白鳥神社(東広島市高屋町郷)

白鳥神社・鳥居

広島県東広島市高屋町郷の白鳥神社とは?

日本武尊伝説に彩られたいにしえの社です。日本武尊が亡くなられた後、白鳥になってこの山まで飛んで来られて姿を消したとか。日本武尊ほか十柱の神々がお祀りされています。ほかに、景行天皇が諸国に白鳥神社を建立するように詔なさり、そのうち安芸国の神社がここであったとも言われております。

中世にはこの地で力をつけてきた平賀氏との軋轢などもありましたが、白鳥神社をその支配下に置こうとした企みは成功せず、却って平賀氏から祭礼に使者が送られたりしました。

多くの別当寺をもつ大神社だったと思われますが、火災に遭って焼失。明治時代になって再建されました。焼失した時期などは記録がないようです。明治期の再建時に、付近に古墳があったことがわかり、白鳥古墳として有名になっています。

白鳥神社・基本情報

御祭神 日本武尊、倭姫命、橘姫命、天照皇太神、大国主大神、市杵島姫命、美夜受姫命、天兒屋根命、大山津見神、別雷神
例祭 四月十五日
社殿 本殿、拝殿
摂末社 春日神社
主な建物 神楽殿、御供所
(参照:『廣島懸神社誌』)

白鳥神社・歴史

景行天皇が諸国に「白鳥神社」を建立

景行天皇四十二年、天皇は詔して、諸国に白鳥神社を建立させたといいます。景行天皇四十二年が西暦何年であるのかは、正確に示すことが困難です。このあたりは古事記や日本書紀の時代ですから、神代のことです。要するに遡ればとてつもなく古いということです。この時、安芸国に建立された白鳥神社がこちらだという御由緒が、『廣島懸神社誌』には書かれています。

神社さまの由来碑によれば、日本武尊が亡くなった後、白鳥になられ、この地まで飛翔してきて姿を消したと。それゆえにこの地にお祀りされたのでしょう(由来碑には書いてありませんが)。いずれにしても、とんでもなく長い歴史をもっていたいにしえの社であったことは間違いありません。

旧賀茂郡最高位の神社

創建年代が不明なほど古くから信仰されてきた神社、というのは大きな力を持っています。それはいずこも同じです。「安芸国神明帳」(楽音寺蔵)には「賀茂郡二位一前」「白鳥明神」とあるそうです。広大な神領と七つの社坊をもつ大社だったと考えられています。

だから何? となりますが、このような力を持つ大社の存在は、その後力をつけてくる武家勢力との間に軋轢が生まれます。領国統治のためには寺社を庇護することも大切ですが、そのいっぽうで広大な所領をもつ寺社仏閣が武家勢力にその地を奪われていくという現状もありました。

中世、白鳥神社が鎮座する高屋の地は、平賀氏の領国でした。東国から高屋の地に入った彼らが目にしたのは、自らが地頭識を得た地に散在する白鳥神社の神領。高貴な寺社の領地を掠め取ることは普通に行なわれるような時代となっていきますから、武家勢力からしたら邪魔なだけだったでしょう。

平賀氏の干渉

神社さまの由来碑には、平賀氏が白鳥神社の祭礼に「干渉」したことが記されています。平賀氏は、広相代に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した福岡八幡神社を完成させていました。白鳥神社で行なわれていた例祭を、そちらの八幡神社で執り行うように変更させようとした模様です。ところが、その旨を伝えるために派遣された平賀氏の使者が、白鳥神社に向かう途中に落馬して亡くなってしまいます。

今より神と人との距離が近かった時代です。平賀氏側ではこの不吉な出来事に畏れをなしたものか、自らの神社で神事を執り行うことをあきらめたのみならず、白鳥神社に対して祭礼を援助したといいます。そもそも、それ以前には、天文年間に、弘保、隆宗祖父・孫が社殿を造営したりもしておりますから、普通に地元の有力神社として庇護してもいたのでしょう。このあたり、なかなかに興味深いところですが、これ以上のことは今のところわかりません。

明治時代の再建と古墳の発見

かくも由緒正しき、いにしえの大社でしたが、火災に遭って焼失してしまい、明治時代になってから再建されました。由来碑には「何時の日か」と書かれているだけで、火災が起きた年代は不明のようです。

明治時代に神社を再建しようと付近を掘削していた際に、なんと、様々な古代の遺物が発見され、この地が古墳であったことが明らかとなりました。三角縁神獣鏡だの埴輪だの、あ、参考書の古墳時代のところに書いてあったものではないかとちょっとドキドキします。じつは、歴史散歩本を拝見していても、県内そこら中に古墳が大量にありまして、白鳥神社付近のそれも、大量にある中の一つです。神社のお名前から「白鳥古墳」と呼ばれています。

当初は、この古墳が西条地域最古のものと考えられていましたが、現在ではより古い時代の古墳も発見され、「最古」という地位はほかの古墳に移っています。

白鳥神社・みどころ

参道

白鳥神社・参道

入口から境内までが、とても長いです。ここに至るまでも長い石段を上りました。コチラ、背面からのお写真ですので、扁額はアイキャッチの写真をご覧ください。

鳥居

白鳥神社・鳥居(2)

鳥居の先、道の両端にずらっと石灯籠が並んでおり圧巻でした。

神号碑

白鳥神社・神号碑

神号碑もこの通り立派にましましておられます。

白鳥神社由来碑

白鳥神社・由来碑

「日本武尊を主神として十神をお祭りする旧賀茂郡社で伝記に因ると日本武尊が死後白鳥となって飛翔し当山頂まで来て姿を消したとか。鎌倉時代の神名帳に白鳥明神を旧賀茂郡で最高位と又平賀家旧記に天文十二年西暦1543平賀弘保 隆宗が社殿を造営した由棟札写し納め又同旧記に天正六年西暦1578年祭礼事書には当社の三度の大祭の内九月九日鳥居原御幸の神事に平賀弘保が干渉して古例を曲げようとしたが馬で当社に向かった弘保の使者桂孫太郎が転落死したため干渉を止め祭礼に名代として近習一人家老一人を社参させる事とし積極的に祭礼を援助したと平賀家から祈祷銭十貫梨羽氏入野村東村の両家老衆の所領などから合わせて二十五貫文が社家方社僧方に納められた他に三月十五日、六月十五日の旧暦が大祭とされた 溝口の神宮寺 善福寺 大福寺 郷の十楽寺等は当社の別当寺と伝えられている何時の日か火災にあい焼失し 明治四十年西暦1907に県知事の許可により三市十二郷より寄付金を募集し再建された由 その時約1.5mの土地を削ったらその土地は古墳であったらしくそこから大小の三角縁神獣鏡 太刀 埴輪等が出土し現在でもその破片を見ることができます」(由来碑碑文)

拝殿

白鳥神社・拝殿

本殿

白鳥神社・本殿

「三間社切妻造、向拝付(間口二間、奥行二間)」と『神社誌』にご説明があります。

春日神社

白鳥神社・春日神社

境内社です。

白鳥古墳

白鳥神社・「白鳥古墳跡」

「白鳥古墳跡地

日本武尊を主神として祭る白鳥神社は、4世紀後半に造られたとみられる古墳の上に建立されていた。明治43年に神社修築の際に発見されたもので、古墳の副葬品には「三角縁神獣鏡」「神獣鏡」「素環頭太刀(一振)」「碧玉勾玉」「埴輪」があった。前四者は、現在東広島市中央図書館入口に展示されている。古墳の被葬者は、大和朝廷と関わるこの地方の首長とみられる。白鳥神社については、廣島懸神社誌に「景行天皇43年、天下に号令して諸国に白鳥神社を建てさせた。その時安芸国に於いて建立された神社である。」との記述がある。高屋西小学校区住民自治協議会」(看板案内文)

『広島県の歴史散歩』に、「白鳥山周辺は古い古墳が多い地域である」と書かれている通り、白鳥古墳以外にも、才ヶ迫1号古墳、丸山古墳、仙人塚古墳など、4~5世紀のものと推定されている古墳が数多くあります。現地に行ったところで、「ここがそうです」ということくらいしかわからないと思われますが、古代史に関心を抱く方々にとっては魅力のつきない地域でしょう。看板説明文によれば、出土品は中央図書館で見ることができそうなので、足を運んでみるとよいかもしれません。

白鳥神社の所在地・行き方について

ご鎮座地&MAP

ご鎮座地 〒739-2124 広島県東広島市高屋町郷 354

アクセス

JR 山陽本線西高屋駅から徒歩 60 分という恐ろしい公式アナウンスを見てしまいました。まさか駅から1時間歩く方はおられぬと思いますので、路線バスはないのかな……と調査中です。タクシーなら一瞬と思いますが、費用がかかりますし、ご参詣の間お待ちいただくのが有り難いと考えるとなおさらたいへんです。

参考文献:『広島縣神社誌』、『広島県の歴史散歩』、神社さまご由緒看板、東広島市ガイドさまご案内と拝領資料

白鳥神社について:まとめ&感想

白鳥神社(東広島市高屋町郷)・まとめ
  1. 日本武尊が亡くなられた時、白鳥のお姿になって白鳥山に飛んでこられたという言い伝えがある
  2. 景行天皇が諸国に「白鳥神社」を建立した際、安芸国に建立されたのがこの「白鳥神社」であったとする言い伝えもある
  3. 「安芸国神明帳」(楽音寺蔵)には「賀茂郡二位一前」「白鳥明神」とあり、広大な神領と七つの社坊をもつ大社だったと考えられている
  4. 古来から続く由緒ある神社として、勢力を持っていたため、西遷してきてこの地を治めた平賀氏と対立することになる。平賀氏は福岡八幡神社を創建し、祭祀の権限を自らの神社に移そうとはかったが成功しなかった。この件については、神社の由緒碑にも記載がある
  5. かくも由緒ある大社だったが、いつの頃なのかもはっきりしない時期に火災により焼失。明治時代に再建されて現在に至る。神社再建時に、古墳が発見され、「白鳥古墳」と命名された。境内に案内看板がある。出土品については東広島市中央図書館で見ることができる

平賀氏が高屋の地にやって来た際、大量に存在した白鳥神社の神領にげんなりしたであろうことは想像に難くありません。そういうものを、平然と横領してしまうということが盛んに行われていただろうことも。これは、当時、全国各地で展開されていたことであり、何も平賀氏だけが特別ではありません。厳島神社の神領が武家の横領に遭い、次々と目減りしていったのは周知の如くです。現在の土地制度や宗教法人としての寺社しか知らない我々からしたら、びっくりな展開です。

むろん、神社の側でもやられっぱなしのところだけではありません。白鳥神社さまのご由緒碑に書かれている、平賀氏からの使者が落馬して云々というのは、不幸な事故に過ぎません(本当にそういう事実があったとしたならば)。ですけど、当時の人々は、今と違って非科学的なことも信じてしまわれますから、神社さまの神威に畏れた平賀氏が企みを封印したというのも説得力があります。ここ、なかなかに興味深いですね。

こんな方におすすめ
  • 古代史にゆかり深いいにしえの神社に惹かれる方
  • 普通に寺社仏閣巡りを楽しんでおられる方

オススメ度:(基準についてはコチラ

3
五郎

武家勢力と神社の対立って多いんだなぁ。白鳥神社も厳島神主家みたいに武装していたんだろうかと、ちょっと考えた。調べ始めると気になることが色々あるよね。

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