広島県東広島市西条町西条の御建神社とは?
奈良時代創建の由緒ある神社さまです。疫病が流行した際、人々は素戔嗚尊にお祈りしました。すると、疫病が止んだため、社を建てて素戔嗚尊をお祀りしました。これが、この神社の起源です。元は祇園社といいました。
明治時代になり、ほかの三つの神社と合併されて、現在地に遷されました。名前も祇園社から御建神社と変ります。御建とは、祇園社が元々鎮座していた地名です。その後、火災に遭って、移転当初の社殿は再建されました。大正時代のことです。
境内に、摂末社として「松尾神社」がありますが、こちらは「酒の神さま」。酒蔵の町・西条にぴったりな神さまです。
御建神社・基本情報
ご鎮座地 〒739-0001 東広島市西条町西条 268
御祭神 素戔嗚尊
配祀神 品陀和気命、大雀命、事代主命、市杵島姫命、天水分命、志那都彦命、大物主命、櫛甕玉命、志那都姫命
主な建物 本殿、幣殿、拝殿、御供所、手水舎、鳥居
境内神社 松尾神社
主な祭典 例祭 十月十四日
ホームページ https://mitate.or.jp/
(参照:『広島県神社誌』)
御建神社・歴史
ご由緒
前身は奈良時代の創建となりますので、悠久の歴史を紡ぐ神社さまとなります。慶雲三年(706)、全国各地で疫病が蔓延しました。そこで、素戔嗚尊にお祈りしたところ、疫病は止んだとか。そこで、人々は社を建てて素戔嗚尊をお祀りしました。その当時、社は西条町字御建にご鎮座しており、祇園社といいました。
祇園社といえば、素戔嗚尊と習合していた牛頭天王を思い起こしますが、『神社誌』の御由緒には牛頭天王の話は一切書かれておりませんでした。また、神社さまの御由緒看板も見付けられませんでしたので、その辺りは不明です。要は、素戔嗚尊=午頭天王としてもいいくらい、両者は深く結びついておりましたので、どっちもありかもしれません。ただし、近代になると、牛頭天王をお祀りしていた神社は、御祭神が悉く素戔嗚尊に置き換えられましたので、あるいは? と思った次第です。
さて、かくも長い歴史をもつ、由緒ある神社でしたが、明治時代になると神社の合祀・合併が進みました。祇園社にも、明治四十三年に、西条町字町北ご鎮座の若宮八幡宮、胡子神社、金崎神社、同じく字大地面の大地面神社、およびそれぞれの神社の境内社などが合併されました。その際、神社のご鎮座地も遷されました。
ゆえに、現在の御建神社は明治四十四年に現在地に移転してきたものとなります。元祇園社は八坂神社と名を改めるのが常ですが、元々のご鎮座地から、「御建」のお名前を冠したものと思われます。
しかし、大正三年に火災に遭い、社殿は炎上。現在我々がお参りしているのは、その後に再建されたものとなります(再建事業に三年を費やしたとあるので、大正六年竣工かと)。
『神社誌」には『芸藩通志』から以下の記述が引用されておりました。
「祇園社四日市次郎丸村にあり、同殿に金崎神、若宮、権現あり、此の四神、もと別社なりしが、今祇園社に合祭る」
これらの中には、明治四十四年に合併された三社と似ているものがあるのですが(金崎神、若宮)……。『芸藩通志』の時代にすでに合祀されていた記録が残っているのはなにゆえになのでしょうか。神社さまの公式ホームページも拝見しましたが、『神社誌』にある通り、明治時代になってからの合併、移転です。江戸時代までに一度合併されて、また分かたれてさらに明治時代に合併されたのか、合併後に全く同名の神社をさらに合併したのか、どちらなんでしょうかね。
いずれにいたしましても、当神社さまが、いにしえの社であることは確かです。社殿などが当時のままではないことは悔やまれますが、その分、いちどに合祀された多くの神さま方にお参りすることができますし、駅からとても近く、参詣しやすい場所にあることも助かります。
お酒の神さま・松尾神社
同じ日に、福成寺と曾場ヶ城に行くというかなりタイトなスケジュール。福成寺までご案内くださったタクシーの運転手さんから、西条に来たら酒蔵見て行ってくださいよ。とのお言葉。しかし、酒蔵を見て回る時間はなかったので、駅付近の寺社などでおすすめのところがあれば……とお伺いしたところ、酒造りの町だけにね、なんとお酒の神さまがおられるんですよ、と。なんとも興味津々のお話。お酒の神さまなんているの、西条だけじゃないでしょうかね、と。
ん? お酒の神さま? 大酒豪の子孫に生まれた以上、無視できません。ところが、ご教授いただいた神社さまのお名前を、下車した途端に忘れてしまっていました。これほど有名なんだから、「お酒の神さま」はどこですか、とお伺いすれば、道行く地元の方が教えてくださるかも、と思いつつ、人っ子一人おらず。仕方なく駅近の神社を探したところ、御建神社さまを見付けた次第です。しかし、元祇園社ならば、お酒の神さまではありませんよね。
ところが、これを書くにあたり写真の整理をしていたところ、境内社と思しき神社のところに「酒神松尾神社」の文字が! なんとびっくり、偶然にも教えていただいた神社さまに着いていたのです(むろん、『お酒の神社さま』はほかにもあるかもしれません)。
『日本の神さま事典』によれば、「酒造の神」として、酒造りの人々に深く信仰されている神さまは主に以下の二社です(実際には、全国各地に数多くの酒造関係の神社があります)
酒の神さま
大神神社(奈良県桜井市)
松尾大社(京都市西京区)
※ともに、読み方が難しいのでご注意を。おおみわ、まつのお神社とお読みします。
大神神社では、好名毘古那神という神さまをお祀りしています。この神さまは「医薬の神」として知られていますが、「酒=薬」という考え方があるため、同時に酒の神さまでもあるのです。神功皇后の御詠歌中にも、酒の神として、そのお名前が出ているそうです。
松野神社は、大陸から酒造りを伝えた秦氏の創建。境内には醸造時に混ぜると酒が腐らないとされる「亀井の井」という湧水があるといいます。
なお、各地の酒蔵では「松尾様」なる女神さまをお祀りしているそうでして。以前、酒蔵には女性は入ってはいけないとされていたそうです。それは、お祀りしているのが、女神さまなだけに、嫉妬してお酒を腐らせてしまうからだそうです。今は女性でもお酒を造っている方々が少なくないと思うのですが(未調査)、この点、どうやって克服なさっているのでしょうか。
というようなわけで、ちゃんとおられました。お酒の神さま。思うに、ほかにも大勢おられると感じたので、運転手さまが仰っていたのとは別のところだったかも知れません。でも、お酒の神さまが、西条だけにおられる特別な存在ではなかった点は、運転手さんの地元愛が溢れているがゆえにの思いですね。
御建神社・みどころ
火災の被害に遭ってしまわれたため、社殿は再建物です。しかし、大正時代といえば、すでにかなりの時を経ております。その後も幾多の再建・修築事業があったことと思われます。社殿は綺麗で、とても立派です。西条らしく、拝殿に酒樽(?)が積んであったのが印象的でした。
御建神社入口
入口には大きな灯籠(ミルの隣です。わずかに一部分見えてますね)。注連柱とその先に、石鳥居が見えています。
社号碑
右に見えている鐘撞き堂は、お隣の寺院さまのものです。
鳥居
参道がわりと長いのですが、注連柱、鳥居から遙かに社殿が見えて、一直線に並んだお姿が厳かです。
社殿
酒樽がすごいです! お酒の神さままで境内にあるのですから、さすが西条にご鎮座する神社さまです。
境内神社・松尾神社
こちらが、境内神社の松尾神社となります。入口にちゃんと「酒神松尾神社」と刻された石碑がありますので、見落としはないかと。こちらもとても立派ですね。境内神社にも色々ありますが、これはとても堂々としているお社です。可愛らしい小さな祠などもありますからね。
さて、公式アナウンスでは境内神社という書かれ方はしておらず「摂末社」として松尾神社が載っております。でもどう見ても、これは境内です。ご本殿のお隣にございました。いっぽう、ほかにも何社かございまして、残念ながらこれらについてはお名前が分りませんでした。三社と合併した際に、それらの神社さまたちの境内社もともに移転したということなので、これらがそれにあたるのかも知れません。
境内神社
これに関しては、どうみても稲荷社ですね。
御建神社( 東広島市西条町西条)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒739-0001 東広島市西条町西条 268
アクセス
西条駅からすぐです。これで迷う方がおられたらびっくりというくらい近くて分りやすいです。なおも、ご不安な方は、駅にある観光案内所であれこれとみどころをお伺いするものおすすめです。なお、付近には安芸国分寺歴史公園、石清水八幡宮などもあります。
参考文献:『広島県神社誌』、『日本の神さま事典』
御建神社(東広島市西条町西条)について:まとめ & 感想
御建神社(東広島市西条町西条)・まとめ
- 創建は奈良時代。疫病が流行ったとき、素戔嗚尊にお祈りしたところ、疫病がおさまったので、社殿を建てて素戔嗚尊をお祀りしたのが最初
- 最初のご鎮座地は御建であった。現在の御建神社の名前はそのことに由来していると思われる
- 明治時代、同じ西条にあった三つの神社を合併。現在地に遷された
- 明治時代に造られた社殿は、大正時代に火災に遭ってしまい、再建された。その後、災害にあった旨の公式アナウンスはないが、定期的に改築・修繕が行なわれてきたと思われる。現在の社殿はとても、綺麗で立派である
- 摂末社となっている「松尾神社」は、酒の神さま。酒蔵の町・西条に相応しい神さまである
駅らから近く、参詣するのに絶好の場所にあります。時間の関係で、西条に来たのに酒蔵を見ていないという奇怪なことになっていますが、お酒にゆかりの松尾神社さまもありますので、酒蔵見物が終わったら、ぜひとも立ち寄っていただけたらと思います。
神社さまの合祀、移転、改名も、もう慣れっこになってしまいました。御建神社さまを含め、合計四社の大合併です。場所と名前は変っても、それぞれの神社さまの歴史がすべてここに受け継がれています。
中には公園もあり、子どもたちのはしゃぐ声も微笑ましかったです。小さな女の子を連れたお母さんが、稲荷神社のところで、深々と頭を下げているのがとても印象的でした。時間に追われる旅で、あたふたとしていたので、次回はゆっくりとお伺いしたいな、と思いました。
こんな方におすすめ
- 普通に神社巡りが好きな人
- お酒が好きな人、酒蔵見物を終えた人
オススメ度
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)
西条が酒造りで有名となったのは、江戸時代以降だな……。でも、奈良時代から続いている由緒ある神社ということは、毛利家と関わりがないはずは……。
なんだよ、お前。毛利元就と関係ないところには関心がないんだな。ここにはれいの「毛利元就看板」がないから、無関係だ。お前なんか来るな。
うーーん。でもさ、毛利家も含めてだけど、何も書いていなくとも、関係あるはずと思うよ。だって、奈良時代から続いているわけだから。大内氏がここらにいたときも、その後、毛利家の天下(西国限定、涙)になった時も、己の領国内の神社を粗略にするとは思えないもん。
お前の意見にも一理ある。何しろ、福成寺も毛利家ゆかりの寺院だからな。西条だからと大内だけと結びつけるな。それより……大酒豪の家系とは?
あはは。土佐には酒豪が多いんですよ。山内容堂公もそうであられたと書いてありました(確か空港の案内看板に)。毛利元就公と違って、うちでは飲み放題ですので。
(どんだけ恥ずかしいんだよ……。女だよな、いちおう)
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