大歳神社(廿日市市宮内明石)

大歳神社(明石)・鳥居と拝殿遠景

今回は、宮内地区にある大歳神社をご案内します。神社庁さま登録の神社として、廿日市には大歳神社が二つあります。一つは地御前、一つはこちら明石です。最寄り駅は宮内串戸(もしくは路面電車の宮内)となりますが、駅からはかなり距離があります。

廿日市天満宮の兼務社となっており、境内には詳細を表わすものが何もありません。明石の氏神として、地元の方々の信仰を集めている神社さまで、その奥ゆかしい風情は時が経つのを忘れます。(訪問回数1回)

広島県廿日市市明石の大歳神社とは?

宮内明石にご鎮座する大歳神社です。大歳神社と称する神社としては、同じ廿日市市内でも宮内のほか、地御前にもございます(あくまでも参詣したところですので、ほかにもあるかも知れません)。

創建年代は不明となっており、神社に伝えられている応仁年間の薬師如来像から、それ以前にはご鎮座されていたのだろうと推測されています。廿日市天満宮さまの兼務社となっていますので、天満宮ホームページにて、最新情報が確認できます。

付近にある観光資源「宮川甲斐守腹切岩」付近にかつて存在していたと伝えられる甲斐守を祀っていた小祠は、明治時代に付近の神社に合祀されたとされています。『宮島本』によればそれは宮内天王社とのことですが、大歳神社に合祀されたとのご意見もあります。

大歳神社(明石)・基本情報

ご鎮座地 廿日市市宮内明石 2938 番地
通称 「おおとしさん」
御祭神 大歳神
主な建物 鳥居、本殿、弊殿、拝殿、御供所、灯籠、手水鉢
主な祭典 例祭(十月第四日曜日)
(参照:廿日市天満宮さま HP、『廣島懸神社誌』、灯籠と手水鉢は目視)

大歳神社(明石)・歴史

宮内明石の氏神

残念ながら、詳しいことは何もわかりません。廿日市のガイドさんと町歩きをする機会があったので、お伺いしておけばよかったと悔やまれてなりません。恐らく、地元の詳しい方であればご存じかと思います。ただし、観光資源的な神社さまとは趣を異にしているため、いわゆる観光資源案内看板の類がまったくありません。よって、現地に一人で訪れて由緒について学ぶのは困難です。『広島県神社誌』に、以下のような御由緒が書かれていました。

由緒
当社の創祀は不詳であるが、御神像とともに祀られている薬師如来像に応仁二年(一四六八)の銘があるので、それ以前の創建であろう。
出典:『廣島懸神社誌』

同じ内容は、兼務社となっている廿日市天満宮さまのホームページ(https://suoyamaguchi-palace.com/sue-castle/hatsukaichitenmangu/)からも確認できます。

この記述からも、祀られた薬師如来像の銘を手がかりにそれより以前から存在していた、ということしか分らないので、何かと謎に満ちた神社さまと言えるでしょう。

応仁二年(1468)の仏像が残されているというのはすごいと思うのですが、特に文化財指定は受けていない模様です。

唯一はっきりしているのは、大歳神社(明石)は宮内明石の氏神であるということ。この点は上記のホームページにも明記されています。

明石の大歳神楽と金御幣

廿日市市宮内まちづくり委員会さま編纂の『宮内の歴史と文化』によれば、この神社の神楽は「明石神楽」としてよく知られており、戦前までは付近の村々からも見学の人々が集まって来て大いに賑わっていたようです。残念なことに、戦中の中断をはさみ、戦後は舞手不足などから行なわれなくなり、現在は見ることができません。

かつて神楽で使われていた大太鼓や、神楽に必要なものを準備する手順を記した制作要領書は今も大切に保存されているといいます。

さらにこの神社には、享保年間に作られた金の御幣が伝えられています。「厳島因幡屋小兵衛」という人によって寄進されたものです。これらの品々は地元研究者の方々でなければ目にすることはできないと思われますが、郷土を愛し、その歴史を綴る人々の存在には、常に胸が熱くなります。

なお、図書館でご本を拝読すれば、金の御幣のお写真を見ることは可能です。

宮川甲斐守は合祀されているのか?

神社のご鎮座地は、折敷畑古戦場跡がある折敷畑山への登山口に近いです。また、付近にはこの合戦に敗れて亡くなった宮川甲斐守にかかわる腹切岩と呼ばれる大岩もあります。登山口はいくつかあり、現在は付近の入口から入ることは推奨されていないようですが、岩の位置は変っていません。そこに、地元の方が甲斐守の霊を祀った祠があったと言われ、明治時代の小祠や社の整理に際して、「明治九年、八坂神社に合祀」されたということです(参照:『宮島本』)。⇒ 関連記事:宮川甲斐守腹切岩折敷畑古戦場跡

しかしながら、そうではなくてこちらの大歳神社に合祀されたというご意見もあります。宮内天王社(八坂神社がのちに改名した)には、多くの神々が合祀された旨の記録はあるのですが、具体的にどの神が……という点は明記されていません。しかし、元の甲斐守さまのお社も同じ明石にあり、付近の神社はほとんど八坂神社に合祀されたというのに、この大歳神社はそのままの姿で残っていることから、こちらに合祀されているという言い伝え(?)もそれらしくは思えます。なので、あくまで推論にすぎませんが、ほど近い場所にある大歳神社に合祀されたということは、十分に説得力があります。⇒ 関連記事:宮内天王社

先頃、地元のガイドさんのご案内で宮内地区を回る機会に恵まれ、上記の件についてお伺いしてみました。むろん、正解には辿り着けませんでした(史料が存在しないため、誰にも断定はできない)。しかし、地理的に見て、宮内天王社よりも、こちらに合祀されたという説のほうが理にかなっているし、ご自身もそう思う、とのお言葉。ただし、あくまでも、史料がない状態ですから、「諸説ある」としか言えないと仰っておられました。そもそもが、小さな祠のようなものだったようですので、記録など残っていないのでしょう。ですが、地元のガイドさまのご推論ほど説得力のあるものはない、と考えています。

20260213 追記:上掲の『宮内の歴史と文化』によれば、甲斐守を祀った神社は「明治七年に」「大歳神社に合祀された」と明記されておりました。ガイドさんのご推察が正しかった証左となります。より新しい本には、明治九年に宮内天王社に合祀されたとあり、その二年後のことが書かれているわけで、七年に大歳神社に、その後九年に宮内天王社に……という想像ができないこともないですが、その場合、合祀先の大歳神社そのものが宮内天王社に合祀されたのでなければ成り立ちません。よって、甲斐守さまの神社は現在も、大歳神社さまの中にあるという認識が正しいと思います。漸く文字史料によって正解に辿り着くことができました。

大歳神社(明石)・みどころ

こちらの大歳神社は、こぢんまりとした神社の森の中に、太古の昔から時間が止まったように閑かな時が流れていました。暫しの間、イマドキの喧噪をすっかり忘れてしまいました。廿日市に来たら、是非とも訪れて欲しい神社さまです。

鳥居

大歳神社(明石)・鳥居

社殿

大歳神社(明石)・拝殿

応仁年間から続くものとは思えませんが、かなりの年代モノのように見受けられます。例によって、脇からも拝見いたします。

大歳神社(明石)・社殿脇から見た図

ご本殿は「一間社流造、桟瓦葺」(『廣島懸神社誌』)です。

灯籠

大歳神社(明石)・灯籠

手水鉢

大歳神社(明石)・手水鉢

なんか趣がある手水鉢で、年代モノのように見えるのですが。いかがなものでしょうか。

御神木

大歳神社(明石)・御神木

樹木に注連縄を張って御神木としている神社さまは少なくありませんが、緑に囲まれたこちらの大歳神社さまのそれは、いかにも何らかのパワーを秘めているように感じられました。

大歳神社(廿日市市宮内明石)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 廿日市市宮内明石 2938 番地

アクセス

最寄り駅は広島電鉄の宮内駅もしくは JR 西日本の宮内串戸駅となりますが、徒歩で行く場合、とんでもなく歩きます。費用対効果を考えた場合、タクシーを使うことがお勧めです。付近には、折敷畑山への登山口(※現在、山に入るには、この入口は使いません)、宮川甲斐守腹切岩などがあり、まとめて観光するのがよいです。徒歩で向かうことも可能ではあり、道も真っ直ぐでわかりやすいのですが、往復数時間を要するので疲労困憊してしまいますし、その分は体力を温存してほかの観光地を見学する時間に充てたほうが断然お得です。

参照文献:『宮内の歴史と文化』(廿日市市宮内まちづくり委員会)、『廣島懸神社誌』、『宮島本』、廿日市天満宮様HP、広島県神社庁様HP

大歳神社(廿日市市宮内明石)について:まとめ & 感想

大歳神社(廿日市市宮内明石)・まとめ
  1. 宮内明石地区の氏神、宮内天王社の兼務社
  2. 創建年代は不明ながら、神像とともに祀られている薬師如来像に応仁二年の銘があることから、それより以前には存在していたものと考えられている
  3. 御祭神は大歳神で、毎年十月第四日曜日に例祭が執り行われている
  4. 付近には折敷畑古戦場跡があり、この合戦に敗れた宮川甲斐守を祀ったとされる祠があった。同祠は、明治七年にこの神社に合祀された(『宮内の歴史と文化』)。いっぽうで、『宮島本』などには、明治時代に宮内天王社に合祀されたと記されている。
  5. かつて、この神社の神楽は「明石神楽」として大変に有名だった。現在は、舞手不足などによって行なわれなくなったが、今も当時の太鼓などが大切に保存されている。

宮内天王社に参詣したのと同じ日、Googlemap のナビゲーションを見て、ほぼ真っ直ぐな分りやすい道が続いていたことから、そのまま宮川甲斐守の岩まで向かいました。途中の道はきちんと舗装され、小型のトラックなどが飛ばしていたりするのですが、左右を中国山地の山に囲まれなんとも風情ある道行きでした。とてつもなく長い距離を歩き、ついでにこちらの神社さまにも向かおうと思いましたが、ナビによれば、徒歩45分とありました。往復することを考えれば1時間半。宮内天王社から岩までもかなり長時間歩いていました。体力的には、何ら問題なかったのですが、時間が四時近かったので、一時間半かけて岩から神社まで往復し、また岩の所から何時間もかけて宮内の駅までは戻れないと思い諦めました。道路が舗装されているくらいなので、山道ではないのですが、途中どなたとも出逢わなかった道ですので、どことなく心細かったからです。

翌日、タクシーにてご案内いただき、無事ご参詣することが叶いました。ただ、宮島口からタクシーに乗ったため、地元の運転手さまではなく、神社の存在をご存じではありませんでした。このような場合、運転手さまは付近の民家などにお声かけしながら探してくださることになります。皆さまとても親切で優しいかたばかりですが、お手間を取らせてしまうことになりますので、なるべく地元のタクシーを使うほうがよいと思います。

執筆者にとって、この神社さまを探していたのは、宮川甲斐守さまをお祀りしていた祠の合祀先を探す旅でした。ですけれど、そのおかげで、こんなに奥ゆかしい風情の神社さまにご参詣できたことは望外の喜びでした。合祀先云々ではなく、神社さまそのものが、由緒正しい素晴らしい場所でした。これも甲斐守さまが繋いでくださったご縁のように思えてなりません。

こんな方におすすめ
  • 閑静な自然の中にある奥ゆかしい神社さまが好き
  • あまり人に知られていない神社さまに惹かれる

オススメ度:(基準についてはコチラ

4
五郎

郷土のまちづくりの皆さまほど、地元の歴史に精通した方はおられないということが証明されたね。

ミル

そうだね。ちゃんと典拠があったなんて、感無量です。二年越しで完結できました。

【更新履歴】初出:20240518、20240618 サイトの統廃合によりURLを変更して移動、20250301 加筆修正、20260213 参考文献追加、加筆修正

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