はつかいち町歩き

桂公園(廿日市市桜尾本町)

2024-06-17

桂公園・桜尾城碑

広島県廿日市市市桜尾本町の桂公園とは?

桂公園は、元桜尾城跡となります。厳島神主家の居城でした。厳島神領を掠め取ろうとした安芸武田氏、神主家の家督相続争いに介入した大内氏などとの合戦の舞台となりました。また、厳島合戦の際にも、毛利家はこの城で凱旋式を行なうなど、重要な役割を果たしました。

近世以降、城は使われなくなり忘れ去られましたが、元城主の子孫である桂太郎氏が城跡を廿日市市(当時廿日市町)に寄贈。市民の憩いの広場である公園として生まれ変わることを希望されました。その願い通り、城跡は桂公園となって地元の人々に愛される公園となりました。かつて城であった時の遺構などは今は失われてしまいましたが、公園として生まれ変わったお陰で貴重な城跡は守られたのです。

桂公園・基本情報

所在地 〒738-0005 広島県廿日市市桜尾本町11
最寄り駅 廿日市駅から徒歩圏内

桂公園・歴史

広島県廿日市市にある桂公園は、戦国時代の頃まで、「桜尾城」というお城があったところです。現在はかつて城だったときの面影は跡形もなく、『日本の城辞典』にも「全壊」と書かれておりました。文字通り跡形もありません。都会化の波が押し寄せる中、町の発展とともに城跡の名残はすっかり姿を消したようです。かなり古い写真などの資料を見せていただくと、まだこんもりとした山のようなかたちが辛うじて確認できます。しかし、現在は完全なる都市公園と化しました。桜尾城は人々の心の中、歴史書の中に残っている存在となったのです。

桜尾城は元厳島神主家のお城でした。昔は神主さんもお城をもっていて、武装する時代だったんですね。現在は、単なるやや小高い丘といった感じですが、昔この付近は海で、海上要塞的なお城だったそうです。厳島神主家、安芸武田家、大内家、毛利家など多くの人々の歴史と関わりがありました。

厳島合戦の後、このお城は毛利家のものとなり、桂元澄という家来の人が城主を務めました。そのご子孫で、総理大臣にもなった桂太郎氏が、大正元年(1912)城跡を廿日市市(当時廿日市町)に寄贈したことから、同氏のお名前を冠した公園となりました。

桂公園・みどころ

公園となった城跡は、市民の憩いの広場として人気の場所となっています。桜の季節などに訪れれば、美しい景色を満喫できるでしょう。城跡マニアの方にとっては、何もないところとなってしまいますが、公園の入口には城の歴史を記した立派な記念碑などが建っています。

桂公園記念碑

桂公園・記念碑

ご覧の通り、立派な記念碑がございます。新しい時代の到来に際して、もはや無用のものとなっているかつての「城跡」を、市民(当時町民)の方々が楽しめる公園として役立てて欲しいという思いが綴られているのでしょう(読めなくてすみません)。

桂公園・記念碑(背面)

記念碑の背面です。大正二年一月に建てられたことがわかりますね。石碑じたいも長い歴史を持っているのです。背後に公園内部の様子が少し見えています。

桜尾城跡碑

桂公園・桜尾城址碑

公園入口には、桂公園という名称とともに、ここが「桜尾城址」であったことを伝える四文字をそえた石碑も建っていました。

桜尾城址碑

桂公園・桜尾城址碑

こちらは桜尾城の歴史について記した記念碑です。文字起こしをしたいなと思いますが、何年もの間放置状態。

公園内石碑

桂公園・記念碑

こちらは公園内にあった石碑です。ゆかりについては不明です(調査できたら記します)。

桂公園(廿日市市桜尾本町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒738-0005 広島県廿日市市桜尾本町11 

アクセス

廿日市駅からタクシーを使いました。実際にはその必要はなく、普通に歩けます(急いでいたので)。

参照文献:『広島県の歴史散歩』

桂公園(廿日市市桜尾本町)について:まとめ & 感想

桂公園(廿日市市桜尾本町)・まとめ

  1. 廿日市市民に愛される公園
  2. かつてここには桜尾城があり、様々な歴史の舞台となった
  3. 元城主であった桂家の子孫・桂太郎氏が廿日市の人々のために役立てて欲しいと自治体に寄贈。同氏の名前を冠した公園として整備された

正直、「城跡」的なものを期待していくと、見事に裏切られます。何一つなく、ただの公園です。むしろ、ほかの観光資源(別の城跡、古戦場跡など)からこの公園を見通す時に、なるほどそうか、となるケースが多いです。地理的に重要な場所に建っていたということがわかるにすぎませんが。それすらも、それらの別の城跡や古戦場跡の展望が悪くなるなどの理由で確認不能となっていたりします。

廿日市の歴史の中で、これほど重要だった城もないと思われることから、今は跡形もなくなっていることを嘆く方は多いです。しかし、日本全国を見渡せば、跡地がどこであったかも分らなくなっている城跡は数えきれません。公園として整備してくださったゆえに、城跡は守られたのです。

都市化の波の中で、失われた史跡は数多いと思います。いつまでも過去の遺物にこだわり、現代に生きる我々の生活空間が影響を受ける事態は推奨されないからです。その一方で、近代都市への生まれ変わりが一段落して後、かつての史跡が失われたことを惜しむ声が高まりました。近世城郭の天守閣などが破却された後、再建されて町のシンボルになる、などというのはその典型です。桜尾城は近世天守閣の城跡ではないですし、復元は難しいでしょう。ですが、そのような近世以前の城跡が各地で跡形もなくなっている現状を思う時、ここが公園として残してもらえたことは賢明な選択だったと思うのです。偉大な元城主さまの思いに感謝すると同時に、お花見を楽しみながら、ここが城跡だった時の歴史にも思いを馳せる、そんな場所です。

こんな方におすすめ

  • 市民の憩いの広場として人気の公園で景色を楽しみたい人
  • たとえ遺構が何一つなくても、元城跡には行ってみたい人

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

見事に何もなかったね……。

ミル吹き出し用イメージ画像
ミル

「城跡」として、何らかの遺構を探しに行く人にとってはそうなるね。でも、ここでは「公園」としてご紹介しているので、その意味では市民の憩いの広場としてとても重要な場所だよ。

大頭神社・鳥居
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廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。

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※この記事は 20240617 サイトの統廃合によりURLを変更して移動されたものです。
元ドメインでの公開日:20221029
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ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
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