大内義隆イメージ画像
 本日も、常と同じくやる気のない大内家当主・義隆。
 少し前、正妻の万里小路貞子が「離縁状」を突き付け、実家である京の公家屋敷に帰国。とうとう、妻からも見捨てられてしまい、城に残るのは娘の章子と忠臣・冷泉隆豊、そして、「子作り」に成功した側室とその子だけになってしまった。
 勿論、配下の城は健在であったから、そこではそれぞれの城主が自分勝手に内政を行っていた。しかし、戦馬鹿は一人もいなかったから、有事の時には全く頼りにならない。そもそも、勝手に独立して旗色の良い他家に移ってしまう恐れさえあった。
 と言っても、現状、敷山家か有川家、どちらかに付くよりほかないし、一方に付けばもう一方から襲われる、という点では皆、殿様と同じである。だから、辛うじて現状維持になっていた。
 執務室で、仏頂面の冷泉とともに、つまらない政務を片付けながら、殿様は千寿の事を思い出していた。あの愛らい千寿が傍らにいて、子供とは思えぬ聡明さでテキパキと手助けしてくれていたのが、つい昨日のことのようである。一体、どうしてこんなことになってしまったのか?
 有川昌興とて、気にくわぬ戦馬鹿ではあったが、何を言われてもにこやかに対応し、常に一生懸命であった。そこらの、適当にゴマすりしながら、主家である自分の命令を体よくかわしていい加減に応じていた、毛利元就などと比べれば、いくらかマシな人物であったのでは?
 しかし、今から後悔してもすべては遅すぎた。

 その日、珍しく立花山城に来客があった。しかも、それが恐ろしい敷山家からの使いと聞いて、殿様はその場で卒倒しかけた。
「ま、まさか、宣戦布告、いや、我らを馬鹿にして『臣従』しろ、とでも?」
「我らはそれ以下でございましょうな」
 冷泉は例によって、馬鹿にしたような口調で答えた。
「そ、それ以下、とは?」
「臣従させるのは潰すのが面倒だからか、取り潰して直接の配下にいれても何の得にもならない小国でしょう。我らは一捻りで潰せるほど弱いですし、とは言え、そのまま領国を安堵させるには広すぎます」
「な、一捻り……しかも臣従は許してくれぬ、と?」
 そう都合よく事は運ばない。しかし、一体何をしに来たのか?
「取り敢えず面会しましょう」
 冷泉に促され、使者に会ってみることにした殿様。
「敷山家家臣・龍造寺家兼にございます」
 使者は深々と頭を下げた。
「な、なに、り、龍造寺家兼殿か……」
 そう、敷山家に滅ぼされた龍造寺家の「元」当主であった。それが、敷山家で一家臣となり、あの隆邦にこき使われているわけだ……。殿様はますます恐ろしくなった。しかし、家兼は元大名、それも、義隆よりはまともな人物であったから、与えられた使命をそつなくこなす。
「先ごろ、管領・細川晴元様より、我が殿宛に使いの方が参られました。只今、有川昌興は山陰・山陽を侵し、まさに畿内を目前としております。この度晴元様の呼びかけで、有川家の横暴を止め、西国に平穏を取り戻すべく、皆で連合を組み、手を取り合ってあたることと相成りました。そして、その連合の盟主として晴元様が推挙なされたのが我が殿にございます」
「ふむ」
 殿様は分かったふりをしたが、使者の意図が理解できない。
「それで?」
「大内家にも我が殿を盟主と仰ぎ、有川昌興の横暴を止めるべくご尽力いただきたい、との我が殿の仰せにございます」
 偉そうに「我が殿」を連発し、「仰せ」などと。明らかに横暴なのは敷山隆邦のほうではないか。
「断る」
 殿様は珍しく、冷泉の意見を求めるまでもなく即答した。
「それで本当におよろしいので?」
 家兼はここで初めて、露骨に馬鹿にしたような口ぶりで言った。
「およろしいので? そなたの言う事を聞かずにいたら、何かおよろしくないことが起こるとでも?」
 何と、この殿様にも人を侮蔑したような言い方が出来るのだ!
 家兼は何やら書付のようなものを取り出した。敷山家を盟主と仰ぎ云々と書き記した内容の後に、発起人の細川晴元を筆頭に多くの大名がその名を連ねていた。島津、長宗我部、浦上、若狭武田、鈴木、本願寺……。これから有川家が進んで行く道なりの大名家がほぼすべて記されていた。