陶の城@周防山口館
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陶のくにの人々
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陶のくにの人々
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陶盛政 周防守護代世襲開始・菩提寺龍文寺の開基
盛長の子で、五代当主。盛見、持世に仕えた。持世代に初めて周防守護代となり、同職は以後代々陶氏の世襲となった。陶氏菩提寺に
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陶盛長 四代目当主・盛見代の長門国守護代として尽力
三代目・弘長の従兄弟。弘長には跡継がなかったものか、庶流ながら当主となった。宗家・盛見に仕え、長門守護代となる。盛見配下
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陶弘長
父・弘政とともに宗家に尽し、数々の戦に従軍。義弘期の「応永の乱」にも名前が見える。弘茂と盛見の家督争いで盛見について功績
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陶弘政
陶祖・弘賢の子。鷲頭氏への抑えとして、弘世の命で富田保に領地替えした。その後、陶氏代々の根拠地となる富田保に最初に入部し
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陶興昌 二十代半ばで早世・陶氏嫡流断絶か!?
陶興房の子。安芸国に従軍中、病に冒されて早世。『陰徳太平記』や系図但書には、優秀すぎるがゆえに、主・義隆を悪し様に言う我
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陶武護
陶弘護の嫡男。大内義興に随行して上洛中に、出家遁世。やがて帰国して家督を継いでいた実の弟・興明を殺害。「謀叛人」として主
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陶興明
陶弘護の次男。嫡男である兄・武護の突然の出家遁世で陶家の家督を継いだものの、その後帰国した兄と戦闘になり敗死したとされて
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毛利家に帰順した人々(早期組)
毛利家に帰順した家臣たちです。結局はほとんどの人が毛利家に将来を託すことになったのは当然のことですが、中でも、「いちはや
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義長政権家臣たち
『大内氏実録』で「叛逆」に入れられている家臣たちについて。抄訳しました。弘中隆兼、青景隆著、飯田興秀、阿川隆康等。組み分
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陶弘詮(右田弘詮)
『吾妻鏡』の蒐集・書写で著名。現在の「吉川本吾妻鏡」である。陶家出身だが、右田家を継ぐ。後に旧姓に復した。孫は毛利家臣。
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