毛利元就は三男を小早川家の養子に(小早川隆景)、次男を吉川家の養子に(吉川元春)し、事実上両家を乗っ取った。殿様は元就と優秀な息子達がお気に入りで、山口で元就親子を歓待。その裏で、無能すぎる殿様への家臣らの反感は日に日に強まっていた。そして、ついには、殿様を追い出して死地に追いやるという恐ろしい出来事が……。
卷第十六
小早川系譜附 隆景小早川家相續之事
吉川治部少輔興經與家老不 和之事
元春娶熊谷信直之女事
元春吉川家相牘之事
吉川先祖之事
卷第十七
備後國神邊城合戰之事
毛利元就父子防州山口下向之事
平賀杉原合戰之事
攝州中島榎竝三宅城没落 竝江口合戰之事
將軍義晴公坂本御退坐附如 意嶽城經營之事
將軍義晴公薨去之事
義輝朝臣將軍宣下之事
大友義鑑之事
大內義隆卿諸藝研究之
冷泉隆豐諫言之事
卷第十八
備後國神邊城明渡附目黑最 後之事
陶隆房相良武任不和之事
久村玄蕃允被誅事
藝州嚴島千句連歌之事
三好長慶上洛事
相良武任落山口事
山口物怪之事
陶隆房隱謀之車
冷泉隆豐夜討僉議之事
備後國志川瀧山落城之事
卷第十九
義隆卿築山沒落之事
義隆卿法泉寺落事
義隆卿難風に遭ひ給ふ 竝 公家衆御最後の事
義隆卿自害竝大寧寺炎燒之事
中將殿新介殿御最後之事
陶晴賢討杉重政
山口興廢之事
卷第二十
陶持長、嫡子・義清を殺める ★
大内義長山口入り
長門大寧寺について
安芸国頭崎城明け退く事 竝 西条槌山落城之事
大友義鑑肥後国発向之事
龍造寺隆信佐賀城を退去す 附・同城に帰り入る事
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イマドキ『陰徳太平記』
『陰徳太平記』は江戸時代に書かれた軍記物です。毛利家臣によって書かれ、「陰徳思想」によって、毛利元就を礼賛する書物です。毛利家と関わりのあった他家の人々についても面白おかしく書かれているので、読み物としてはそれなりですが、信憑性は薄いです。
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