平和記念公園(広島県広島市中区)とは?
世界遺産・原爆ドームがある総合公園です。広島県には、202407 現在、世界遺産登録されている遺跡が二つあります。一つの県内に複数の世界遺産登録がある県は少ないですから、とても名誉なことです。しかし、平和公園内にある原爆ドームは、戦争の記憶を忘れないように、という願いから登録されているという経緯があり、悲しい歴史を刻むものです。名誉なことなどと喜ぶ遺産ではありません。
毎年八月六日には、この公園内で平和記念式典が執り行われ、国民すべてが過去の戦争の記憶を風化させぬように、平和について考えなければならない日となっています。公園は平成十九年、二十年(追加)に、名勝指定されました。
平和記念公園・基本情報
所在地 広島市中区中島町1及び大手町1-10
昭和二十五年着工、三十年竣工、三十一年供用開始
(参照:広島市さまHP)
平和記念公園・概観
平和記念公園は、原爆死没者の慰霊と世界恒久平和を祈念して開設されました。戦争についての記憶を風化させてはならないという思いから、当時を記録した資料館を設置。さらに、世界平和への願いを込めたさまざまな記念碑やモニュメントが設置されています。また、最近新たに、2023年度に広島で行なわれたG7サミットの記念館もオープンしました。
この公園を訪れた理由は、宮島で観光案内をご依頼していたガイドさんから、広島県内での観光を開始するにあたって、必ず最初に訪れておいて欲しい、とのお話があったためです。負の記憶を風化させたくはない、とのお考えの方であらせられたゆえにと思います。
園内施設と記念碑
原爆ドーム 平成七年、史跡指定、平成八年、世界遺産登録
慰霊碑・記念碑 三十五基
被爆樹木・アオギリ、インドハマユウ
広島平和記念資料館 平成十八年重要文化財登録(建物)
広島国際会議場
国立原爆死没者追悼平和祈念館
レストハウス
G7広島サミット記念館
(参照:広島市さまHP)
世界遺産・広島平和記念碑
「広島平和記念碑」とは何のことであろうか? と思ってしまいますが、原爆ドームのことです。世界遺産に登録された原爆ドームは「広島平和記念碑(原爆ドーム)」という名称になっているのです。そして、「負の遺産」という但書があります。
県内で、厳島神社も世界遺産登録されていることから、世界遺産の認定基準等については、他のページに詳細を書いています。そちらもあわせてご参照くださればと思います。
繰り返しにはなりますが、世界遺産の登録には、世界遺産委員会(正確にはその事務局である世界遺産センター)への「暫定リスト」提出 ⇒ リスト受理後センターの公式サイトに公開(ここで正式に暫定リストに登録された状態)⇒ センター充てに「推薦書」提出 ⇒ 世界遺産認定審査という流れとなります。
結果的に、審査に通った原爆ドームは、世界遺産として認定されました。その認定の理由は「世界平和を目指す活動の記念碑として、世界でもほかに例を見ない建造物である」というものでした。世界遺産に認定されるかどうかの基準として、10あるうちのどれか一つの審査基準をクリアしなくてはなりませんが、原爆ドームのそれは「ⅵ」でした。
審査基準ⅵは「人類の歴史上の出来事や伝統、宗教、芸術などと強く結びつく遺産」というものです。いずれか一つといいながら、たいていは複数の認定基準によって認定されることが多いのが世界遺産ですが、いわゆる「負の遺産」の場合、ほかの登録基準が認められることは難しく、ⅵのみとなるケースが多いようです。
「負の遺産」とは?
そもそも、「負の遺産」とは何なのでしょうか。世界遺産条約には、そもそも「負の遺産」なるものの定義は存在しません。また、認定基準もありません。名前の通り、マイナスのイメージがつきまとい、あまりうれしい気分にはなれないでしょう。しかし、「負の遺産」なる世界遺産はそれなりの数存在し、世界遺産認定の大原則である、他に類をみない、際だった特徴を擁しています。
『世界遺産大辞典』では、コラムの中で、負の遺産の意義についてつぎのように記しています。
これは人類が犯した戦争や人種差別などの人道的な過ちを記憶することで、将来への教訓となるような遺産である。
出典:『世界遺産大辞典・下』450ページ
「負の遺産」として登録されるものは、だいたいにおいて、「戦争にまつわるもの」と「人種差別の歴史にかかわるもの」のいずれかにあたります。前者にはナチスドイツの強制収容所が、後者には奴隷貿易が行なわれていた港などがあてはまります。
これらのものを世界遺産に登録する意義は、人類が過去においておかした戦争や人種差別に関する「過ち」について、遺産登録することによって、後世の人々にも記憶させるということにあります。それゆえに、これらの遺産は、「世界平和や人権を扱う教育の場」において重視されています。しかしながら、戦争も人種差別も未だに根絶されることなく、なおもどこかで続けられています。このような現状を鑑みても、「負の遺産」が果たす役割は未だに、とても大きいと言えます。
原爆ドームが登録されるまで
原爆ドームは、元々、広島県産業奨励館(もと広島県物産陳列館)という建物で、大正四年(1915)四月にチェコの建築家ヤン・レツルによって設計されました。けれども、原子爆弾の投下により、壊滅的な被害を受けました。産業奨励会館であった時代の姿については、現地の案内プレート、資料館や、お隣のおりづるタワー(後述)などでも、写真で見ることができます。当時としてはモダンで、お洒落な建物として、地元の人々にも愛されていたのです。
しかし、被爆により、建物は壊滅的なダメージを受けます。それでも、レンガの壁と天井ドームの鉄骨だけがわずかに残っていたことから、戦後「原爆ドーム」とよばれるようになったそうです。
被爆者の方々には、原爆投下を思い出させる建築物を残しておきたくはないというご意見も少なくなく、そのいっぽうで、戦争の悲劇を後世に伝えるものとして保存しておこうという意見もありました。それゆえに、解体か保存かという問題が議論されました。半ば倒壊している建物をそのままにしておくことは危険でもあるため、意見がまとまらぬままに、市では安全のため解体する方向に動き始めていました。そんな中、後世までこの悲劇を風化させることなく、平和について考えるためのものとして保存しておくべきである、という市民運動が起ります。
そのような流れの中、昭和四十一年(1966)、広島市議会は永久保存を決定しました。とはいえ、倒壊の危険は免れません。早急に建物の保存を行なう必要がありました。工事費をまかなうため、募金活動も行なわれ、無事に保存事業が完了します。
永久保存が決定したのち、市では世界遺産への登録を目指し、国に推薦を求めます。ところが、「文化財ではない」という理由で拒絶されてしまいます。人々は「原爆ドームの世界遺産化をすすめる会」を結成して国に対する働きかけを続けました。結果、「文化財保護法」の指定基準が改正されたといいますから、元々の法律では、原爆ドームを文化財認定することができなかったのでしょう。
法律改正により史跡認定され、国も世界遺産推薦に向けて動き始めます。こうして、平成八年(1966)、世界遺産への登録がかなったのです。(参照:『広島県の歴史散歩』、『世界遺産大辞典』)
こうして、世界遺産に登録された原爆ドームには、国内は元より、海外からも訪れる人が絶えません。戦争の悲惨さに驚くと同時に、世界平和への誓いを新たにする場所として、立派にその役目を果たしていると言えます。
平和記念公園(広島県広島市中区)の所在地・行き方について
所在地 & MAP
所在地 〒730-0811 広島市中区中島町1丁目1−10
アクセス
広島電鉄「原爆ドーム駅」から徒歩圏です。
参照文献:広島市さま HP、『広島県の歴史散歩』、『世界遺産大辞典』
平和記念公園(広島県広島市中区)について:まとめ & 感想
平和記念公園(広島県広島市中区)・まとめ
- 広島市の中心部にある都市公園
- 第二次世界大戦時の被害についての資料館や、平和への願いを込めた記念碑などがある。中でも有名なのが「原爆ドーム」である
- 原爆ドームは「広島平和記念碑」として、世界遺産に登録されている。これはいわゆる「負の遺産」としての登録であり、文化財の美しさを堪能するための場所ではなく、人類がおかした戦争という過ちについて反省し、平和を願うための遺跡としての認定である
- 毎年八月六日、公園内で平和記念式典が行なわれ、戦争の記憶を風化させないように誓い、世界平和を願うための大切な一日となっている
戦争体験者だった祖父母の世代がだんだんと世を去って行く中、戦争の記憶を留めている方を探すことも難しくなってきました。悲しいけれど、やがて別れはやって来るので、仕方のないことでもあります。体験者から、直接お話をお伺いする機会が次第に失われていく中、かたちあるものとして残されている原爆ドームは、今も無言で当時の出来事を今に伝える貴重な存在です。
え!? 日本とアメリカって、戦争してたんですか!? という若者が存在するといことが問題視された時期もありましたが、それはいくらなんでも極端な事例でしょう。そんなイマドキの若者たちも、ここへ来れば、ちゃんと厳かな面持ちで拝観しております。
昨今、ドームの保存について、また問題になってきていると小耳にはさみました。経年劣化の問題はいずれの文化財にもつきまといますが、元々完全なかたちで残されておらず、骨組みだけであることから、その問題はますます深刻です。普通の寺社仏閣でしたら、現在の技術を以てすれば、改築前とほとんどかわらぬ姿に再建することも可能です。しかし、半ば倒壊している建物についてはどうすればよいのでしょうか。
おりづるタワーの展望台から、大都会広島を眼下に見下ろしつつ、圧倒的存在感を誇る原爆ドームを見ながら心中複雑でした。できうることなら、負の遺産などないほうが好ましいのです。世界に存在を認められた貴重な遺跡であることは誇らしいことですが、多くの人々の悲しみを目にしてきた建物であるということに思い至る時、戦争なんかなかったら……と思うのでした。
戦争のあらましや、原爆投下についてより詳しく知りたい方は、現地に赴くか、ネット検索でかまわないので、ご自身でお調べください。テーマが重すぎるため、とても書き記すことはできません。世界遺産登録の話だけで通り過ぎたのには、理由があります。書けなかったんです。この項目については、ほかのページとやや趣が違っていますが、原因はそこにあります。
附・おりづるタワー
おりづるタワーは平和への祈りをこめた建物です。世界文化遺産である原爆ドームの隣にございます。
展望フロアからは、原爆ドームをはじめ、広島市内を一望できます。特に夜景は美しいそうです。ほかにも、原爆資料館的な展示物も多数ございます。
この建物を設計した三分一博志さんは山口県出身で、宮島弥山の展望休憩所もこの方の設計です。
展望フロアは有料となりますが、一度入場料をお支払いすると、その日一日有効です(202003現在)。なので、いったん市内観光に出かけ、あとから夜景を見るために戻る、ということが可能です(手にスタンプになりますが)。展望フロアからの景色は本当に素晴らしいのですが、その風景を満喫できるよう、ガラス越しではなく、直接展望する仕様です。つまり、雨の日や風が強い日はそのまま雨や風が吹き込んできます。ですので、訪問なさる際のご注意事項としては、天気がよく、暖かい日に行くことがオススメです。
スタッフの方がとても親切で、寒いときは毛布を貸し出してくださったり、記念撮影をしてくださったりきめ細かな心遣いがあります。また、同じビル内で、広島の名産品なども販売しているので、土産物ショッピングも楽しめます。
おりづるタワーからの展望
こんな景色が見えます。高所から転落しないように、周囲はぐるりと柵で覆われています。写真を撮ると柵が入ってしまいますが、おかげで危うく落ちそうになることもないので、安心です。
原爆ドームの元の姿
これが在りし日の産業奨励館のお姿です。ほかに、設計者・ヤンレツルさんについての案内もありました。
基本情報
住所:〒730-0051 広島市中区大手町1丁目2−1
HP:https://www.orizurutower.jp/
※館内には平和への祈りを込めた絵画作品などの展示もありますが、芸術作品となりますので写真撮影はできません(撮影禁止のご案内はありませんでしたので、個人的な記念として撮影することは可能かも知れません。いずれにせよ、撮影前にご確認をお願いいたします)。
まさか、南蛮人と戦してこんな被害が出ていたなんて。こうなると、少弐や安芸武田と揉めている場合ではないね。国対国の争いだもの。
輝元さまが築かれた広島城も、この時に跡形もなくなった……。多くの方々のお命も、歴史ある建造物も、町そのものが一瞬にして消えてしまったという。こんな無慈悲な行い、「天下人」すらやらない。
平和になった世の中で、世界遺産となった原爆ドームを見学している。ミルたち幸せ者だね。今目にしている広島の街はこれほどに、綺麗な大都会になっているけど、戦後は何一つなかったんだよ。日本全国焼け野原だらけとは言え。応仁の乱で都が燃えたとか、可愛らしい話に思えてくるね……。
偶然なのか、故意になのか知らぬが、資料館の休館日に訪問しているお前たちは、まずは資料館に入るところから学ぶ必要がある。山城巡りはそれがすむまでお預けだからな。
わざとじゃないんだよ。本当に臨時休館で。ちゃんとまた来るよ。
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