イマドキ『陰徳太平記』

イマドキ『陰徳太平記』目次(二)

2024-06-17

大内義興イメージ画像

いよいよ大内 vs 尼子の決戦が始まるかと思いきや、完璧なる当主・義興の突然の死。尼子家でも息子・盬治興久との仲が不和になるなど、順風とはいかない。安芸武田氏では当主が亡くなる。どこもかしこもガタガタな中、毛利家は着々と力をつけていた。……というような流れです。

卷第六

石清水八幡宮造営 附・義晴将軍御社参

大内義興石見発向 附・大内尼子合戦

大内義興逝去 附・歌事

大内氏の先祖

大内氏の始祖・琳聖太子来朝から始まって、大内義隆までの歴代当主について語られる。琳聖の兄・阿佐太子なる人物が登場したり、聖徳太子と琳聖には前世からの因縁があったなど、興味深い創作が楽しめる。ただし、歴代当主についての記述には、現在の研究成果からしたら信じられないような誤りもある。「このように誤解されていたのか」と思えば特に腹が立つこともないものの、専門家が同書を「俗書」と卑しめる理由はここらにあるのかも。俗人なので、「俗書」を読むことに何ら抵抗はないものの、ほかの家についてもこの手のありがたい「まとめ記事」がたくさんあることを考えると、それらもこのレベルに間違っている = 参考にはできない、となってしまい、少なからずショック。⇒ 関連記事:『陰徳太平記』曰く「大内先祖について」

丹波国神尾寺、八上両城合戦 附・摂津国吹田合戦

山城国桂川合戦

山城国川勝寺村合戦

毛利元就上洛

大友氏の先祖

大友勢、豊後国佐伯城を囲む

卷第七

熊谷信直、山中成祐を討つ

武田光和・熊谷信直不和

播州依藤城攻 ならびに浦上陷諸城事

肥前国田傳村合戦

細川常桓、浦上則宗を頼る 附・播州伊丹富松大物合戦

天王寺合戦 附・細川常桓自害

畠山総州・三好開運自害

大内勢、筑前渡海ならびに大友義鑑、星野攻め

尼子経久・鹽冶興久不快之事

龜井新次郎經久最後之暇 乞事

雲州佐陀城沒落事

末次城合戰事

鹽冶興久備後被 落 附米原戰死之事

卷第八

隱岐國合戰之事

香川勝雄䡄大蛇,事

攝州諸所合戰之事

大内義隆九州渡海附 大内少貳和睦之事

藝州橫川合戰事

武田光和逝去 附噂之事

武田家督評定之事

武田攻八木城 附武田出奔竝若狹武田之事

巻第九

鹽冶興久自害事

興久斬化者事

備後國宮城合戰事

備後國高野山降參 附桂元澄弓勢之事

肥前國大智庵城夜討 附松浦幸松丸事

毛利元就屬大内義隆事

尼子晴久藝州發向評定 附伯州大山神勅事

卷第十

武田信實賴尼子事

藝州岩屋城合戰之事

尼子晴久吉田發向之車

太郎丸 竝池内合戰 附湯原彌次郎討死之事

遣分合戰之事

大田口合戰之事

風越山宮崎合戰 竝後河原合戰事

琢阿彌討死事

右田弘詮イメージ画像
イマドキ『陰徳太平記』

『陰徳太平記』は江戸時代に書かれた軍記物です。毛利家臣によって書かれ、「陰徳思想」によって、毛利元就を礼賛する書物です。毛利家と関わりのあった他家の人々についても面白おかしく書かれているので、読み物としてはそれなりですが、信憑性は薄いです。

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ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

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全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
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