御薗宇城(東広島市高屋町高屋堀)

御薗宇城・主郭(2)

広島県東広島市高屋町高屋堀の御薗宇城跡とは?

安芸国の有力国人・平賀氏の居城だった城跡です。鎌倉期に築かれた城の特徴を今に伝える貴重な史跡として、県の史跡に指定されています。

平賀氏が安芸守護山名氏に対抗し、籠城して戦ったことが有名で、この時、周囲の国人達と「安芸国人一揆」が結ばれました。平賀氏は守護を交代させることに成功。国内でも有力な勢力の一つとなります。

この城は、厳島神主家の神領・造果保を掠め取るための本拠地ともなりました。やがて、付近に白山城が築かれると、その役割を終えました。付近には、平賀氏代々の墓所もあります。

御薗宇城跡・基本情報

名称 御薗宇城 
立地 丘陵先端
標高・比高 276/20(メートル)
築城・着工開始 弘安年間~不明
城主 平賀氏ほか
遺構 郭、堀、土塁
文化財指定 広島県史跡
(参照:『安芸の城館』、『日本の城辞典』)

御薗宇城跡・歴史と概観

平賀氏の遺跡

広島県が「平賀氏の遺跡」として指定しているものには、御薗宇城跡、平賀氏の墓地、白山城跡、頭崎城跡があります。これらはすべて、東広島市高屋町にあります。

高屋町のある辺りは、古代には高屋郷、中世には高屋保といわれていた地域で、鎌倉時代の弘安年間に平賀氏が移転してきて城を築いたとされています。ご想像の通り、平賀氏は鎌倉御家人であり、高屋保に地頭職を得たことによる西遷です。平賀という姓は、出羽国平鹿郡というところを名字の地とした所以といいますから、興味深いです。高屋氏とは名乗らなかったのですね。

平賀氏については、以下の記事に書きました。

鎌倉時代築城の貴重な城跡

平賀氏の居城は、御薗宇⇒白山⇒頭崎(白山も併用)と移りますので、御薗宇城は安芸国にやって来た平賀氏最初の拠点となります。そもそも、御家人たちの西遷といっても色々で、家臣だけ送って本人は鎌倉で勤務を続けたり、一族の誰かを現地に送り込んだりと初期の頃はのんびりとしたものだったようです。それゆえにか、御薗宇城は鎌倉時代初期に早くも現地入りした平賀氏が築いた鎌倉武士の館めいたものであったようです。

見た目「低い丘」といった感じで、とても珍しいタイプの城跡です。「丘陵切込み式」なる鎌倉時代に築城されたと伝えられる城に多いかたちだそうです。やたらに広い平坦地は屋敷跡で、その周辺を土塁で囲んでいました。時代が下るにつれて、南北朝の動乱期にもなると、ただの館では防御面が心配となります。平賀氏はこの時点で新たな土地に移ることはせずに、御薗城を要塞化して使い続けた模様です。

御薗宇城テキトー図
御薗宇城テキトー図

例によってテキトー図を画いてみました。今回は、ご案内いただいたガイドさんから拝領した資料をもとにしておりますが、ごらんになったら「こんな図ではなかった」とお叱りを受けそうです。ごめんなさい。要するに、郭の回りを土塁が取り囲んでいたということをお伝えしたかったというだけの図でございます。で、ここ、とても重要だなと感じましたけれど、城跡本に書いてある主郭=居館跡ではなく、郭とだだっ広い居館スペースはいちおう分断されていたことです。

戦国期に近い山城跡になりますと、山の麓に居館、山に詰めの城というパターンですけど、ここはそれより早い時代に作られたいわゆる「武士の居館」として参考書などに載っているケース。その居館を、なんだか危なっかしい時代になってきたので、防御施設に改造してしまおうって造り直したのがこのお城ってことです。同時代に作られたいわゆる「鎌倉武士の館」なる遺跡もそこここに多少残されてはおります。ただ、平賀氏の発想がエコノミーだったのか、元々の居館がちょっと改造するだけで城館に造り直すことができる雰囲気のものだったのかはわかりません。でも、鎌倉時代のものに手を加えて造り直す道を選んでくださったお陰で、往時の姿を偲ぶことができる稀有の城館の一つとなったのです。

ちなみに、居館跡地とされている広い削平地は、現在もはっきりと確認できます。ただし、やたら平坦に見えているのは、戦後運動場を造るために整地したためでもあるそうで。素人には見極めが難しい部分もあります。つまりは、これが中世から続く館跡地だと手放しで感動することは、残念ながらできず、空想を膨らませる必要もあるということなんです。

造果保進出の拠点だったということなので、厳島神主家の神領を狙っていたことがわかります。実際、神主家が神領侵攻の被害を訴えた際、平賀氏の名前もしっかりありました。

御薗宇城跡・みどころ

城の姿

御薗宇城・城の姿

こんもりお山みたいに見えるところに、ちゃんと県史跡看板あり。嬉しいです。これを読むだけで解説は要らない感じです。

「広島県史跡 平賀氏の遺跡 御薗宇城

平賀氏は出羽国平鹿郡(現在の秋田県横田市の大部分)を領有して平賀氏と称しました。鎌倉時代後期頃に当地に本拠を移し、弘安年間(1278~1287)に御薗宇城を築城したと伝えられています。そして平賀氏は安芸国の有力国人領主となっていきました。
室町時代に安芸国の守護となった山名満氏は、平賀氏を含む安芸国人衆と対立し、応永10年(1403)十代平賀弘章の御薗宇城を攻め囲み、合戦は3年に渡る長期戦となりました。その間、弘章の子・共益、惟益、惟元らは討死しましたが、他の安芸国人衆の応援により持ちこたえて、山名氏を退けることができました。
戦国時代になり十五代平賀弘保が文亀3年(1503)に白山城を築いて新たな居城とするまでの、訳200年間、御薗宇城は平賀氏の本拠地となっていました。
城跡は防御と居住を兼ねた館城で、南に延びた低丘陵を切断し、3段の平坦な郭と、それを三方から馬蹄状に囲む土塁状の郭からなっています。この付近には「馬場」や「番匠免」、「トギ」、「カヂヤ」などの地名や墓地が「平賀氏の遺跡」として広島県史跡に指定されている明道寺跡、また円福寺跡などの寺跡があり、御薗宇城を中心として中世の面影を残しています。御薗宇城跡は鎌倉時代末期の形式を今に伝える貴重な城跡です。
東広島市教育委員会」(看板説明文)

遠景

御薗宇城・遠景

遠くから全景を見ます。山というより丘に近い高さです。埋もれずに現代にまで、きちんと残っているところ、町全体の奥ゆかしさがわかります。

城跡への道

御薗宇城・城へ向かう道

お城の周りをぐるっと回っている感じです。細道を行きます。

御薗宇城・郭1

3段の郭(全部で五つ)ってことなので、1段目じゃないかと。もう忘れるほど前になってしまいましたが。

山道

御薗宇城・山道

山道 ⇒ 郭 ⇒ 山道 ⇒ 郭という感じですね。

居館スペース

御薗宇城・主郭

居館があったとされる場所は本当に平で広いです。ただし、現代になって平地化されているので、これが中世そのままの平坦地ではありません。残念ながら。でも、往時を偲ぶことは十分に可能です。

竹林

御薗宇城・竹林

この竹林というか竹藪というかですけど、これ、城跡から続いているわけです。ここは、だいたい先の削平地から十分ほど歩いた辺り。

附・平賀氏の墓所

案内看板

平賀氏墓所・看板

あの竹藪から抜けて、着いたのが墓所だったんです……。地図見ても近いんですけどね。看板説明文によりますと、城跡から500メートルだそうです。ここが、元平賀氏の菩提寺・明道寺跡だと伝えられています。

古墓郡

平賀氏墓所・古墓群

すごい古墓郡に圧倒されました。「宝篋印塔や五輪塔、石仏が約40基」とありますので、その数の多さに驚かれると思います。弘保さんのお墓や隆宗さんのお墓が大きめです。どれがどなたのお墓なのか、明確にわかっているのか看板に言及はありませんでしたが、弘保さん、隆宗さんとその奥方については説明文がありました。

平賀弘保の墓

平賀氏墓所・弘保の墓

こちらが弘保さんので、「真岳」と書かれているそうなんですけど。文字なんか読めません。

平賀隆宗の墓

平賀氏墓所・隆宗の墓

こちらが隆宗さんのお墓で、同じく「天厳」と書かれているとか。その脇に奥方さまのお墓があり「一如妙」とあるそうです。写真に写っているそれがそうかなと思いますけれども、字は読めないのですよ。なお、看板に記された弘保・隆宗祖父・孫の墓情報は『芸藩通志』に書かれているそうです。

御薗宇城跡(広島県東広島市高屋町高屋堀)の所在地・行き方について

所在地 & MAP 

所在地 〒739-2111 広島県東広島市髙屋町髙屋堀804
※Googlemap にあった住所です。

アクセス

山陽本線「西高屋」駅から北へ4㎞とのことなので、歩くのはキツいです。公共交通機関があるのかどうかは未調査です。常に思いますが、城跡は歩いて行ける町中にあればとうに都会化の波で消滅しており、残っているのは郊外となり、辿り着くのが大変です。

参考文献:『安芸の城館』、『日本の城辞典』、『広島県の歴史散歩』、東広島市ガイドさんご案内資料

御薗宇城跡(広島県東広島市高屋町高屋堀)・まとめ&感想

御薗宇城跡(東広島市高屋町髙屋堀)・まとめ
  1. 安芸国衆・平賀氏の居城だった中世山城跡
  2. 平賀氏は鎌倉から西遷してきた御家人であり、出羽国平鹿郡が本貫地で元は平鹿氏といった
  3. 平賀弘章の時、安芸守護山名氏と対立し、この城に立て籠って抵抗した。周辺勢力も平賀氏を支援し(応永の安芸国人一揆)、山名氏を撃退することができた
  4. 元々居館だった場所を、動乱期に防御を高めて要塞化した特異な城跡で、鎌倉時代の武士の館の姿を偲ぶことができる史跡として貴重
  5. 弘保代に、白山城が築かれ、平賀氏の居城となる。御薗城には家臣が配置されたという
  6. 御薗宇城からほど近い場所に、平賀氏の墓所がある。かつての菩提寺・明道寺跡で、平賀氏代々のものとされる石塔類が多数残されている。弘保と隆宗の宝篋印塔がひときわ大きい
  7. 当城、白山城、頭崎城、平賀氏の墓所をあわせて「平賀氏の遺跡」として、広島県史跡に指定されている

「平賀氏の遺跡」として広島県の史跡となっている山城です。城跡、墓所、城下町と平賀氏に関する史跡を大量に見てまいりました。これはもう、平賀氏を崇敬している方々からしたら、これだけ極められるなんてすごすぎる! という領域まで踏み込んだ感じです。実際には、関連個所は数えきれませんから、すべてを見尽くすなど無理ですけど。初心者、一般人としては必要にして十分です。

今回も東広島市ボランティアガイドの会さまに大変お世話になりました。この場を借りて心から御礼申し上げます。拝聴したご案内や拝領した貴重な資料はこんなものではございません。試験終了後にもっと手直ししてご期待にそえるよう尽力いたします。

こんな方におすすめ
  • 中世山城巡りが好きな方
  • 安芸国衆について興味がある方

オススメ度:(基準についてはコチラ

3
五郎

現状、普通に城跡本と案内看板の力を借りてまとめただけ。ガイドさんのご案内で、俺、平賀氏に詳しくなっちゃったよ。でも、「陶入道のライバル」ってどういう意味だろう?

ミル

ええと、それは……。

義隆

んん? 隆保の墓はどこだ? 平賀氏に入れたはずだが……?

五郎

あんたのお墓の傍にあるらしいよ。「お気に入り」とかいうことでね。

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