はつかいち町歩き

北山観音堂(広島県廿日市市宮内)

北山観音堂・全景

広島県廿日市市宮内の北山観音堂とは?

宮内地区にある十一面観音坐像を安置したお堂です。台座裏に記された文字によれば、江戸時代に奉納されたものであることがわかります。

周囲は閑静な住宅地。完全に埋もれてしまっており、探すのは困難を極めます。Googlemap にも載っていません。

とても小さなお堂ですが、中にはたいへん立派な観音さまがおられます。残念ながら、外からそのお姿を拝むことはできませんが。

北山観音堂・基本情報

所在地 〒738-0034 廿日市市宮内4丁目13
※Googlemap に載っていませんので、正確な住所はわかりません。空中写真から場所を突き止めて住所を割り出しました。住所が分らずとも、辿り着くことは可能ですので、後述の「アクセス」をご覧ください。

北山観音堂・歴史と概観

町中に佇む小さなお堂

廿日市観光協会さまの町歩き宮内コースの参詣場所となっております。しかし、『廿日市町史』レベルの自治体史には掲載されておらず、恐らくは「宮内村誌」のようなものまで絞り込まないと書物から詳細を調べるのは難しいのではないかと思われます(※宮内地区で、専属の自治体史が発刊されたことがあるのかは未調査です)。もしくは、個人の方の町歩き本などで、小さなお堂専門に回っておいでの場合も記述があるかもしれません。

現状、手がかりとなるのは以下です。

十一面観音坐像を祀り、台座裏に延享3年(1746)奉斎とあります。坐像高45㎝、一面四臂のお姿です。
【前面額】「こころだに まことのみちに かのふなば きたやまたにに はれるすすくも」
出典:観光協会パンフレット

えー!? まさか、これだけしか分らないのですか!? と失望なさる方多数かと。恐らくは、参詣もやめてしまわれるかもしれません。むろん、そんなことはないのでご安心ください。パンフレットにすべて書いてしまったら、せっかくの町歩きツアーに参加する人がいなくなってしまいますから、情報は小出しになさっておられるのかもしれませんね。

でも、これだけの情報からも、お堂の中には十一面観音さまがおられること、延享三年の記述があることから、像の制作年代はそれを遡るものではないことがわかります。

奈良時代や平安時代の作品ばかり見ている方からすれば、「新しい」という感覚に陥るかもしれませんが、すでに 300 近い年月が経過していることを見落としてはなりません。たいへんに貴重な観音像です。しかし、残念ながら、文化財指定などはないようでした。

元は先祖供養のために造られた観音像

ここから先は、町歩きツアー参加者限定の㊙情報となりますので、小出しにいたします(というか、情報公開不可ではなく、むしろ一人でも多くの方に感心をもっていただき、ツアーに参加して欲しいとのお考えと感じましたが、時間の経過により執筆者の頭から記憶が抜け落ちてしまったのです……)。

この観音像は廃寺となったどこぞの大寺院の置き土産というようなものではなく、個人の方がご先祖の供養のためにお造りになったもののようです。

現在、住所表記などもかわってしまい、また、観音像を造られた方々も他県に移ってしまわれました。元のお屋敷跡付近に観音堂だけが残っている状態です。子孫の方々が今も参詣に訪れておられるのかどうかはお伺するのを忘れてしまいました。

ガイドさんから頂戴した資料や、ご案内から学んだことをまとめると以下の通りです。

北山観音堂とは?

  1. 屋号北山事伊東家の旧屋敷跡付近にある
  2. 明治時代にご当主伊藤十郎氏が本尊に手を加えた
  3. 台座裏に「先祖供養のため」「周防国分寺住職に彫刻を依頼」などとある ⇒ このことから、伊東家の方が、先祖供養のためにお造りになったものではないかと考える次第です(執筆者の考え)

どなたかは存じませんが、坐像の作者は周防国分寺のご住職であられ、周防国ともゆかりがある観音堂であることがわかります(延享三年という年号から、どなたがご住職であったのかは突き止められそうではあります)。

北山観音堂・みどころ

本当に小さな観音堂です。お堂一つがあるだけでして、周囲の風景も普通の住宅地ですので、特に奥ゆかしくもありません。それでも向かってしまうのは、何でもコンプリートしたくなる性癖と宮内という町に魅せられたゆえにかと思います。

観音堂遠景

北山観音堂・遠景

遠景というほどでもないのですが、脇から拝見したお姿です。離れたところから撮影すると、地元の方の邸宅が入ってしまうため、プライバシーに配慮するとこれいじょう遠ざかれませんでした。背後のコンクリート壁の上も民家でして、周囲一面がそうです。辛うじて周辺にわずかな緑が植えられておりますが、それだけです。

全景

北山観音堂・全景

これでも窓やナンバープレートを隠したつもりですが、どうしても写り込みは避けられませんでした。お許しください。なお、お堂のど真ん中にキャラ画像があるのは、ご案内のガイドさんのお姿を隠すためです。観音さま、ご無礼をお詫びいたします。

この状態ですので、残念ながらお堂に向かう道では史跡巡りをしているという感覚はほとんど味わえません。

観音堂正面

北山観音堂・正面

最近は、これほど近付いた写真を撮ることは避けているのですが(撮ったとしても公開不可としています)、今回に限りネタ切れなので、特別に。近付いたところで、中は見えません。格子になっている場合、貴重な仏像類が見えてしまうことがありますが、ここは違いました。こっそり覗いても厨子などが見えるだけで、仏像は内部に隠されているケース。厨子も年代ものであったりすれば、さらに覆い屋がついていることも。

こちらは、お堂はそのままです。中に厨子があったかどうかは記憶が定かではなくなりましたが、仏像のお姿は拝めなかったため、ガイドさんから、仏像を撮影した資料を見せていただきました。資料は公開できませんが、町歩きに参加すれば、いくらでもご覧になれます。

なお、このお堂ですが、元々は昭和四年に地元の方などの寄附によって建てられ、その後、平成四年に修理されたということです。じつは、ここまでに書いてきた文は、観音像と連呼しており、観音堂とは敢えて書いていません。伊東家の方々が像を造ったことは明らかですが、どこにもお堂を造ったとの記述はなく、確認が取れなかったためです。像はお屋敷の中に安置されていた可能性もありますから。ただ、その場合は転居なさっても像は持って行かれると考えるのが自然ですし、恐らくは昭和時代以前にもお堂はあったものと考えます。

全面板額の和歌

北山観音堂・前面板額

上掲の正面ドアップ写真の上部がこちらです。前面板額というのは書いて字の如くです。しかし、辛うじて何か書いてあったらしき痕跡があるようなないような……という現状でして、残念ながら和歌を読むことはできなくなってしまっております。

何と書かれていたかについては、上述の観光案内パンフレットにある通りです。いったい、いつ頃どなたの手によって書かれたものであるかなどは不明です。特にご案内はなかったのですが、どこかに記録があるかもしれません。なお、元の墨書についても、ガイドさんにお願いすればかつての文字を写し取ったものをご覧いただけます。

北山観音堂(廿日市市宮内)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒738-0034 廿日市市宮内4丁目13
※所在地については、Googlemap の航空写真からだいたいの位置を類推しております。正確な所番地ではないことをお断りしておきます。

アクセス

最寄り駅は宮内串戸です。ただし、それ以上のことは「宮内地区にある」としか申せません。ご案内いただくとこうなるので、帰宅後大騒動となります。

いくつか、ヒントがございました。それは、頂戴した資料におおよその場所の目安なのか「キーレックス工場北側」と書かれていたことです。また、住所表記が現在のものに改まる前の所在地として、「旧宮内村字北山一九八番地」とありました。

ところが、map で調べたところ、キーレックス工場は悲しい哉「閉鎖」となっており、また、旧住所を入れると現在地が分ることがありますが、今回はそれも機能しませんでした。しかしながら、閉鎖されても工場の旧跡はわかるわけなので、航空写真を駆使して「北側」にあたる場所をくまなく調べました。さすが、天下の Google さま。住宅地に埋もれたこんなに小さなお堂ながら、目視できました。問題はその後です。皆さまにどうやってお伝えするか。

まずは、拡大地図を開く前にこのページでご確認いただきたいのですが、「ウエスタ」とあります。その向かって右側に長方形の建物らしきものが見えるかと思います。さらに右側に今度はやや正方形の建物らしきものがあります。お堂はその手前にある小さな正方形となります。

このまま拡大地図を開くと恐らくは航空写真がでるはずで、「ウエスタ」の記述はありますから、まったく同じようにして探してください。本当に小さいですが、屋根に特徴があるので、お堂であろうという目星がつくと思います。

なお、map のアドレスは変ることもあり得るので、現在の記述通りに開くとは限りません。定期的に確認はしますが、毎日は無理ですので、表記法が変って探せなかった時はご容赦ください。

参照文献:観光協会パンフレット、ガイドさま資料&ご案内

北山観音堂(廿日市市宮内)について:まとめ & 感想

北山観音堂(廿日市市宮内)・まとめ

  1. 新興住宅地の中にある小さなお堂。中には十一面観音坐像が安置されている
  2. 元々は先祖供養のために造られた仏像だった模様。製作依頼者が他県に転出し、現在はお堂と仏像だけが残されている
  3. 仏像坐像から、江戸時代に周防国分寺の住職に依頼して彫ってもらったものである旨、記載があることから、同時期の作品と分った
  4. 観音堂は旧所有者の邸宅跡地付近に建っており、現在の建物は昭和時代に地元の方々が建て、平成時代に修繕したものとなる
  5. お堂前面に書かれた和歌が見事な達筆の墨書であったが、現在はほぼ消えてしまい、読むことはできない

探すのが困難な上、見つけ出すことができたとしても、「え、これ!?」となるお姿が見えるようです。多くを期待する方は素直に速谷神社や厳島神社に向かうことをおすすめします。あくまでも、町歩きを好む方向けの観光資源です。しかし、近年都市化の波がますます激しい廿日市は、地元のガイドさんでも前回ご案内したときと様子が変ってしまっている……という理由からごくごく稀に道一本間違ってしまわれるような事故があり得ます。プロでさえそうなるのですから、県外から来た素人が住宅地に埋もれたお堂を探し出す難しさが想像できるかというものです。

また、町歩きを十分に楽しむためには、周囲の風景に趣があることが必須です。ところが、宮内にあるのはほとんどが小さなお堂やお社などですので、都市開発の際に、それらの存在を考慮してはもらえなかったようでして。同じ都会化が進んだ地域でも、観光資源 A ととなりの観光資源 B がすぐ近くにあるのでしたら、町並みの問題はさして気になりません。しかし、観光資源どうしがとても離れていると、長時間に渡り半都会化した住宅地や商店街を歩くだけとなります。特に、住宅街など、見知らぬ人物がむやみにナビ起動で行ったり来たりしていると怪しまれかねませんから、恥ずかしいことこの上ないです。

以上を考慮した上で、なお見に行く価値があるか、それは観光客ひとりひとりのお好みにもよってかわってくるので、その点はプランを立てる際に考慮する必要があるかと思います。世の中に、無価値な観光資源などなに一つ存在しません。ですが、仏像にもお堂にも感心がない人が、ヘトヘトになって辿り着いた挙げ句、私はお堂には興味がないんですが……となったら、疲れがどっと溢れ出ます。反対に、町中の小さなお堂を巡るのが何よりも楽しい方であれば、きっとまたひとつ、素敵な思い出が増えること請け合いです。

こんな方におすすめ

  • 町中に佇む小さなお堂が好きな人
  • 町歩きが大好きで、健脚。道の景色については気にならない猛者

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

疲れた……ガイドさんとの楽しい会話がなければ、ただの苦行になっていたかも。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

もうダメ……話しかけないで……

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

せめて十一面観音のお姿をこの目で見たかったんだけど。ガイドさんの資料でたっぷり拝見できたからいいかな。

右田弘詮吹き出し用イメージ画像
外祖父さま

周防国分寺の住職が彫った仏像なのですね。

城主さまイメージ画像
祖父さま

意外なところで祖国の香りをかいだ気分だな。

大頭神社・鳥居
はつかいち町歩き

廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。

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  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

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