はつかいち町歩き

専念寺(廿日市市宮内)

専念寺・入口

広島県廿日市市宮内の専念寺とは?

浄土真宗本願寺派。宮内地区にある唯一の寺院さまです。

元々は寺院はここだけではありませんでしたが、都市化の波で廃寺となり、今は失われてしまったのです。それゆえ、〇〇寺△△というように、地名だけ残っている場合がございますが、〇〇寺はとうになくなっています。地名と人々の記憶の中だけに生きている、という感じでしょうか。

そんな中で、現在にも続く専念寺さまはとても貴重な存在です。

専念寺・基本情報

所在地 〒738-0034 廿日市市宮内1543
※Googlemap にあった住所です。
山号・寺号・本尊 南光山・専念寺
宗派 浄土真宗本願寺派
(参照:観光協会パンフレットほか)

専念寺・歴史

もとは速谷神社の社坊のひとつ

『廿日市町史』によれば、明治時代に書かれた『宮内村治績調書』なる記録に、次のような一文があるそうです。

「神福寺 上平良速谷神社ノ供僧十二坊ノ内ニシテ字野坂ニ有リシカ、弘治年間真言宗ヨリ真宗ニ変シ字針田ニ移リ、寺号ヲ専念寺ト改ム」

『町史』をお書きになった先生はこの件について疑問を呈しておられ、ことに所在地と改宗の時期が信じがたいと書いておられます。そこで、正しくは、元々速谷神社に近い贄原方面にあり、神社の衰退とともに寺地を宮内に移し、近世になってから改宗・改名したのだろうと推測なさっています。

そこに至るまで延々と、厳島神社と速谷神社の社格のお話や、大内氏と神主家が抗争中の天文年間における神領安堵のお話などが続いていて、なかなかに難解であるため、明治時代の記録のどこに問題があるのかは、ちょっと分りませんでした。すみません。

いずれにしても、この寺院さまが元は神福寺といい、速谷神社の社坊のひとつであったこと、のちに改宗・改名されたことについては異論ないようです。

ちなみに、観光協会さまのパンフレットには、以下のように書かれていました。

「かつては速谷社供僧十二坊の一つであったと伝えられる。真言宗 龍口山神福寺の住持、了源が弘治元年(1555)に真宗に改宗し、寺号を専念寺と改めました」

速谷神社さまほどの大神社ですから、十二もの社坊があったことは頷けます。ただし、今となっては史料として裏付けがとれるのは、平楽寺・光明院・慈仙寺の三寺院であり、そのほかに、神福寺・円慈坊の二寺も深い関わりがあったらしきことがわかるそうです。平楽寺は現在も、元速谷神社供僧寺という由緒を伝えながら存続しており、観光協会の町歩きコースにも入っています。ほかの寺院については未調査ですが、神福寺=現専念寺についても「伝えられている」の但書つき。それ以外の七社については名前すら分りません(神社さまの文書にはあるかもしれませんが。『町史』の編纂時に調査されなかったはずはないですよね)。

寺地が転々とするなど、これまで嫌と言うほど見聞きしてきましたから、専念寺さまが元神福寺なのかどうか断定はできないものの、いかにもですね。それに、『町史』より後に書かれた観光協会のパンフレットのほうが、最新の研究結果を反映しているはずです。「伝えられている」がついていますけどね。

でも確かに、いくら速谷神社さまが厳島神社に押され気味になっていた時期があったにせよ、神仏習合している最中に改宗・改名・移転というのも奇妙な気がしますね。ただし、先生は弘治年間は信じがたいが近世ならばと仰っておられます。何となく、明治時代以降ならいくらでもありそうな気がするんですけど(近代ってこと)。単なるイメージですが、大神社(恐らく、この時代、大寺院に見えたんだと思いますが)の周辺をたくさんの社坊が取り囲んでいる姿ですよね。平楽寺と速谷神社の位置関係はとても近いですが、専念寺はそれなり離れています(歩いたらすごいよ!)。そこ、すごく気になりました。だから元から宮内にはなかっただろうというお話なのでは? 弘治年間にせよ、近世にせよ、なんで引っ越しして、宗派と名前まで変ったのでしょうか。とても気になりました。

御手洗川の流れ

宮内地区を流れ流れて瀬戸内海に注ぐ御手洗川。都会化の波で、かつてほどではないものの、とてもきれいな川です。神武天皇がこの川でお手を荒いになったゆえに、この名がつきました。神武天皇は東征の折に、この地に立ち寄っておられ、宮内天王社の御祭神ともなっています。

かつては鮎をとることもできたそうです。現在もまったくいないことはないようですが、かつてほどの賑わいはなく、ガイドさんとご一緒に目をこらして見ましたが、魚影らしきものは見付けられませんでした。

専念寺・付近を流れる御手洗川

御手洗川の御流れ

宮内で町歩きを楽しんでいると、そこここでこの川の流れに導かれます。源はどこなんだろう? とふと思いました。

西国街道一里塚

寺院付近に、「西国街道一里塚跡」があります。真新しい石碑が立っているだけで、他には何もありませんが。かつては至る所にあったと思われる一里塚。陶にもあったと書かれており、map をナビゲーションに行ってみましたが、「到着しました!」のアナウンスの先には草が蔓延る原っぱがあっただけでした。どこかに塚があるはずですが、恐らくは完全に埋もれてしまったかと。わざわざこれだけを見に来る人もいないゆえにとは思えど、何が出るかわからない草むらに入っていく恐怖は味わいたくなかったことを覚えています。

その点、こちらの一里塚は「跡」になって石碑しかないとは言え、町中にありますので、埋もれることもなく、とても分りやすいです。

専念寺・寺院付近西国街道一里塚

かつて、このような一里塚は旅人に現在地を教えてくれる道標になったであろうことは想像に難くありませんが、ほかにも、束の間旅の疲れを癒やすための場所でもありました。道の両サイドには樹木を植えて木陰を作り、ちょっと休憩できるようにしてあった模様です。

広島で、一里塚付近に植えられたのは黒松だそうです。樹木の種類は地域によって異なり、特にこれという決まりはないとか。手に入りやすく、手入れしやすい物が選ばれました。山口でも松だったような。これが関東に行くと榎木なのだと教わりました。そうなったのには逸話があり、家臣が将軍に一里塚付近には何の木を植えるべきかお伺をしたところ「余の木」との答え。家来はそれを「えのき」と聞き間違えたのでした。

生まれてこの方、一里塚を見たのはこれが初めてです。本で読んだことはあっても、実際には見れてない。地元に関心がないので、調べたこともないですが、そもそも一里塚の存在をきいたことがなかったです。宮内よりも遙かに都会化が進み、そんなものもう、どこにも残っていないのでしょうか。どうでもいいのですが、榎木が植えられている現場を見てみたいな、とちょっとだけ思いました。

専念寺・みどころ

宮内地区唯一の現存する寺院ということが貴重なので、そのほかのことは消し飛んでしまいました。立派な本堂とその屋根に施された見事な彫刻は必見です。

寺号碑

専念寺・寺号碑

最近、いずこの寺院さまも真新しくて立派な寺号碑が揃っています。なんとなく、建設ラッシュな気がいたします。こちらもご覧の通り。

山門

専念寺・山門

御門も立派ですが、多少年代を感じさせますね。

本堂

専念寺・本堂

立派……。しかし、これで驚いてはいけません。一番のみどころは屋根なんです。

専念寺・本堂屋根の彫刻

枠で囲ったところがそうなんですが、下も見事ですね。なお、この彫刻は、本堂を前から拝見した時と、背後から拝見したときとで、まったく違います。要は前後異なる模様であるということです。

喚鐘

専念寺・喚鐘

この鐘ですが、「カンショウ」と言います。いわゆる鐘楼に釣り下げられている大型の梵鐘ではなく、小型のものをカンショウというのだと、初めて知りました。どのような字を書くのですか? とお伺したところ、ガイドさん曰く、とても難しい字だと。説明している余裕がないため、ご自身で調べて見てください、とのお言葉。「鐘 小さい」と入れて検索して見たところ、出てきたのは見出しの二文字でした。

確かに口頭で説明するのは面倒な文字ですが、難しくはありません。よって、この字を充てるのが正しいかどうかは不明です。町歩き辞典にも載っていなかった……。しかし、今の今まで、鐘はすべて梵鐘だと思っていましたが、そういえば、このように、本堂から釣り下げられている小さな鐘も至る所で拝見した記憶があります。

これらすべからく「カンショウ」だったのですね。無知って恥ずかしい。

専念寺(廿日市市宮内)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒738-0034 廿日市市宮内1543

※Googlemap にあった住所です。

アクセス

最寄り駅は宮内串戸です。このあたりまではまだそこまで歩きません(感じ方には個人差があります)。道も分りやすいです。何度も宮内を彷徨った経験から、この寺院さまには記憶がありました。

参照文献:『廿日市町史』、観光協会パンフレット、ガイドさまご案内

専念寺(廿日市市宮内)について:まとめ & 感想

専念寺(廿日市市宮内)・まとめ

  1. かつて速谷神社の十二供僧の一つだった
  2. 弘治年間に、真言宗の住持・了源によって浄土真宗本願寺派に改宗。名前も改められた
  3. 改宗・改名前は神福寺であったらしい。
  4. 『廿日市町史』では、改宗・改名の時期に疑問が呈されている。また、元から宮内地区にあったのではなく、速谷神社付近から移転してきた可能性をあげておられる
  5. 現在、宮内地区にある寺院は専念寺だけであり、かつては存在したが廃寺となり、名前だけが地名に残っている寺院がある

まさか、宮内地区には専念寺さましか寺院が存在しないとは驚きでした。何がそんなに気に入っているのか、自らもわからないほど、宮内を徘徊し続けておりますが、その度に「あ、お寺がある」と思ったので、毎度毎度前を通っていたのだろうと思われます。しかし、いかにも普通の寺院さまなので、檀家でもないのに物見遊山で入るのは……と思い、通過したことを覚えています。

宮内地区に、寺院はここだけとか、元は速谷神社の社坊だったとか、小さな鐘はカンショウと呼ぶとか、あれもこれも目から鱗のお話ばかりでした。ご案内の方なしで町歩きをすることの無意味さがひしひしと感じられます。ことに、小さなお社や地域密着型寺院さまなどがそうでして、何のご案内もないので、一人ではお手上げです。他にも道々、あれやこれやの貴重なお話をお伺したのに、三月も過ぎて、記憶は完全に薄れてしまいました。もったいないの一言です。

宮内は観光資源と観光資源の間が離れていて、ガイドさんも観光客も一番面白くないご案内場所なのだそうです。加えて、都市開発(宅地化)が進み、町の雰囲気も変ってしまいました。田園風景の中を行くのは楽しくても、閑静な住宅街では息を殺して進むほかなかったりします。それゆえにか、同じ条件で募集をかけても、一番希望者が少ないコースなのだそうです。ちょっぴり寂しく思いました。

こんな方におすすめ

  • 寺院巡りが好きな方
  • 寺院建築、ことに彫刻などに詳しい方

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

鶴千代吹き出し用イメージ画像(怒る)
鶴千代

何だ、このオススメ度とやらは。彫刻に詳しい方、とは?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

それはね、君、あの本堂屋根の彫刻を素晴らしいと味わえる方という意味だよ。「本当だ、なんか彫ってある」としか感じない人が見ても……

五郎吹き出し用イメージ画像(笑顔)
五郎

ひゃー、本当だ! ガイドさんの仰る通り、何かたくさん彫ってあるね!

鶴千代吹き出し用イメージ画像(怒る)
鶴千代

……。確かにこのような人物には参詣する意味は無いかも知れぬな。

大頭神社・鳥居
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廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。

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  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

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