
広島県廿日市市佐方の佐方八幡神社とは?
廿日市佐方地区の氏神として、地元の方々に崇敬されている八幡宮です。その歴史は、厳島神社と同じ(由来碑)とあり、厳島神主家によって祭祀が執り行われるなど、厳島神社との関わりが深かった神社です。厳島神主家(藤原姓)の滅亡、福島正則による神田没収などもありましたが、地元の方々に深く崇敬されて現在に至ります。
皆さまの信仰を物語る多くの寄進物があるのですが、その中に、江戸時代のものがいくつか残されており、これらが、当時からの信仰を裏付けるものとしても貴重です。堀田仁助の石灯籠はなかでも有名で、この方は、伊能忠敬の師匠にあたる人物です。江戸幕府の天文方として、蝦夷地の地図を完成させたことで知られています。石灯籠は現存し、今も見ることができます。
佐方八幡神社・基本情報
御祭神 応神天皇、神功皇后
例祭 十月第二日曜日(旧例祭:十月十二日)
社殿 本殿、弊殿、拝殿
主な建造物 鳥居
摂末社 大歳神社
(参照:『廣島懸神社誌』)
佐方八幡神社・歴史

「当八幡宮は文政二年(一八一九)の佐方村差出し帳によると、鎮座は往古に遡り、厳島神社と同じと伝えている。中世には桜尾の厳島神主家が神事祭礼を執行、その滅亡の後も毛利氏により神田の寄進があり、祭礼は先規の如く行なわれてきた。しかるに、福島氏に代り、神田は失われたが、以後、近世は佐方村及び廿日市東町の住民の氏神として尊崇されて来た。
参道の石燈籠一対は文化五年(一五〇八)堀田仁助の寄進による。仁助は延享四年(一七四七)廿日市東町、津和野藩船屋敷に生れた、長じて幕府の天文方となり、寛政十一年(一七九九)幕命により蝦夷地(北海道)におもむき、その地図を完成した。有名な伊能忠敬は彼が老齢を以て推挙した弟子である。この燈籠は仁助が江戸より故郷の産土の神に献じたもので、銘文の「天文生」は彼の面目を後世に伝えている。また「船屋敷 田原小左衛門集善、廿日市 西村屋久米次郎」寄進の狛犬一対も、当社が廿日市東村の氏神であったことの証であり、「若連中」寄進の燈籠も貴重である。
昭和六十二年(一九八七)六月吉日
寄贈 廿日市ライオンズクラブ
石田米孝 謹撰」(由来碑)
厳島神社との関係深い佐方の氏神さま
『芸藩通誌』によれば、承久年間頃より、周防前司藤原親実に始まり、以降、藤原姓厳島神主家が祭祀を執り行っていたとの記述があるそうです(参照:『廣島懸神社誌』)。となれば、滅亡後はどうなってしまったのだろうかと心配になりますが、毛利家によっても同様に大切にされ、神田の寄進もありました(由来碑、『神社誌』)。ところが、福島正則の領国となってから神田は没収された模様です。福島氏によって改宗されたとか、わけもなく廃寺になったとか、こういう話多すぎるように感じるのは気のせいでしょうか……。
なお、『神社誌』では触れられていない記述として、神社さま由来碑によれば、ご鎮座の歴史は「厳島神社と同じ」とのことで、だとしたら、すごいいにしえの古社ということになります。むろん、由来碑に偽りがあろうはずはありませんから、由緒ある神社さまという認識でよかろうかと思います。それ以降の、厳島神主家が祭祀を執り行い~福島正則の神田没収とその後の地元の方々による篤い信仰についてはいずれの記述も同じです。
堀田仁助の石灯籠
参道にある石灯籠一対は、堀田仁助さんの寄進によるものです。と言われても「どなた?」となりましたが、伊能忠敬と聞けば、「あ、聞いたことある」となる方が途端に増えるかと。なんと、この堀田さまは、伊能忠敬さんの師匠にあたるすごいお方なんです。
お生まれは、津和野藩船屋敷ということなので、出身は津和野藩の方ということになります。毛利大嫌いの亀井のお殿さまのところですね(津和野=陶弘護さま殺害犯人が出た石見の吉見さんではないです。近世のお話となりますから)。堀田さんは「幕府の天文方」なる役職に就き、「蝦夷地」の地図を作ったそうです。「天文方」なんてきくと、天体観測などをやっていた方のように感じてしまいますので、地図を作るのは国土地理院では? という現代の感覚だとトンチンカンなことになります。ここら、意味分からないですが、要するにすごいお方です。
で、こういうすごいお方が寄進した石灯籠が、今なお現存しているというのが、さらにすごいことなんですが(江戸時代のものって案外と残っていたりしますけど……)、どれがそうなのか分かりませんでした。佐方には毎年訪れておりますので、次回は石灯籠を必ず探します。石灯籠自体は大量に目に入るのですけど、どれがそうなのかが分からないんですよ。じつは、「これです」という親切な立て看板まで立っていたのですが、帰宅して写真を見たらどれだろうってなりました……。
佐方八幡神社・みどころ
鳥居

立派な石鳥居があります。扁額には「八幡神社」の文字が。鳥居はもう一基ございまして、鮮やかな朱塗りのものです。こちらが裏参道鳥居なのかな……。調査中です。

手水鉢と盃状穴

参詣前に手を清めるための手水鉢です。後ろに「盃状穴」の案内看板が立っていますが、盃状穴って、築山跡にあったものは、古代のまじないなどの遺跡でしたが、こちらは違うんです。「人々の素朴な願い事が穿穴の目的であったようです」と書かれており、この穴にたまった水で患った部分を洗い、治癒を願っていたようです。
社殿

三間社流造。天保十一年(1840)再建の社殿です(参照:『神社誌』)。江戸時代の再建物といえど、かなりの年代モノであり、とても貴重です。

常のように、脇からも拝見して、ご本殿のお姿をちらりと。少なくとも屋根部分は補修されているように思えますけど、木像部分はかなりの歴史が刻まれているように見えました。さすが数百年前のものですね。
堀田仁助の石灯籠

ご覧の通り、案内看板がございますので、普通に考えたら堀田さんの石灯籠はこれのようです。ただし、石灯籠は他にもございまして、矢印もついていなかったので、これなのか確認が必要です。一応「仮」ということで載せておきます。
特牛さん

「佐方八幡宮裏参道鳥居奉納有志の会」さまのご案内看板によると特牛さんは「霊妙な運気と活気を授ける、この神社のマスコット聖獣」とありました。願い事を唱えて触れると、活力と幸運力が高まるそうです。ちなみに、「とっこい」さんとお読みします。
布袋尊

信者の方から、令和五年に寄進されたもの。「笑う門には福来たる」「笑門来福の神」とあります。「常に幸せの入っている大きな福袋」を担っていると。有り難い神さまですよね。
境内社・大歳神社

こんなに立派な境内社なのに、何の神さまが祀られているお社なのかわからないな……と思っておりましたら、背後の寄進者の皆さまのご芳名のプレートに「佐方大歳神社」とございました。そもそも、『廣島懸神社誌』にも摂末社として明記されています。
佐方八幡神社の所在と行き方について
ご鎮座地とMAP
ご鎮座地 〒738-0001 広島県廿日市市佐方 佐方 490(Googlemap にあった住所です)
アクセス
基本は、洞雲寺脇の道を真っ直ぐ上っていきます。廿日市駅から徒歩圏です。ナビ起動で普通に辿り着くことができます。
参考文献:『廣島懸神社誌』、神社さま由来看板
佐方八幡神社(廿日市市佐方)について:まとめ&感想
- 廿日市佐方の氏神さまとして古くから崇敬されてきた神社
- その歴史は、厳島神社と同じ(由来看板)というので、いにしえの由緒ある神社
- 廿日市駅からほど近く、参詣の便も良い
- 境内には崇敬者から寄進された数々のものがある(鳥居、石灯籠、特牛さん、布袋尊など)。なかでも、堀田仁助寄進の石灯籠は貴重なもの
- 堀田仁助は津和野藩船屋敷で生まれた。のちに幕府の天文方となり、蝦夷地(現在の北海道)の地図を作った。伊能忠敬の師匠である。仁助は生まれ育った地である廿日市を故郷と慕い、石灯籠を寄進したのである
- 堀田仁助の石灯籠の他にも、江戸時代に寄進された狛犬などがあることが、当時からこの神社が当地の氏神的役割を担っていたことの証左となっている
- なお、社殿は江戸時代の再建物で、特に文化財指定などはないが、江戸時代の建築物も十分に古くて貴重なものといえる
毎年墓参に訪れる洞雲寺からほど近い所に、このような奥ゆかしい神社さまが鎮座なさっていたのに、今の今まで知らなかったことを恥じるばかりです。今回初めての参詣だったので、見落としなど多いですけど、今後も何度も訪れることができると思い、そこは後悔しておりません。今後も、年に一度とはなりますが、最新情報で上書きしていきたいと思います。
神社さまの誇りは、厳島神社と同じくらい古いという御由緒と、古くからこの地域の皆さんに深く崇敬されてきたという事実です。これらの裏付けとなるものとして、堀田仁助さん寄進の石灯籠などがあるわけですが、いやはや、伊能忠敬が地図を作ったとか、義務教育でうすらぼんやりと知っていますが、その師匠さまにあたるお方までは存じ上げませんでした。弟子の名前のほうが有名になりすぎたのか、執筆者の常識が欠如しているゆえにか。お恥ずかしい限りです。しかし、師匠なくして弟子なしです。有能な師匠に出逢えたことが、伊能忠敬という人物を生んだのであり、また、彼の才能を見抜いた堀田仁助さんの偉大さも決して忘れてはならないことです。その足跡を辿る旅をなさっている方も大勢おられると思うのですが、その一環として、偉人が生まれてから幼い日々を過ごした廿日市の地と、故郷として慕った場所に寄進した貴重な石灯籠もぜひとも見落とさずに、立ち寄っていただけたらと切に願います。
幸運と活力に見離されたと溜息をついている方は、特牛さんと布袋さまに癒やされていただきたいです。ここに来るたびに特牛さんを撫で撫でし、布袋さまの笑顔を見、さらに、廿日市天満宮に行って、撫で牛を撫で撫でしたら、幸せいっぱい、頭脳明晰になれること請け合いと思います。そう書いている執筆者がいっこうに幸せになれていないし、頭脳明晰になった気配もない? そうかもしれません。でも、少なくとも廿日市を旅している時は幸せですし、頭脳明晰に関しては、撫で牛さまのお力にすがるだけではダメで、自らの努力も必要です。努力が足りない、そういうことですね……。
五郎「著名人寄進の石灯籠」って……。
ミルこれ、意外にも多いことに気付いた。宮内天王社の棚守寄進石灯籠とかそうじゃん。多分、石灯籠専門の愛好家もいるはずだ。
鶴千代(自らもどれがそうなのか分かっていないのに書くとは……)
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