
先に庭園縁起をお読みになった方々は、なんとな~く、ここがどんなところか分ったはず。
庭園の住人はその主が召喚している過去の人々だというならば、どういう基準で、どんな人物が選ばれているのだろうか?
そんなことどうでもいいから、という方には無意味だが、知りたくてたまらない人には必要な説明。
主は永遠に若くて美しい。
ゆえに、まずは愛する妻と、その息子を招いた。
当然であろう。
彼らは既に年老いてこの世を去っていたが、天寿を全うした老女と老人を呼んできても年齢的に主と釣り合わない。
妻は同じように若くて美しい姿で。
我が子はその腕の中に抱きしめられる愛らしい姿で。
こんな願いが叶うならどんなに素晴らしいことか。
何の苦もなく、それらを叶えてしまう能力を持っているのが、ほかならぬこの主なのだ。
妻子を呼び出せば、その世話をする者も必要となり、瞬く間に元あった五百年以上前の館と同じくらいの規模となった。
やがて、家族や身内だけでは飽き足らなくなった主は、昔懐かしいゆかりの人々まで招き入れ、イマドキの民からは見ることができないこのエリアは既にパンク寸前である。
彼らはいったい、どんな風に生活しているのだろうか?
イマドキの民と交わることがなく、すべてを完結させることなど、不可能に近い。
衣食住はどうなっているのか?
主本人はもちろん、家臣や、客人たちの暮らしは?

(嘘です)
みなさんも、大好きなアイドルやご自分の空想世界の住人がどんなふうに生活しているか、敢えて詮索しないでしょ?
彼らはそういう「俗物」ではないのですから。
平家の怨霊が集まって酒盛りしている場面を想像してドキドキするとき、さて、あれらの酒はどの店で買ってきたんだろう? とか、考えないでしょ?

ここは天界の蓮池の畔だと思ってたらいいよ。
天界=大内庭園。
極楽浄土、桃源郷……そんなワンダーランドが現代の山口市内の「どこか」にあるんだ。

※今回は、無理矢理連れて来られたケースです※
五百年前以上前。京・畠山邸
ある日のこと、甘えん坊の於児丸はやっと河内国から戻って来た父上に纏わりついていた。






於児丸は寂しそうに、父の後姿を見送った。留守の間に、また新しい書物を山と読んだのに、その話は父の興味を引かないであろうと、幼心に理解したのだ。
自慢の我が子は当然、武芸の鍛錬も一日も欠かすことなく行っていたのだが、ほとんど屋敷にいない父にはそんな姿は見えなかった……。
於児丸は中庭で一人満月を見上た。留守の間、大好きな父上も、同じこの月を見ているのだと考えれば、心が落ち着いた。遠く離れていても、こんなに大事に思っているのに、やっと帰国した父には近寄りがたい。どうにもならないもどかしさが悲しく、於児丸は人知れず涙にくれた。








もうちょっとその「空想」とやらをカッコ良くできないのか?
俺、もうこの手のにはうんざりなんだよ。

おたくもそうやって、いつの間にか飛んできたのでは?
いちいち詮索していると身が持ちませんぞ。



俺? ただのメカニック。しっかし、流行り物をマネているにしちゃ、下手くそな展開だよな。俺でさえ、もっとまともに作文できそうに思える……。
そういや、俺はなんでここにいるんだ?