室町時代の古典文学

キャラ吹き出し
今日から何日かかけて、「本」の話をするね。

中世における書物

皆さんは、本って言われてどんなものを想像しますか?
イマドキなら、電子書籍としてスマホの中に入っていたりするのでしょうか?
しかし、僕たちが生きた時代、本はもちろんダウンロードなんかできませんでした。

え、でも、紙の本はあったんじゃないの?

確かに、紙の本は存在しました。
でも、紙の本が、大量に印刷され、お金さえあれば一般庶民も買うことが出来るようになるのは、ずっとあとの話です。

江戸時代になると、所謂版木を使って本を印刷する技術が普及したようですが
(←於児丸は江戸時代にはとっくに死んでるので、イマドキの民同様、分らない)、
僕たちの頃には、そんな技術なかったよ。

では、どうしていたか?

「書き写して」

いたのです。

読みたい本を持っている人に頼んで貸してもらい、読みながら書き写すことで、本のコピーをつくって持ち帰るわけですね。
自分で書き写すことも、誰かに書き写してもらうことも、もちろん、本を持っている人がそれを許してくれるのならば、買う場合もありました。
いずれにしても、

図書館で借りる
本屋さんで買う

ということはできなかったんです。

ただし、そもそも、「本を持っている」ということが、一つの文化的ステイタスだった時代なので、当然ながら、持ち主はそれなりの身分と教養のある人、となります。
その辺の甲乙丙人が本を読む、ということはあり得ないことだったのです。

身分と教養のある人、といえば、京の公家ですから、それらの人と「繋がり」をつけて貸してもらわねばなりません。誰にでもできることではなかったのです。

逆に言えば、そのような書物を持っている人は、万が一困窮するような目に遭ったら、お金に換えることが出来たわけですね。

ん? そんなやんごとないお方が貴重な書物をうらねばならないほどお金に困るはずがない?

ところがそうでもなかったんですよ。
応仁の乱を見ても分ると思いますが、焼け出された公家たちは大勢都落ちし、それは悲惨なものでした。
裕福なこちらの庭園の主など、それらの公家たちからどれだけ貴重な書物を手に入れたことか。

室町時代の古典とは?

イマドキの教科書に載っている所謂古典文学、古文の授業で習うようなモノといえば、どんなタイトルを思い起こしますか?

源氏物語、平家物語、枕草子、徒然草、方丈記……?

まだまだ知ってる? もういいよ。
少なくとも上に挙げた中で、僕たちの時代に古典としての地位を得ていたのは『源氏物語』だけです。

えーー嘘!? 枕草子とか同じくらい古いじゃん。

そうみたいですね。でも、仕方ないよ。
平家物語? 確かに、当時からとても人気がありましたが、平家物語というのは、古典文学というよりも、琵琶法師の語りをきく、能を見る、というような当時の「娯楽」の一つだったんだ。

じゃ、僕たちの頃は何をもって古典と言ったのか?
それについては、偉い先生がまとめてくださっているので、引用しておくよ。

中世において、古典とは平安末期から鎌倉初期に注釈あるいは校本が作られ、皆に仰がれ規範とされる作品のことであった。それは『古今集』『伊勢物語』『源氏物語』および『和漢朗詠集』のことであった。

前田雅之『書物と権力』吉川弘文館 37ページ

前田先生のご本を読めば、ここの説明をこれ以上読む必要はない(笑)。
何しろ、僕たちがこの本を読んで勉強したことを書いているわけなので。
万葉集は難しすぎたとか、なぜ枕草子は入れてもらえないのかとか、すべての謎が氷解するよ。
なお、『和漢朗詠集』はイマイチほかのものほど知られていないみたいだけど、当時は「子どもが古典的教養を身につけるための書物」だったんだよ。

古今伝授

「古今伝授」って言葉を聞いたことがあるかな?
文字通り『古今集』の注釈を師匠から弟子へと伝えていくことなんだけど、つまりは先生を呼んで説明をしてもらわないと分らないくらい難しかったってこと。
まあ、和歌の解釈なんて色々だから、師匠によって微妙に違うかも。だから、色々な流派があって、まるでイマドキのお茶や生け花のごとくだね。

こうやって難しい古典を解釈してくれるのは、なにも『古今集』に限ったことではなく、『伊勢物語』や『源氏物語』についても盛んに行われた。

こうした解釈は元々はそれこそ学者肌のやんごとない公家の仕事。
『源氏物語』研究で有名な摂関家の一条兼良さんという方は、なんと、物語中の出来事を網羅した年表を作ってしまった。
イマドキの民ならば、全巻読破も珍しくはないと思うかも知れないけど、昔はそもそも本を手に入れるのが難しかったことを思い出してください。
『源氏物語』の最初の版本は慶安三年(1650)だそうです(上掲書:8ページより)。それまでは全巻揃えることすら困難だったわけで。そもそも、源氏物語は「通しで読むものではなかった」のです。
で、兼良さんは解釈書も何冊も書いている。その中で有名なものに『花鳥余情』という書があります。
こうした「解釈」は師匠から弟子へと伝えられる、と先に書きましたが、「一子相伝」と言って、肝心要の奥義は実の息子たった一人にこっそり伝えられる「秘伝」だったんですね。
師匠と弟子、といっても親子関係とは限らないと思うけど、当時の身分制度の下、学問を究めた貴族の家柄ならば、当然息子は親の跡を継ぐだろう。
それで、兼良さんの御子・冬良さんが奥義を受け継いだんだけど……。

なんと、三条西実隆という人がそれをこっそり写してしまった。
(↑ このお人も有名な学問の人)
どうやら、こうした「秘伝」は「一子相伝」といえども、学のある立派な人にならこっそり教えてしまうケースはあるっぽい。
兼良さんには、満殊院良鎮さんというお子さんもおられたのだけど、この人を通じて、兼良さん一族とは血縁でもなんでもない、良鎮さんの弟子・英因というお坊さんにも伝えられている。
血縁であるかどうかにかかわらず、「器用者」ならば例外として伝授してしまうケースがあった模様。「器用」って何かって? 今は学問の話をしているのだから、その方面に秀でた人だろう。
この英因さんは庭園の主とも縁浅からぬ人で、主の和歌集を編纂した際(そのうちこの話は誰かが詳しくやることになるだろうから割愛)編者の一人になってるよ。本当に「器用」な人だったんだね。

『花鳥余情』に話を戻しますが、ここの主みたいな和歌マニアからしたら、このような解釈本を手に入れて学習したくてたまらないよね?
山口には戦渦を逃れて下向してきた公家達が大勢いたし、とてつもない文化サロンが形成されていたから、手にするのは容易だったと思うよ。
当然、見返りとして、相当な金額が流れたことだろう。

権力としての書物

前田先生の本のタイトルが『書物と権力』となっているのを思い出して欲しい。
応仁の乱の後、大名たちは京を離れて分国に帰って行き、そこでそれぞれが自分の王国を築いていった。
京では朝廷の権威も失墜し、公家達も困窮したが、それはやがて「官位を金銭で売る」ような、イマドキの民も歴史SLGゲームから知ってたりする有様となる。
いっぽうで、富と権力を蓄えた武家たちは、かつて田舎者扱いされていたコンプレックスもあってか、これらの公家達から貴重な古典やその解釈を手に入れた。
なぜなら、書物は高く売れたから。公家達は生活の糧に出来たし、大名たちは引換えに知識を身につけることができた。

もちろん、一口に武家といっても、将軍様はじめ、半ば公家みたいになっている人たちは多かったから、地位も身分もある人は、早い時期から和歌や漢籍に精通してた。

準備中画像
細川勝元
そうとも。我が一門など、その代表である。
ここだけの話、同じ管領でも畠山はダメだぞ。
準備中画像
畠山義就
誰か俺様の噂してたな?
ったく、強い男はモテすぎて困るぜ。
左京大夫が「いせものがたりのこうぎ」に出ろ、って。何のことだ?
キャラ吹き出し
この人は、親戚ではありません。

古典=書物には「資産的価値はない」。でも、書物を持つ、貴重なものを持っている、ということで「持ち主の社会的地位が上がる」。
社会的地位が上がることによって、持ち主は「権力」を得るんだ。
まあ、もともと、権力者でお金持っているから本を手に入れることができるのだとも言えるけど。
でも、腕力と金銭しかない野蛮なところから、風流な世界の仲間入りしていくことで、その人への評価が上がり、相対的地位も高くなるんだよ。

キャラ吹き出し
おーー。俺、『源氏物語』読破しちゃったよ。
ひゃはーー。感動モノ。今や『源氏物語』すら漫画になってるのよ。
イマドキに来て良かった~
俺も風流人だろ?
キャラ吹き出し
絵を見て理解することも立派な学習方法である。その意味で漫画を使って勉強するのも悪くないよ。
しかし、お前は『花鳥余情』を理解できるのか?
キャラ吹き出し
む? 読めない……これ、日本語?
キャラ吹き出し
ま、まさかと思うが、イマドキに同化し過ぎて、いにしえの言葉になってしまっているのか?
キャラ吹き出し
その、花鳥なんたらはどうでもいいや。『源氏物語』なんてもう全部読んだんだよ。ちゃらちゃらの優男がナンパしまくってる話だ。ええと、次はこれ買おう。『馬鹿でもでわかる古文入門』
於児丸まとめ
このような、田舎武士などは「箔」をつけるために、必死で書物を蒐集した。かくして、古典文化も各地に広まっていったのである。
キャラ吹き出し
「田舎武士」とは?
キャラ吹き出し
ち、違います……。ち、父上の従兄……その、は、畠山義就のことで……
キャラ吹き出し
あの男が書物を集めていたとは思えぬが……。
キャラ吹き出し
本日はここまでです。

読んだ本:前田雅之『書物と権力』吉川弘文館