
山口県周南市大字須々万本郷の飛龍八幡宮とは?
京都の石清水八幡宮から勧請された、須々万地区の八幡宮です。国指定天然記念物である「大玉杉」が有名な神社で、創建は南北朝期とされています。
この「大玉杉」には、勧請された御神霊をどこにお祀りするか相応しい土地を決めるために、二本の杉の木を別々の場所に植えたところ、一本は枯れてしまい一本は残ったという言い伝えがあります。残ったほうの杉が他ならぬ「大玉杉」です。
なお、弘治三年(1557)に、毛利元就・隆元父子がこちらの八幡宮で「武運長久」の祈願をし、「神明の加護により凶徒を平定」したとされ、毛利父子の寄進状は今も神社の社宝として伝えられています。ここでいう「凶徒」とは「陶氏の残党」のことで、毛利家が防長経略で沼城の攻略に手こずった際のことを言っています。
飛龍八幡宮・基本情報
御祭神 応神天皇、神功皇后、田心姫命、市杵島姫命、湍津姫命
社殿 本殿、釣屋、弊殿、拝殿、拝殿控室、参集殿兼社務所、長庁
主な建物 鳥居、灯籠、狛犬、手水舎、社務所、神庫ほか
主な祭典 例祭(春・四月十五日、秋・十月二十一日)、祈年祭(四月十五日)、新嘗祭(十一月二十三日)
境内社 菅原神社、相殿・速田神社、河築神社(河内神社、築地神社、西谷社)
※『神社誌』によれば、神社の名称は「八幡宮」であり、「飛龍八幡宮」は通称です。
(参照:現地案内看板、『都濃郡誌』、『山口懸神社誌』)
飛龍八幡宮・歴史と概観
天降った神霊と大玉杉
創建は南北朝期の康暦二年(1380)に遡ります。後円融天皇の御代、京都の石清水八幡宮の神霊が須々万の西ヶ原というところの「太石」に天降られました。これが、この神社の「影向石」であるとされています。南東には飛龍山という丘陵があり手水池が、南西には大杉があります。
この大杉は、国指定天然記念物であり、神社の社宝の一つとなっています。この杉の木に、影向石に天降られた神霊を遷し、その後、神さまをお祀りする社殿が建てられたのです。
名称 : 大玉スギ
ふりがな : おおたますぎ
種別1 : 天然記念物
指定年月日 : 1930.08.25(昭和5.08.25)
指定基準 : (一)名木、巨樹、老樹、畸形木、栽培植物の原木、並木、社叢
所在都道府県 : 山口県
所在地(市区町村) : 周南市須々万
解説文:目通幹圍十メートル樹勢雄大杉ノ巨樹トシテ有数ノモノナリ出典:国指定文化財等データベース文化財等データベース(文化庁)
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/401/2393
『都濃郡誌』には、とても興味深い御由緒が記されています。だいたい、以下のような内容です。
「この神社は須々万村の産土神で、字新荘にあり、応神天皇、神功皇后、田心姫命ほか二神を祀っている。社伝によれば、往古、岸村佐渡守行永という人が、京都男山に参詣し、石清水八幡宮を勧請して戻り、字鳥居が原に安置した。字本荘とご新荘の二箇所にそれぞれ一本の杉の樹を植え、それが繁茂するか否かによって、神意に副う所を占った。すると、本荘のものは枯死し、新荘の杉だけが残ったので、ここにお遷しし、新荘社と称した。現在、八幡宮境内にある周囲二丈八尺余、高さ十八丈余の大杉がこれである。その後、後亀山天皇の天授六年、字西ケ原にある大磐石の上に、南方の空中より光を放つものが毎晩のように飛来した。里人がこれを訝しく思っていた頃、山口では、仁壁神社の神主・高階甲斐守春満が霊夢を見ていた。飛龍が枕元に佇み、「吾は男山八幡宮の神霊なり。正に神意に適いたる美地を発見し、人民守護のために来れり」と告げて空に飛び去った。夢から覚めると、枕元には神剣が横たえられていた。春満は何ともめでたいことだと感じ入り、神意に適う美地とは果してどこなのかと、気にかけていたところ、偶然にも新荘の出来事を伝え聞いたので、山口からここにやって来たところ、噂通りだったので、これより大盤石を影向石もしくは神具石と呼んだ。この東南の森林に無比の巨杉があったので、春満は御神体をそこに遷し、飛龍八幡宮と称した。元和三年、領主・毛利秀就が、宿願によって長庁を建立。同五年、悪疫が大いに流行したため、終息を祈請したところ忽ちに霊験が現われたので里民は大いに喜び、八月朔日に大踊で神慮を慰め奉った。その後、社殿は火災に遭い、正保元年九月、原惣右衛門が神輿を寄附し、十月朔日に神幸を執行。その後、慶安二年にまた失火したので、再建し、文政十一年八月九日には、大風のために樹木が倒れて、鉤屋と長庁が大破したため、天保元年六月拜殿を再建。同二年二月楼門を造築した。例祭は文化年中九月二十一日に定めたが、明治二十三年に改めて四月十五日とした。社格は郷社である」
ちなみに、理由不明ながら、『都濃郡誌』では、南朝年号が使われていますが、創建年代は『神社誌』や案内看板とまったく同じです。
陶氏ゆかりの地にある毛利元就ゆかりの神社
勝者によって歴史が塗り替えられるということはままあります。もはや仕方ないことです。地理的にみて、須々万にご鎮座する八幡宮がかつて彼の地を治めていた勢力と何のゆかりもないとは考えられません。地元の方々が、陶氏の歴史を綴られた『中世周防の国と陶氏』という労作にも、飛龍八幡宮はゆかりの神社さまのひとつとして記されています。ただ、その「ゆかり」を示す明確な記述はありません。上掲書は、こちらの八幡宮が、天降った神霊石が祀られたものであるという由緒沿革を述べた部分までの『神社誌』ご参照と思われる記事で途切れています。その理由は、それ以降の『神社誌』の記述が以下のようになっているためと感じます。
「戦国時代の弘治三年(一五五七)、毛利元就·隆元父子が陶氏の残党征伐の時、須々万の沼城攻略に際して、当社宝前へ五貫文の地領を寄進し、武運長久の祈願を成し、神明の加護により凶徒を平定したと伝える」
いかにも普通に神社の歴史を記した記事にすぎませんが、「陶氏の残党征伐」「凶徒平定」というキーワードは、書籍の主旨にあいません。陶氏ゆかりの神社が、毛利元就・隆元父子を助けた物語になっていては都合が悪いからでしょう。
とはいえ、陶氏時代の記録も特に記されていませんから、ここはもう、領国内にあった、という認識で処理するほかないです。面倒なので、本家サイトのほうに書くことにしました。
『神社誌』によれば、「社宝」として、以下のものが記されています。
「銅製瓶子一柄(室町時代)、鉄造甲冑金具(室町時代)、天文年中御裏書連判証文(天文十二年)、毛利元就・隆元御判物(弘治三年)、毛利輝元祈願状(弘治三年)、大玉杉(国指定天然記念物、推定樹齢一二〇〇年」
このうち、「天文年中御裏書連判証文」は明らかに大内氏時代のものと思われます。また、大玉杉も当時から存在していたでしょう。ただし、銅製瓶子と甲冑金具についてはこれだけでは出所不明です*。単に室町時代のものである以外由来不明と言わざるを得ません。ただ、毛利家関連のものであるならば、由来がはっきりしているはずでは? と想像する次第です。毛利元就・隆元・輝元に関わるものについては言わずもがなです。
*『都濃郡誌』には、古文書として元就父子の寄進状を載せるほか、すべて大永年間奉納のものとして、兜(杉杜十郎)、太刀(山崎興盛)、長柄瓶子(勝屋貴為)も記されています。これを見る限りでは、『神社誌』記載の「室町時代」の宝物はこれらなのかと感じますが、『都濃郡誌』より時代が新しい資料である『神社誌』が明記していないとなると、誰がいつ奉納したものであるのかは、不明になっていると考えるのが妥当です。
その後、永禄十一年(1568)、郷の役人・岸村佐渡守が再建を願い出たとありますが、この時当地はすでに毛利家の支配地ですので、大内氏とは無関係です。
近世以降
寛永年間 社殿焼失、毛利秀就が再建を許可。
慶安二年(1649) 再建完了
寛文二年(1662) 拝殿再建(棟札あり)
延宝二年(1674) 御殿、長庁葺替え
元禄五年(1692) 御殿、拝殿、釣屋葺替え
享保元年(1716) 再建
元文二年(1737) 再建
昭和五十八年(1983) 本殿、拝殿、釣屋、長庁葺替え等大改修
その後も再建、新築などが続けられ今日に至る
飛龍八幡宮・みどころ
鳥居

何と言うことか、鳥居の写真その他を撮り忘れておりました……。取り急ぎ、社務所脇しかも背後から撮影した本殿に近い鳥居になってます。この先に見えているのが正解。駐車場から来ると往々にしてこのようなことが起こります。
手水舎

立派な手水舎ですね。
注連石

鳥居は取り忘れが多発してますから、注連石でご容赦ください。ここより神聖な領域です。
社殿

拝殿です。こちらの社殿は、これまでご参詣したほかの神社さまとは少しく趣を異にしておられました。拝殿⇒弊殿⇒本殿などとなっているのが多数派ですが、こちらでは、長庁⇒拝殿(両脇に控え室)⇒本殿となっているんです。少し拡大してみますと……

ご覧のように、石段を上がった先に、「各種祈願受付所」がございます。また、昭和五十八年の大修築に際して、「拝殿の両脇に控室を増設」(『神社誌』)とありますので、本来、社殿の外側からお参りして終了となるように思えますが、こちらでは内部に入っていくような雰囲気です。祈願のお願いをなさらない方、控室を使う必要がない方でしたら、不要とはなりますが。

社殿を脇から拝見しますと、その重厚感がくっきりします。本来、脇から拝見したお姿はとてもシンプルですが、こちらの神社さまは、脇から拝見しても絵になる構図でした。
延命水

『神社誌』の境内図にある「神池」にあたるものがこれではなかろうかと思います。「飛龍の延命水 地下四十メートルから汲み上げています」と説明文がありました。
大玉杉

神社の社宝でもあり、国指定天然記念物でもある大玉杉です。なんと、賽銭箱まであるんですよ。これ自体が御神体です。

さらに、手前には鳥居まで。これは単に、「大きな木だ!」で通り過ぎてはダメということですね。

ちなみに、神社さま入り口付近(駐車場降りてすぐ)から、大杉は視界に入ってきます。ただ、「目の前にあるのに、誰も気付かないんだよな」と同道してくださった方曰く。確かにこれだと、ただの木にしか見えなかったります。ちなみに、大玉杉だけに気を取られると見失いますが、飛龍八幡宮さまの「樹林」も「自然記念物」指定を受けている奥ゆかしいものです。
境内社・菅原神社

『都濃郡誌』によれば、江戸時代の創建で大内氏とは無関係です。明治時代にこちらに遷されました。いうまでもなく、御祭神は菅原道真で、太宰府天満宮から勧請されています。
境内社・河築神社

各地にあった「河内社」ならびに緑山築地社を合祀したもので、明治時代に神社整理によって八幡宮境内に遷されたものです。
飛龍八幡宮(山口県周南市大字須々万)の所在地・行き方について
ご鎮座地 & MAP
ご鎮座地 〒745-0122 山口県周南市大字須々万本郷 312
(※Googlemap にあった住所です)
アクセス
岩国から車で行きました。地図を縮小してみましたが、最寄り鉄道駅が見当たりません。公共交通機関として考えられるのはバス停ですが、MAP からは調べられず。どうにせよ、車を使わず徒歩で行くのは絶望的に思われます。
参考文献:現地案内看板、『都濃郡誌』、『山口懸神社誌』、国指定文化財等データベース文化財等データベース
飛龍八幡宮(周南市須々万本郷)について:まとめ & 感想
- 須々万地区にある八幡宮で、創建は南北朝期の1380 年
- 京都の石清水八幡宮を勧請したものだが、光り輝くものが天降ったという言い伝えもある
- 天然記念物(国指定)となっている大玉杉は神社の社宝でもあり、御神霊を遷したとされる。なお、神霊を遷すにあたり、相応しい場所を決めるため二本の杉の木を植えて占ったという言い伝えもある
- 防長経略で毛利元就が須々万沼城を攻略する際に、この神社に戦勝祈願をしたといわれ、その時の寄進状が今も社宝として残されている
- 近世以降も、人々に篤く信仰され、当主たちからも大切にされた。ゆえに、何度も再建事業が行なわれた。現在に至るまで当地の人々の信仰を集めている
須々万の沼城の物語は何度聞いても凄惨ですが、その城を落とすために毛利元就がこの神社に戦勝祈願したというのは何とも皮肉なことです。こういう例、ままあるのでしょうけど。落とそうと思った城がなかなか落ちない ⇒ 付近の神仏に祈願する ⇒ 付近の神仏=地元の人々の信仰の対象=信仰しているのは落とされようとしている城の関係者……。『都濃郡誌』の古い記述を信じて良いのなら、山崎興盛が太刀を奉納しています。もはや言葉になりません。
それはさておき、飛龍八幡宮という何とも素敵なお名前と、境内あちらこちらにある「龍」。これは、『都濃郡誌』にあった、仁壁神社の神主の夢枕に龍が現われたという伝説に関係しているのでしょうかね。『山口懸神社誌』には、なんと「飛龍八幡宮」という神社は載っていなかったので(小さな神社が載っていないことはよくあります)、そんなはずはないと須々万という住所で丹念に探すと「八幡宮」という見出しで載っていました。飛龍八幡宮というのは通称なのだそうです。ご本がちょっと古いものになりますので、通称改め本名になったかどうかは不明です。ただし、書籍が書かれた当時はそうでした。
八幡宮って全国に大量にあり過ぎるせいか、地元の名前を冠した「○○八幡宮」として区別していたりします。神社の南東に「飛龍山」という丘陵があるということなので、飛龍八幡宮というお名前は、そこから来ていると考えられますね。
最寄り駅から遠いゆえにか、平日朝のご参詣だったゆえにか、境内は閑散としていました。これだけの規模の神社さまなので、こういう日は稀だと思われるのですが。そのかわりに、清々しい社叢の空気を満喫できました。じつは、あるものを見落としたため、再訪必須となってしまいました。それが何かは、再訪後のお楽しみなので今は伏せておきます。

鶴千代ボリュームが足りないのに、なぜ周南市の神社が本家サイトに?
五郎いまある公式アナウンスだけだと、「毛利元就・隆元が戦勝祈願した神社」ということしか分かんないからだよ。建咲院とかだって、毛利の寺みたいになってるけど、陶興房の墓あったりするだろ。そういう推しポイントゼロ。そんなはずないのにね。
鶴千代分家サイトが広島県の観光資源で埋め尽くされているが、実際は元就公は広島のお方。なんで山口県で神格化されてるのかなど、後世のことは謎すぎるな……。
五郎そのうち、山口と広島でスパッと切ろうと思ってる。そうなると、ここ、リダイレクトになるから最初からこっちなんだよ。
