広島城跡

広島城・記念碑

広島県中区の広島城とは?

広島市のシンボルともいえる、近世城郭跡です。天守は再建物ながら、市民に愛されていましたが、老朽化などから 20260322 をもって、閉城となりました。今後の扱いについては、自治体などの公式情報を参照にしてください。

広島城・基本情報

所在地:〒730-0011 広島市中区基町21−21
標高:7メートル、比高:4メートル
遺構:廓、石垣、堀、土塁、石垣
HP:https://www.rijo-castle.jp/castle/

広島城・歴史と概観

広島城の築城は、毛利輝元公が大坂城・聚楽第を訪れた翌年の天正十七年(1589)から始められたと言われております。天正十九年(1591)、肥前国に向かう途中に豊臣秀吉がこの城を訪れた記録がありますが、その時城はすでにほぼ完成しており、輝元公も入城されていたといいます。当時この付近は広島湾に面した要衝の地だったのです。

毛利家が関ヶ原の合戦に敗れて周防長門に押し込められたあと、この地には福島正則がやって来ましたが、それも改易され、元和五年(1619)より、浅野家の統治するところとなりました。長らく浅野家のお殿様のもと、広島の城下は栄え、平和な日々が続きました。

当時のお城は、本丸と二の丸の外に内堀、その外側を中堀で囲んで三の丸とし、さらに外堀まであるという広大な敷地でしたが、現在残っている遺構は内堀の中側部分のみとなります。当初の毛利家による築城、そのごの福島家による拡張工事、浅野家による改修と城の姿は時代とともに変遷したもようですが、現在復元された天守閣は浅野家時代のものとなります。毛利家時代、福島家時代の姿についても、発掘調査によって確認されているということです。

昭和二十年(1945)、原爆投下の際、付近の相生橋が目標とされたために、お城も大きな被害を受けました。

戦後、城跡が国指定史跡となり、天守閣が再建され、また築城四百年記念として、表御門、平櫓、太鼓櫓等々も復元されたそうです。

広島城・みどころ

天守内部は見学することができ、史料館となっておりますので、ぜひとも拝観いたしましょう。

広島城・天守閣

広島城の所在地・行き方について

所在地 & MAP

所在地 〒730-0011 広島市中区基町21−21

アクセス

アストラムライン「城北」駅から歩きました。「県庁前」からも行けるみたいです(アストラムラインのパンフレットでは、付近の観光スポットで『県庁前』のほうに載っていたけど、Googlemapで見たら、『城北』のほうが数分早かったのでそっちにしました。駅を出るとすぐにお堀と天守が見えるのですが、入り口までが遠くて、どんどん城から離れていく雰囲気。堀も天守も見えなくなりました。『県庁前』から行くことが推奨されているのには理由があるのかもしれません)。

参照文献:『安芸の城館』、『広島県の歴史散歩』

五郎

広島城の天守は本日を境に入れなくなるとか(20260322)。三月初旬に広島入りした俺たちには、まだ入ることができたのに、その最後の機会を、ミルは無視してしまった。俺たちにとっては、永遠に中に入ることができない城跡として終わったね。

ミル

老朽化などにともない、安全性に問題が出て来たためのやむを得ない閉城です。今後の広島城天守閣については、公式ホームページなどでご確認ください(どっち道、このページ、indexされてもいないから問題ないけど突貫工事で閉城について書きました。未来形ですが、すぐ過去形になるので、「閉鎖された」と書いてます)。

【更新履歴】初出:20221029、20260222 改訂

あなたへのおすすめ