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円龍寺(山口市三和町)

2023年11月11日

円龍寺・入口

山口県山口市三和町の円龍寺とは?

山口市三和町にある浄土真宗本願寺派の寺院。大内持盛の娘が開基で、夫の菩提を弔うために蓮如の弟子となり、明星という法名を授かって創建したそうです。

元は平川の地にあり、寺号も延龍寺といいました。二世の時に寺号を現在の「円龍寺」と改めました。平川の地から現在地に移った経緯は不明ですが、「旧地」も残されていて、そこにあった井戸から龍が出たという言い伝えがあるといいます。

維新の時、本堂が奇兵隊の駐屯地となった(現在は改築されています)、藩主が山口に移った時に、庫裏を休憩所にした、などの近代の逸話もあります。

※以上は昭和初期に書かれた案内書籍を参照しておりますので、現在も「旧地」があるのか、平川から移転したという「現在地」が令和の今の現在地なのか、引き続き調査中です。

円龍寺・基本情報

所在地 〒753-0052 山口市三和町1− 28
山号・寺号・本尊 龍頭山・円龍寺
宗派 浄土真宗本願寺派

円龍寺・歴史

『山口県寺院沿革史』には、だいたいつぎのように書かれております。

「開基は大内持盛公の長女で俗名を春子といった。夫・平井治良判官が戦死したのち、その菩提を弔うために浄土真宗に帰依して、時の法主・蓮如の弟子となり、剃髪して法名を明星と賜った。文明十三年にこの寺院を創建し、始祖となる。慶長九年九月二日、寺号を授けられた。

当時は吉敷郡平川村字平川にあって、寺号を延龍寺といったが、第二世の住僧・願了師は常に外出していて、自坊にいることは稀だった。ある夜、本堂の裏に白蛇が現われて「これ以降は自坊にいて、布教せよ」と告げた。この夢を見たのち、願了は外出をやめて法務を執るようになり、延龍寺の文字を改めて円龍寺とした。

元の寺地に井戸があって、この井戸から龍が出たと伝えられており、今なおその旧跡がある。かつて、旧寺地に住み守っていた者が転居すると、家運は衰え、悲境に陥った。その時、円龍寺の開基が夢に現われて、「旧地に戻って住むように」と告げたので、旧地に帰ると、不思議なことに家運は俄に栄えて現在に至るという(現在の吉野家がすなわちそれである)。

旧本堂は維新の時、奇兵隊の駐屯所となったが、現本堂は第十六世・実叡の時に改築された。庫裏は藩主が山口に移られた時、お休み所に使われたという。

宝物として、毘沙門天(木造七寸で、開基の守り本尊)と雪州盆十枚がある。

かつて藩主の用水だった「讃井井戸」が名物である。」(参照:『山口県寺院沿革史』原文文語体)

旧寺地の井戸から龍が出たというのが、寺院の名前と深く関わっているように思われますが、それについては記述がなく、また、平川から現在地(?)に移転した時期も不明です。大内持盛は、大内持世と家督を争って敗死した兄弟ですが、その娘さんが開基にして始祖となっているというところが、たいへんに興味深いです。

それは後世の物好きが考えることであって、ご本人としては、純粋に亡くなったご主人のために寺院を建てられた、というごく普通の流れです。

ちなみに、以前ご紹介した陶の円覚寺を建てた(再興した)元大内家臣・八木主膳が修行したのはこの円龍寺さまと思われます。⇒ 関連記事:円覚寺

円龍寺・みどころ

町中にあるごく普通に立派な寺院さまです。特に御由緒看板のようなものもなく(単に探し当てられていなかったらすみません)、大内氏とのゆかりを示すようなものはありません。『沿革史』にある「名物」だという「井戸」が気になりますが、どこにあるのかわかりませんでした。そもそも、本では寺院さまの所在地が讃井となっており、これが市町村合併などによる地名の変更なのか、本が書かれたのちに寺院さまが移転なさったのか不明です(『沿革史』は昭和初期に書かれたご本です)。

ご本堂などの建物はすべて、新しくて立派ですので、再建物と思われます。そのためか、文化財指定となっているものはありません。敷地内には立派な墓地があり、観光資源というよりも、地元の信者の方々に広く信仰されている寺院さまです。

寺号碑

円龍寺・寺号碑

圓龍寺のお名前は、旧字体の圓を「円」にして問題ないですが、龍を「竜」にしてしまうと、地図検索をしても出てきません。円龍寺さまですので、お間違えなきように。紛らわしいのは円竜寺という寺院は全国に数多くあるため、検索には多数ヒットしてしまうことです。どこかにあるのではないかな、とスクロールしても無駄です(多分)。

遠景

円龍寺・遠景

道の反対側から正面を見た様子です。ご覧のようにとても広い敷地です。向かって右手のほうが墓地になっています。

山門

円龍寺・山門

山門の木の部分に、ちょこっと年代を感じさせる趣が。特にご説明はありませんが、江戸時代くらいからは続いているもののように思えました。むろん、きちんとメンテナンスがなされているので、当時そのままではないはずですが。

本堂

円龍寺・本堂

『沿革史』に本堂は明治維新の際に、奇兵隊の駐屯地になり云々とありました。その後、改築されたということなので、明治時代は降らない造営となろうかと。灯籠一対、用水桶一対、それに、ちっちゃな梵鐘がありました。

山号額

円龍寺・山号額

円龍寺(山口市三和町)の所在地・行き方について

所在地 & MAP

所在地 〒753-0052 山口市三和町1− 28

アクセス

最寄り駅が、山口駅か湯田温泉駅なのか、ちょうど中間辺りに位置している(地図)ので迷うところです。湯田温泉の宿泊施設をご利用の方ならば、そちらから目指すのがいいでしょう。当方は常に山口宿泊ですので、山口駅からとなります。ただし、駅から向かったというよりは、ほかのあれこれの神社仏閣を回る中でという行き方なので、以下のご案内は自ら通った道ではありません。

山口駅を出て、駅を背に左手方向にあります。駅前の信号機を渡り県道 194 号をひたすら歩きます。やがて県道2号と重なる十字路に出ますが、なおも進んでいくと、右手に一の坂川が見えるところを通ります。なおも道なりに行きますとまた十字路にぶち当たります。しつこく道なりに行くと寺院さまは間もなくです。寺院さまの敷地が広いですので、最初の道を左折して右手の方角とか、二番目の道を左折すると見えてくるとか、行き方は色々となり、どの道を行くかはお好み次第のようなところがあります。町中にあるため、やや見付けにくいこともあり、どこか安全な場所でナビゲーションを起動し、現在地の確認と最短距離のアドバイスをもらうのがよいかと思います。

※山口駅と湯田温泉駅の中間地点くらいが出発点ということは、駅ひとつ分の半分を徒歩で行く、ということになります。しかも駅からもそれなりあるわけですので、歩くのが嫌いな方にはけっこう大変かもしれません。

参考文献:『山口県寺院沿革史』

円龍寺(山口市三和町)について:まとめ & 感想

円龍寺(山口市三和町)・まとめ

  1. 山口市三和にある浄土真宗寺院
  2. 大内持盛の娘が開基。戦死した夫の菩提を弔うため蓮如上人の弟子となって明星という法名を授かった
  3. 明星は寺号をもらい、始祖となったが、第二世・願了は外出ばかりしていて、自らの寺院の法務を疎かにしていたらしい
  4. 本堂裏に白蛇が現われて今後は外出を慎み、自らの寺院にいるように、とのお告げがあった。この夢を見たのち、願了は腰を据えて法務を執り行うようになった。この時、寺号を、元々の延龍寺から現在の円龍寺と改めた
  5. 寺院は元々平川の地にあった。その旧地に井戸があって、そこから龍が現われたという言い伝えがある
  6. 旧地に住まいして管理していた人が場所を移転すると、その家運が衰えてしまった。そんなときに、開基が現われて、元の場所に戻るようにというお告げがあった。言われるままに居を戻すと、俄に家運が栄えたという
  7. 明治維新の時、寺院の本堂は奇兵隊の駐屯地となったが、その後改築された
  8. 藩主が山口に移られた時、当寺院の庫裏を休憩所にしたという

こちらの寺院さまは「大内氏ゆかりの寺院」というキャッチフレーズで参拝しております。しかしながら、それらしき面影はまったくないです。まずは、開基が大内持世と家督争いをして敗れた持盛の娘であること。間違いなく、ゆかりはあるわけですが、地味ですよね。何せ、お父上は不幸な亡くなり方をしているわけで。これが、持盛のほうが家督を継いでいたとかなると、当主の娘という身分となり、かなり大袈裟な扱いになるかと。

開基にして始祖であるなんて、かなりすごいことだと思うのですがね。文明十三年創建ということですので、時代は法泉寺さまの頃ということになりますが、築山大明神さまの養父の兄弟(血縁的にはいずれも従兄弟という……)の娘ってことなので、そこそこご高齢だったんだろうかとか、あれこれ考えてしまうときりがないのですが、そんなこと書いてくれている史料はないんだよ(多分)、みたいな。

寺号に「龍」と入っているのも、井戸から龍が出た云々の言い伝えと関係あるんだろうとか思うのですが、寺地は移転しているので、井戸はたぶん、もともとの場所にあるのだろうと思われ。昭和初期に書かれたご本だと、旧地も残っているとのことですが、現在はどうなんでしょうか。

正直、この辺りまで来ると、寺院さまに参拝するのも恥ずかしいくらいです。由来看板すらない(見付けられていないだけでしたらすみません)ということは、完全に観光資源的な寺院さまではなく、信者の方々のために存在する寺院さまです。ですので、詳細をお伺いしたい場合は事前にアポイントメントを取って……みたいなことになるわけですが、そんなん行きずりの観光客には無理な相談です。ガイドの仕事やってても、こちらに観光客の方を連れて行くことは考えにくいです。もしも、同じような思いからこの寺院さまに参拝したいというリクエストがあったら、多分、事前に許可をもらわないとかな、と思ってしまった……。取っときゃよかった学芸員の資格。わずかに数単位余計に講義受けるのがメンドーだったのと、博物館とか競争率高すぎて資格あってもほぼ夢はかなわない系のもの=無駄と考えてしまったので。資格持ってたならばさ、寺院さまにご由緒を聞かせてください、って言う時も「研究者っぽく」見えて恥ずかしくないもん。しかし、すでに手遅れなことを嘆いても仕方ないので、そっとお参りして通り過ぎました。

観光資源じゃない寺院さまに、聖地巡礼していいのかという問題については、とある寺院さまでご住職から貴重なお話を拝聴したので、それについては該当寺院さまのご紹介のところで。

こんな方におすすめ

  • 「大内氏ゆかりの」とあったら通過できません(というか探してしまいます)

オススメ度


観光資源ではなく、信仰の場です。ゆかり云々の方はそのことを胸に刻んで、信者の皆さま、寺院さまのご迷惑にならないように、そっとお参りして通過することが推奨されます
(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

なんか普通のお寺だよね? 本にはすごい由来書いてあるけど、本当なのかな?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

信じる者は救われるとか言うじゃん。浄土真宗とは無関係なのに、観光地みたいに乗り込んじゃダメだよね(← 神社信仰、寺院宗派なし)。

五郎吹き出し用イメージ画像(涙)
五郎

念仏唱えるだけで極楽浄土行けるんだよね。いいなぁ。でも俺んちの寺違うみたい(← 曹洞宗)。そもそも、殿様も、その身内とかも、ありとあらゆる宗派の寺建てたりしてるけど、それってありなの?

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

よく分んないけどさ、殿様ともなれば、いろんな宗派の寺院 & 民(何らかの宗派の信者)すべてを満足させなければならぬので、宗派問わず寄進しまくりも一種の「政策」なんじゃ? 本人が何を信仰していたかなんて本人に聞くよりほかないけど、菩提寺の宗派とかでだいたい分るんじゃないかな。おそらく全員禅宗と思ふ。そもそも、ここの開基は殿様ではなく、殿様の親戚の女性。何を信仰しようとも自由でしょう。流行り廃りもあるだろうし。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

あれ!? 氏寺の興隆寺は禅宗じゃないじゃないか。当主皆が禅宗とか、また嘘ついてるな。

宗景イメージ画像
宗景

「菩提寺」が、とことわっていたようだぞ。興隆寺がいつから存在していたか忘れたのか? 宗教の歴史から見たら、禅宗は最近になって取り入れられた部類に入る。興隆寺が天台宗というのも、いっとう最初に琳聖太子が創建という言葉が正しいとしたならば、当時は密教すらなかったはずで矛盾する。いずれかの時点で改宗されたのだろう。そもそも神仏習合していたのだから、天台宗寺院というよりも、あそこは妙見社メインのものだ。ま、両方ありだがな。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒る)
五郎

(アンタも坊さんには見えない……。細川家の山伏にそっくりだ。由緒ある寺院のお坊さんならば、きちんと寺の中でお勤めをしているはずなのに……。瓢箪持ったり、あまつさえ刃物まで。僧兵ってやつかな?)「歴代墓掃除」の掟書に名前載ってない昔の人は、宗派も菩提寺もわからない、ってことだな。

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ミル@周防山口館

大内氏を愛してやまないミルが、ゆかりの地と当主さまたちの魅力をお届けします
【取得資格】全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
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