頭崎神社(東広島市高屋町貞重)

頭崎神社・遠景
CONTENTS

広島県東広島市高屋町の頭崎神社とは?

頭崎城跡・三の丸に鎮座する神社です。城を築いた興貞によって勧請されたとする説、弘保が大内氏との戦いに勝利した記念に建立したとする説を拝見しました。いずれであれ、頭崎城の城主・平賀氏ゆかりの神社であることは、確かなようです。

現在ある本殿は、平賀氏創建時のものではなく、安永二年に造られた石造本殿です。江戸時代になって修復されたのでしょうか。制作者の名前が刻まれていることから、尾道の石工作成であることがわかっています。そして、尾道の石工が制作した石造物としては最古・最大の本殿であることから、極めて貴重であるとして、市の重要文化財となっています。

頭崎神社・基本情報

御祭神 天児屋根命
社殿 本殿
(参照:『廣島懸神社誌』)

頭崎神社・歴史

頭崎城跡に鎮座する重要文化財

じつは城跡内にご鎮座する神社さまって少なくないように感じます。城内鎮護のために、何らかの守護神を勧請したものでしょう。もちろん、山城跡が廃れてしまえば、神社もなくなってしまう可能性がありますので、すべての山城跡に必ず神社があるとは申せませんが。

若山城跡にも頭崎神社の石造本殿とよく似た神社が山頂にございました。

「頭崎神社は、大永3(1528)年に平賀興貞が頭崎山に頭崎城を築いた際に勧請されたとされる神社で、平賀氏系譜の大永5年に「大明神」の名前が見えます。
現在の本殿は、安永2(1773)年に造られた石造一間社入母屋造平入のものです。基壇から屋根の棟までの高さが202㎝あり、石造本殿としては極めて大きいものです。壁面は花崗岩の一枚板を組合わせたもので、正面に観音開きの花崗岩製の扉を釣っています。扉の両端の上下には円円柱状の軸が掘り出されており、屋根と基壇に彫り込まれた軸受けのほぞ穴により挟み込まれています。日輪と月輪(太陽と月)が陽刻された扉の正面右側の下部には施錠のための鍵穴が開けられ、内部に猿落としが取り付けられています。屋根部は棟を除いて1枚の花崗岩を削り出して加工し、正面に唐破風を設けています。唐破風中央上部の鬼板には打出の小槌が陽刻されています。
右側板「安永二年 癸已 六月吉日 奉寄進 惣氏子中
左側板「神主 三善播磨守 庄屋東邑 高橋藤左衛門
裏板「藤原氏石工 忠四良重光 忠三良重久
忠四良(郎)重光・忠三良(郎)重久は備後尾道の石工で、寛延4(1751)年~安永7(1778)年までの10点の石造物が確認されています。この本殿は後世の改変がなく、尾道石工製作の石造本殿としては最古・最大の作例として極めて貴重な文化財です。東広島市教育委員会」(看板説明文)

頭崎神社・みどころ

鳥居

頭崎神社・鳥居

頭崎城山頂を目指す道なりにございます。

注連石

頭崎神社・注連石

城跡にご鎮座なさっておられるのに、境内は広いです。鳥居から先を参道とすれば(というより参道ですが、城跡頂上に向かう山道も兼ねておられますから)、大規模な神社さまと言えます。

重要文化財看板

頭崎神社・文化財案内看板

頭崎神社本殿について解説している看板です。向かって左に流麗な文字で「頭崎神社」と墨書きされた横に、「大永五年勧請」の文字が。木製ですけど、これって神号碑のようなものと言えるのでは?

拝殿

頭崎神社・拝殿

拝殿については看板に説明がありませんし、『神社誌』もしかりですが、拝殿のほうも年代モノに見えました。

本殿

頭崎神社・本殿

「一間社入母屋造」の石造りご本殿。これこそが、東広島市指定の重要文化財です。

右側板

頭崎神社・本殿右側板

説明看板に「安永二年 癸已 六月吉日 奉寄進 惣氏子中」と刻まれていると書かれている右側板です。あまり出来映えのいい写真ではないですけど、文字はわかりますね。

頭崎神社(東広島市高屋貞重)の所在地・行き方について

ご鎮座地 & MAP

ご鎮座地 〒739-2112 広島県東広島市高屋町貞重

アクセス

頭崎城に行けるのなら、この神社にも行けるはずです。ですけど、その頭崎城の最寄り駅がわからなかったりします。周辺けっこうローカルな雰囲気ですから(そこがいいのですけど)、どうしても車になりますね。公共交通機関が接続しているかどうかは調査できていませんが、付近にバス停は見かけませんでした。

参考文献:『廣島懸神社誌』、『安芸の城館』、文化財説明看板

頭崎神社(東広島市高屋貞重)について:まとめ & 感想

頭崎神社(東広島市高屋貞重)・まとめ
  1. 頭崎城跡(城内)に鎮座する神社
  2. かつて当地を治めていた平賀氏が、頭崎城を築いた際に勧請されたといわれる
  3. 大内氏との合戦に勝利した記念に建てられたとする言い伝えもある
  4. 神社の本殿は、創建当時のままではなく、江戸時代の再建物だが、安永二年(1773)製作の石造一間社入母屋造りの建築物として極めて貴重なもの
  5. 制作者は備後尾道の石工だが、「尾道石工製作の石造本殿」としては最古・最大で、後世の改変もないという
  6. 東広島市の重要文化財に指定されている

城跡に神社あるんだ。ほかにも神社ある城跡あったよねーという雰囲気でしたが、じつは市の重要文化財というすごい神社でした。『廣島懸神社誌』にもちゃんと掲載されています。じつはこのような建物って、至る所で拝見した気がするのですけど。大きな神社の中に集められたように複数存在している合祀された小さなお社や、道端にそっとあるいわゆる「小祠」なんて類のものです。こちらの神社さまがかように貴重なものであるのなら、あれらもすべて重要文化財なのでは? と思ってしまいました。

答えは半分その通りで半分間違っていると思いますが、問題は、仮に貴重なものであったとしても、それが証明できないと、ただの古い小さな社ってなってしまう悲しさですね。その意味で、ふらっと立ち寄った我々のような行きずりの者でも、肉眼で刻印された文字を確認できるって、奇蹟のようですね。実際には、研究者の先生方が、建築様式だとか、資材を調査なさればかなりのことはおわかりになるのでしょうけど。「こういう貴重な建物である」という言い伝えが残っていたりとか。いや、でも、このような形の小さなご本殿、たくさんあるじゃないですか。どれも、元々は刻まれた文字がちゃんと読めたのでしょうね。悲しいくらい、経年劣化でわからなくなりますからね。その意味で、本当に貴重ですね。

こんな方におすすめ
  • 貴重な重要文化財は必ず見る方
  • ゆかりある神社巡りが好きな方

オススメ度:(基準についてはコチラ

★★★

五郎

龍文寺の墓石の文字も消えちゃってるもんね……あれが読めたら……。

ミル

時の流れって非情だね。文化財保護法制定後は守られていると信じてるけど、それ以前に風化してしまったものについては、何の救済もないからね。そのうち、風化した文字を再現する技術が開発される日がくるのだろうか。

ミル@周防山口館
通訳案内士、AFP、2級FP技能士
廿日市と東広島が大好きなミルが、広島県の魅力をお届けします。
【宮島渡海歴三十回越え】厳島神社が崇敬神社です。
【山口県某郷土史会会員】大内氏歴代当主さまとゆかりの地をご紹介するサイト「周防山口館」を運営しています。
CONTENTS