はつかいち町歩き

権現社(廿日市市宮内)

2024-08-03

佐原田権現社・ハート型の竹3

広島県廿日市市宮内の佐原田権現社とは?

宮内地区にある権現社です。熊野権現を祀っていると伝えられており、廿日市市内で熊野信仰にかかわる社殿は唯一ここだけです。昔はあったものが失われたのか、元よりこの地域では熊野信仰があまり盛んでなかったゆえになのかは分りません。

地元の方々は、単に「権現社」とお呼びしているようです(観光協会さまパンフレットにも『権現社』とのみ記載)。しかし、Googlemap には「佐原田権現社」と書かれていますし、「権現社」だけですと、他県から訪れた観光客には見付けづらいことになると思われるため、ここても佐原田をつけてご紹介します。

ハート型の切り口がたいへんに珍しい竹があり、また、梅の花が美しいことでも有名です。

佐原田権現社・基本情報

ご鎮座地 〒738-0034 廿日市市宮内 4259
御祭神 熊野権現(詳細は後述します) 
主な建物 社殿、灯籠
(参照:建物は目視)

佐原田権現社・歴史

廿日市唯一の熊野権現

熊野信仰は古代~中世において非常に盛んでした。元は上皇・法皇ら皇族方や高級貴族の皆さま、のちには武士階級や、一般庶民にもその信仰は広まります。究極の目的は、自ら熊野に詣でることですが、それと同時に、多くの信者の方々により各地に勧請されました。その数は、稲荷社、八幡宮についで多いということですから、その信仰が盛んだったことがわかるというものです。

ガイドさんのご説明によれば、こちらは廿日市唯一の熊野信仰の神社であるということです。ぼんやりと拝聴していたので、唯一残されたのか、最初からここにしかなかったのかという、最も大切なことをお伺するのを忘れてしまいました。どことなく、前者であったような雰囲気だったかと。次回の宿題とさせてください。

なお、熊野信仰については、以下の記事にまとめました。中世限定の熊野信仰についてのご紹介ですので、こちらの神社さまの創建時代とはやや異なる面もあるかも知れませんが。何しろ、社殿の付近には御由緒案内看板の類が一切ありませんので、ガイドさんのご案内が必須なのです。⇒ 関連記事:熊野権現とは?(中世の様相)

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「宮内」ならではのあれこれ

宮内の「宮」は、厳島神社を指しています。このように著名な神社ゆかりの地が「宮」の字を冠した地名となる例は、全国に多々あります(例えば、山口の仁壁神社付近は地名がそのまま『三の宮』でした)。宮内と厳島神社の関係もとても深いものがあります。この件については、すでに宮内天王社のところに記しましたので、繰り返しません。一言でいえば、神社ゆかりの方々が居住していたり、それらの方々が管理する厳島神社の「神領」が数多くあったということです。⇒ 関連記事:宮内天王社

宮内天王社・拝殿と石柱
宮内天王社(廿日市市宮内)

起源は神武天皇の東征まで遡るという。明治期、付近の神社を合祀して八坂神社となるも、氏子の方々の希望で慣れ親しんだ旧名にもどった。

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今回、ガイドさんとの町歩きで、たくさんの新しい学びがありました。残念ながらすぐに記憶が薄れてしまうのが悲しい限りなのですが。それでも、記憶が鮮明に残っていることがいくつかございまして、それはよほどのインパクトがあった事項ということになりましょうか。

そのうちの、一つをご紹介します。この神社は地元の方々からは単に「権現社」として親しまれています(観光協会のパンフレットでも『権現社』となっております)。それゆえ、「権現社」というタイトルにしようかと思いましたが、そんなことをしてしまうと、強豪ひしめく中生き残れません。それで、Googlemap さまにあった「佐原田権現社」という名称を選択しました(地元の方からもそう呼ばれているケースがあるかどうかは未確認です)。

で、この「佐原田」なのですが、何とお読みするかお分かりになりますか?

さはらだに決まってるじゃないか。特に難しい漢字もない。

と考えるのが普通かと存じます。しかし、残念ながら、これは「外れ」です。執筆者もガイドさんからご質問があり、わざわざお尋ねになるのだから、多分違うんだろうと思いつつ、「さはらた」とお答えしました。

問題は「田」の部分なのです。〇〇田という地名も全国に山ほどあると思われますが、それらはだいたい、「〇〇た」もしくは「〇〇だ」のように読むものかと。しかし、こと、宮内にあっては、これは「〇〇でん」とお読みします。

なにゆえに「田=でん」なのか。もちろん、田は音読みで普通に「でん」とも読みますから、誤りでもなんでもないです。ですが、敢えて「でん」と読ませる意味は、そこがかつて厳島神社の神領であったがゆえになのです。

ややこしいのは、同じ宮内にある〇〇田という地名であっても、そこが元神領でなければ、「でん」とは読まず、普通に「た」「だ」と読むということ。いちいち調べないとそんなことわかりませんよね。少なくとも、宮内地区はかつても今も厳島神社との関わり深いところ(ご神職のご自宅があったりします)ですので、「でん」と読むケースが多いのであろうことは想像に難くありません。しかし、すべてではないので、ご参考までに。

現在は土地は個人のもの、国のもの、自治体のもの、企業のもの……であり、昔のように著名神社の崇拝者(富裕な人限定にはなりますが)が山と寄進するというような話はなくなりました。もちろん、宗教法人としての厳島神社さまの土地は認められ、それが一般庶民のボロアパートとは比較にならないことは確実ですけど。

※佐原田の「田」以外の部分の読み方についても記憶が飛んでいましたので、検索しました。「さばらだ」と読むようです。

西国街道と津和野のお殿さま

山城大好き廿日市の先生は、西国街道を歩くツアーなどで解説者となるのはちょっぴり物足りなさを感じておられるみたい。かくいうミルたちも、「西国街道」という麗しいお名前を除いては、ただの道。ところどころに「塚」たってるあれだよね、という感覚です。

しかし、さにあらず。廿日市では、西国街道を歩くツアーがとても充実しており、「塚」だけを見るわけではなく、道なりにある多くの名所旧跡を訪ね、ベテランの地元ガイドさん方からそれらの由来を学ぶ、とっても楽しい時間を過ごすことができます。

ただし、この「西国街道」についても、それがどこから始まるのかというところに諸説あり、はっきりここからここまでとは言い切れないそうです。広島県内から始まるということにすると、九州の方がこっちにも繋がっていると意見してきたりとか。「諸説ある」ということに尽きます。

佐原田権現社・古地図

権現社からほど近い、佐原田集会所にある宮内の古地図です。全体図を公開することはできませんが、だいたいのところをご確認いただければと思います。いちおう、赤線の部分が西国街道でして、ここは紛れもなくその通りです。要は、県内のことについては明らかだけれど、九州方面やあるいは、広島を抜けた先の方々から別の意見が出て、その全体像が変ることがあるわけ。「諸説あ」るんです。佐原田権現社・古地図2

近世のことは分らない、と常々ブツクサ言っているのですが、本当に勉強が間に合っていないので(職業柄、近現代はあまり必要のない知識となりますが、江戸時代については知っておいたほうがいいのですがね……まあ、頼まれたら一夜漬けで)、津和野=吉見家という認識でした。ですので、なんで廿日市の観光資源の中に「津和野藩〇〇」があるんだろう、あったとしてもスルーだ! と思っていました。ところが。

そうです。タヌキの適当シャッフル。吉見家が毛利べったりでともに山口へ移転したであろうことをまるで考慮していなかったということに気が付きました。つまり、この古地図時代の津和野藩のお殿様は吉見家とは無関係です。毛嫌いせずに、見学してかまわない遺跡ばかりでした。

では江戸時代の津和野藩とは? 亀井家でした。毛利家が大嫌いな亀井家のお殿さまは、参勤交代の際、山口を通過したくないので、安芸国経由で江戸に向かいたい旨、浅野家のお殿さまにお願いしました。許してもらえたので、安芸国を抜けて西国街道に出て、東へ向かったのです。

それゆえ、地図上に「往還分れ」という地点があり、ここで「津和野往還」と西国街道が一緒になります。つまり廿日市で合流するんです。「分れ」となっているのに、合流って変ですが、帰り道はここから分れて津和野に帰って行かれるので。

毛利嫌いでなく、山口県内を通れるのであれば、普通に三田尻とか徳山などから瀬戸内海に入る方が近い上に楽なんです。津和野から安芸にでる道にはとても狭い山中の道を通る必要があり、お殿さまも御駕籠を下りて歩かなければならない箇所もあったほどです。そこまでして、山口(=毛利)を避けた理由は何か。それは、亀井家が尼子家ゆかりの家であったためです。時間だけでは決して解決されない深い怨恨のようなものがあったのですね。心中、天晴れと思いました。執筆者も山口の毛利家は嫌いですから。理由は同じく「滅ぼされたから」です。

さて、そんな具合ですので、津和野藩御船屋敷跡なども廿日市にあるのです。次はご訪問しなくては。ちなみに、津和野から日本海に出て東上する行き方もあるにはありますが、冬の寒さは耐え難く、やはり暖かで明るい瀬戸内海を通りたかったんでしょうね。

佐原田権現社・みどころ

社殿はとても小さいです。ですけど、宮島の浦々の神社を参詣しているので、神社の尊さは社殿の大きさとは無関係であると理解しています。すっかり町の中に溶け込んでおりますので、探すのは骨です。よほど目をこらしていないと、知らぬ間に通り過ぎてしまいます。みどころとされているのは、社殿脇の梅の木で、花も盛りの頃には多くの方が花を愛でにお出でになるとか。また、ハート型の竹が奉納されておりますが、それがまたキュートで、イマドキの恋人たちにも好まれそうです。

御手洗川(佐原田橋)

佐原田権現社・御手洗川(橋)

宮内地区内をずっと流れている御手洗川。詳しくは川がよく見える場所でお話しします。ここで大事なのはつぎ。

佐原田権現社・御手洗川(佐原田橋)

長い川ですので、何本もの橋が架かっておりますが、こちらは「佐原田橋」です。田は「でん」ですからね。

佐原田集会所

佐原田権現社・佐原田集会所

古地図を拝見できるのは、こちらの集会所となります。なお「田」に緑枠がついているのは、これを「でん」と読むことを教わったことを忘れないためです。町歩きは長いですから、お手洗いに行きたい方はこちらですませておいたほうがいいと思います(住宅地の中に観光資源がありますので、お借りすることはできませんし、ほかにあまり入れる場所はないです)。

権現社・遠景

佐原田権現社・遠景

宮内の観光資源は、ほとんど住宅地の中に埋もれております。その点、権現社は多少周辺に余裕がございますが、社殿の真ん前に巨大なゴミ捨て場がございまして……。これにはびっくり。山口県内某神社さまもそうだったのですが、写真の中にしっかりゴミ箱が入ってしまいます。風情ある写真を撮るのも簡単ではないですね。

権現社・社殿

佐原田権現社・社殿

ゴミ箱を視界から消すと、このアングルに。ゴミ捨て場は生活になくてはならないものですので、仕方ないのですが。

梅の木

佐原田権現社・梅の木

完全なる季節外れですが、立派な梅の木ですね。ただ、ガイドさんが何やら、昔はもっとよかったのようなお話をされていた気がします(完全に記憶の彼方、涙)。梅の花咲く頃に訪れてみたいものです。

ハート型の竹

佐原田権現社・ハート型の竹

珍しくも麗しい、切り口がハート型の竹が奉納されています。これが権現社一番のみどころといっても過言ではないほどの、貴重なものです。

「ハート型竹の発見記録
平成20年1月10日(木)木村穣氏が廿日市市宮内字高砂519番1の山林調査に入山し午後4時30分頃調査を中止し帰宅しようと腰をおろし、先ずは一服と煙草に火をつけ偶然にも前の竹をよく見ると変形した二本の竹を見つけた。その形はハート型で大変珍しい形なので後日伐採した。笹野洋氏が加工し権現社に奉納する」
(社殿内説明文)

説明文の下には、「平成20年1月吉日 木村穣」との、木村さまのご署名もあります。

ところが、ガイドさんのご案内では、かつての奉納品はもっと大きかったはずと思う、と。つまり、どなたか、愛に餓えた方が持ち去ってしまったらしいのです……。お気持ちはわかりますが、ご自身のものにせず、毎日権現社にお参りにくればいつでも見れるのにと残念です。それに、立派な犯罪行為ですし。

奉納された方の元にまだ竹が残っていたものか、多少小振りにはなったようですが、今もきちんとハート型を満喫できます。カップルで訪れるのもいいですね。

佐原田権現社・ハート型の竹2

全体像はこんな感じです。ご本殿の手前に取り付けられています。上の写真と見比べていただくと分る通り、こちらは上に解説文がないですよね。つまり、奉納品は一つだけではないのです。

佐原田権現社(廿日市宮内)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP 

ご鎮座地 〒738-0034 廿日市市宮内 4259

※Googlemap にあった住所です。

アクセス

最寄り駅は「宮内串戸」となります。ちょっと道は説明しがたいですので、ナビに頼るしかありません。すぐ近くに「四季が丘南」のバス停がありますので、時間が合えばバスを使うのも手です。基本、宮内の町歩きは迷路のようで、宅地化で昔は田んぼの中にあった社や祠は家々の中に埋もれています。気を付けないと通過してしまったり、道を間違えていることに気付かず、同じ場所を徘徊ということになりかねません。まめに現在地を確認し、明後日の方向に行っても早め早めに修正することが大切です。

それゆえに、地元に詳しいガイドさんがたのご案内を強くオススメいたします。観光協会では、定期的に町歩きのスケジュールを公開しています。行きたい場所が目的地の中に入っているコースを見付け、予定が合えば早めに申し込みをしましょう。なお、強引にお願いすれば、個人的にご案内いただくことも可能ではあります。

参考文献:観光協会パンフレット、『宮島本』、ガイドさんご案内

佐原田権現社(廿日市市宮内)について:まとめ & 感想

佐原田権現社(廿日市市宮内)・まとめ

  1. 現状、廿日市に存在する唯一の熊野信仰の神社。その意味でとても貴重である
  2. ご鎮座地の「佐原田」はさばら「でん」と読む。宮内地区一帯では、このような読み方をするケースが多く、それらは、かつて厳島神社神領であったことを示す
  3. 付近にある佐原田集会所では、宮内の古図を見ることができるので、ぜひとも立ち寄っておきたいところ
  4. 社殿にある切り口がハート型になっている竹は、極めて珍しい奉納品として広く知られている

熊野権現が一ヶ所しかない、というのは謎ですね。ただ、相対的に数が多いからといって、必ずどこにでもあるというわけではないことも確かです。陶には八幡宮がなかったのですから。そもそも一ヶ所あるのですから、十分です。同じ名前の神社が大量にあって、なんでこんなに!? というケース多いですからね。新政府になって、寺社の整理が徹底されたのも、なんとなく分る気がしてきたこの頃です。同名の神社、小さい神社などはどんどんまとめていけば、町歩きしなくてはならない箇所が減りますから(汗)。

寺社巡りがお好みの方からしたら、回る数を減らしたいとか考える意味がわからないと思いますけど。ことに寺院については、信仰している宗派もないですから、いかにも檀家に墓地を提供している寺院さまでしかないなぁ(観光資源ではないということ)というところに調査に入ることにはもう、疲れ果てました。寺院さま側としても、そういう人にはあまり来て欲しくないでしょうし。

神社も同じ日吉神社が三ヶ所もあって、URL が続き番号になるとか、どこも同じ神さまなんだから、一ヶ所でいいのでは? と思うことがあります。ただし、それぞれの神社さまは地域の方々のために存在しているのですから、全国にかぞえきれないほどの八幡宮があったとして、自らに関連するのは氏神社だけなんですよ。本来はね。そんな信仰の場所を、観光資源と思って見て回っていることに、時折罪悪感を感じるのでした。特に、賽銭箱のないところはそうです。取材させていただいたお礼を入れなくてはと思うのですが、それすらもできないと。

こちらの神社さまは何と言ってもハート型の竹ですねぇ。そんな理由で信仰するな、なんてことは神さまは仰りません。日本には八百万の神々がおいでです。世界史の参考書に書いてあったんですけど、多神教の国というのは、平和で穏やかなケースが多いのですって。厳しい戒律を押しつけてくるでもなく、神さまたちは皆さまおおらか。そもそも、神さまも仏さまも一緒に信仰してる時点で、日本人って寛容ですよね。

でもさ、お祀りされている神さまが同じだからといって、神社はそれぞれ個性的で、まったく別物です。なんなら江の島行けばいいじゃんかってことになるのに、厳島神社じゃないとダメなんです。熊野権現はもう、和歌山県に行かなくてここでいいです。ハート型の竹はこちらにしかないと思いますよ!

こんな方におすすめ

  • 町中に佇む神社さまを巡るのが好きな人
  • ハート型の竹のご利益にあずかりたい人(効果は自己責任でお願いします)

オススメ度


(オススメ度の基準についてはコチラをご覧くださいませ)

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

はーとって何なのかよくわかんないけど、祖父さまと祖母さまを見ていたら何となくわかったよ。多分こんな感じなんじゃないのかな、っていうのをアイキャッチにしておいた。

鶴千代吹き出し用イメージ画像(怒る)
鶴千代

お前も懲りない奴だな。趣味が悪いと言っているのに。

五郎吹き出し用イメージ画像(怒)
五郎

世話係もいないお前に何がわかる? 心が通じ合っていなければ、気持ち良く世話してもらえないんだよ。

ミル吹き出し用イメージ画像(笑顔)
ミル

権現社のハートの竹を一緒に見た恋人同士はきっと結ばれます、なんちゃって。

五郎吹き出し用イメージ画像
五郎

俺一緒に見たけど、結ばれるってどういう意味? あと、恋人もわからない。

ミル吹き出し用イメージ画像(涙)
ミル

あー、えーと、子どもには分らない話です。

大頭神社・鳥居
はつかいち町歩き

廿日市の観光資源と言えば、宮島と厳島神社の知名度が圧倒的です。それゆえに、ほかの観光地の影が薄くなってしまっている嫌いがあるのが、とても残念です。けっして、それだけではないですよ、ということを証明したく、町中を歩き回っています。

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この記事は、20241105 「ハート型の竹」由来説明文について加筆したほか、一部修正されました。

  • この記事を書いた人
ミルイメージ画像(アイコン用)

ミル@周防山口館

廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします

【取得資格】
全国通訳案内士、旅行業務取扱管理者
ともに観光庁が認定する国家試験で以下を証明
1.日本の文化、歴史について外国からのお客さまにご案内できる基礎知識と語学力
2.旅行業を営むのに必要な法律、約款、観光地理の知識や実務能力
【宮島渡海歴三十回越え】
厳島神社が崇敬神社です
【山口県某郷土史会会員】
大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイトを運営しています

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