たといわれています。特にこれがそうです、という案内版などはないです。かなりの大岩となりますので、見落としはないと思います。
白糸の滝
白糸というくらいなので、糸のように細い流れなのでしょうか。流れる水を見ることができたのは、わずかにここだけでした。
滝宮神社社殿
高倉院の御供をしていた公顕僧正という人は、白糸の滝を見て、「雲井よりおちくる滝のしらいとにちぎりをむすぶことぞうれしき」という歌を詠んで拝殿の柱に書いちゃったっていうんですけど(今なら文化財に落書きしたことになって、捕まってしまうよね)、元の社殿は流されてしまったし、そもそも書き付けたことじたいフィクションかもしれませんので(『平家物語』)何とも言えません。
雲井=宮中なので、宮中から下向してきたことと、空から落ちてくる滝とがかかっており、さらに、白糸と結ぶとは縁語です(参照:『平家物語 全訳注』)
瀧不動
滝宮神社に向かう途中にあったお不動さまです。神社との関係は不明です。
白糸川
滝宮神社までは白糸川に沿って登っていきます。台風で社殿が流されてしまったくらいですから、どれほどの大災害だったのかが想像ができますね。現在の白糸川は穏やかに流れており、ほとんど水量もなくて、土石流とかとても信じられませんでした。
滝宮神社(廿日市市宮島町)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒739-0588 廿日市市宮島町滝町
アクセス
大聖院の左手から登っていきます。目印として背後に長い石段が見える鳥居があります。ここから上って行ってください。神社や白糸の滝までは大した距離ではありません。
参照文献:『平家物語 全訳注』、受験参考書、『宮島本』、『厳島大合戦』、説明看板
滝宮神社(廿日市市宮島町)について:まとめ & 感想
滝宮神社(宮島)・まとめ
- 厳島神社の末社で、御祭神は湍津姫命
- 白糸の滝、白糸川の景勝地にある。特に白糸川の蛍は厳島八景の「滝宮水蛍」として名所となっていた
- 台風による土石流で社殿が流されてしまい、しばらく参詣することが叶わなかったが、現在は再建されている
- 平清盛の娘婿・高倉上皇が参詣なさった時のエピソードが有名で、「高倉上皇御幸石」という大岩がある
とにかく宮島が好きなんだ! ってことで、毎年、あれこれ回っていますが、なかなか辿り着けなかった神社のひとつです。『平家物語』には高倉上皇の厳島御幸が何度か取り上げられていますが、神社という神社すべてに参詣したように書いてあるだけで、具体的にどこの神社で何をなさった、というようなお話までは詳しくありません。そんな中で、有之浦とここ、滝宮神社についてはかなり詳細な逸話が書かれています。なにゆえにとりたてて、こちらの神社さまなのかが、よくわかりませんでしたが、参詣してみてなるほどと思いました。ここはぶっちぎりで雅なお社です。
厳島神社は水に浮かぶ神社社殿と朱の大鳥居が麗しく、この世のものとは思われないほどですが、いかんせん、美しいものを愛でたいと思う人の心は皆同じで、いつ行っても参詣者で溢れています。それはそれで、喜ばしいことではありますが、写真撮影のために行列ができているような光景を見ていると何となくげんなりします……。ゆえに早朝や夕方など、人気がない時間帯を選ぶしかないですが、開門時間があるため、人がいない=自分も入れないとなります。
滝宮神社も参詣者は多いと想像しますが、開門時間がないので、早朝に行って清々しい空気とともに参詣したら最高かと。白糸川の流れと白糸の滝が風情を醸し出しているわけですが、土石流で社殿が流失したって本当ですか!? って思うほど穏やかな流れです。『平家物語』の作者がほかのどこでもなく、ココを、上皇御幸の舞台として書き込んだのがわかる気がします。残念なのは、台風によって当時の社殿が失われてしまったことです……。ご覧になった光景も、恐らくは当時とはかなり変ってしまっているであろうかと。それでもココはミルたちにとって隠れた名所のひとつです(別に隠れてなくて、皆が知ってることだけども)。
こんな方におすすめ
- 『平家物語』が好きで、とりわけあんまり軍記物してない部分を好む人
- とにかく宮島と厳島神社が大好きなすべての人
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
素敵な神社だね~♪
君も風流を解する子に育ってるのね。お父上の教育の賜物かな?
厳島神社で揉みくちゃにされちゃったから……(人混み苦手)。
こんな風に書くと、ここが人気がなくて観光客の方がおられないみたいに誤解されてしまうかもだから敢えて言いますが、「開門時間」がないので、早朝に来られるからです。
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みやじま・えりゅしおん
宮島旅日記のまとめページ(目次)です。厳島神社とロープーウエーで弥山頂上は当たり前。けっしてそれだけではない、宮島の魅力をご紹介。海からしか行けない場所以外は、とにかく隅々歩き回りました。宮島の魅力は尽きることなく、旅はなおも続きます。
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