千寿イメージ画像
 周防の国・山口城では、相変わらず全国各地から、仕官希望の浪人者が次々と現れ、城の外まで行列が出来るほどであった。面接担当の相良武任は、遂には悲鳴を上げ、これなら草履番のほうが楽なのではないかと思うほどであった。何しろ、勘定奉行・米倉との関係さえ切れなければ、金銭的な問題はまったく考慮する必要がないからだ。
 何やら、畿内以東の地域では、原因不明の大地震や暴風雨といった天変地異が相次ぎ、北条、今川、武田と言った大大名家は特にその被害が甚大であった。そのせいで、不吉な土地を離れ、わざわざ遠く周防の国までやってくる浪人者の中には、これらの名門といわれる大名家を見限って、この「神の国」山口に英主を求めてやってくるケースが多かったのである。
 昌興は相良の「簡潔明瞭」な紹介状を見て、それこそ適材適所に人材を配置したから、「家臣の数が足りていない」などと、苦情を述べる家臣もすっかりいなくなっていた。
 その分、例の畿内以東の大名家では、大名以外、名だたる家来が一人もいないような大変な事になっていた。しかし、そんなことは昌興の耳には届かない。
 そうやってこちらへ流れ着いた家臣たちの中には、ともに北条家出身、ともに織田家出身などという、互いに旧知の者が大勢いた。
 にもかかわらず皆、元の家を追い出された、或いは、見限ったなどという事実を新しい主に知られるのを恐れ、お互い知らぬふりを決め込んだ。よって、昌興に彼らの詳細な出自が知れることはなかった。

 昌興は、迷った末に、次の侵攻先を出雲の尼子家と決めた。大内との半年の同盟が切れる前に、出雲を併合し、その後には、九州の大内家を滅ぼす、という順序であった。
 戦の準備で忙しい最中、家臣からとんでもない知らせが入った。
「……千寿様のお姿が見えませぬ」
「何だと?」
 若山に帰る事はまかりならぬ、と申し渡された千寿は、昌興に与えられた屋敷の中で、大人しく過ごしているはずであったが、なんと、知らぬ間に荷物をまとめて、出て行ってしまった。城門は例の仕官を求めるものたちでごった返していたから、そのどさくさに紛れて、逃げ出したようだ。
「このような書置きが……」
 家臣から渡された紙きれの中に、次のようなことが書かれていた。
 一、家宝を買いまくり以下の者に与えること(その下には幾人かの名前があり、その先頭は昌典であった)。
 一、朝廷と幕府に使者を送り、官位と役職を「買う」こと。
 一、昌典には他家との内通が疑われるので、監視を怠りなく、いますぐに「一門衆」に命じること
 一、毛利家から援軍の申し出が来ても、義理人情に流されず、完全に無視すること。
 一、陶隆房に若山以外にも城を与え、その勲功に見合った待遇をすること。
 一、秋月城の井上尚正は高齢ゆえ、山口か宇部に戻し、若くて屈強で、奇怪な現象を見ても耐えられる者と城主を交代すること。
 一、先ずは中国の覇者となる事を目指すが、同時に四国・九州の平定もおこなうべし。
「な、なんなのだ、これは……」
 さすがの昌興も、たかが子どもの弟に、ここまで偉そうに書き送られて、「それなりに」気分を害した。
「すぐに、千寿を探して連れ戻すのだ!
 昌興は一喝した。良い意味で、仕えやすい温厚な殿様しか知らぬ家臣は、常ならぬ厳しい口調に、おろおろしている。
「探すとは……一体、千寿様は今どこに?」
「そのようなこと、わしに分かるはずがなかろう。行先は若山の隆房の元に決まっておる。その道をたどれ」
「ははっ」

 千寿の逃亡劇は、想像したより早く昌興に知られてしまった。
 有川家の武将には悉く特性「電光石火」がついているから、若山に至る道は先回りした連中によって、既に封鎖されていた。
 しかし、そんなことで、怖気づく千寿ではない。
 ちょうど、山道の入り口を塞ぐようにして陣取っていた隊長の中に、顔見知りがいた。
「これは、山城甚五郎ではないか?」
 声をかけられた隊長・山城は、「手配中」の千寿を見つけ、殿様からのご褒美にあずかる自分の姿を想像し、密かにほくそ笑んだ。
「これは、千寿様。殿より、見つけ次第山口へお連れしろ、との命が下っております」
「無礼者!」
 千寿は腕を掴もうとした、山城を押しのけた。
「これが目に入らぬか!」
「は?」
 山城は千寿が手にしている、紙きれを見た。
「密命によりこの者を若山に遣わす。それが誰であれ、命に従い無事に送り届けよ。これは重要な機密を伴う事項ゆえ、使者の名は此処には記さない。また、その他の如何なる命よりも、この密命を優先させるよう。なお、上手くやり遂げた者には金三百を与える。有川昌興自署&花押」
 気のせいか、「金三百を与える」の部分が他より墨色が濃く、太字になっていた。
「金三百……」
 山城が先ほど想像した、殿様の褒美の倍以上の金額だ。しかし、千寿を連れ戻せ、という命令もまた殿様のものであったはず……。これはどういうことであろうか? 山城の、武勇だけが強化された能力値では分析不可能であった。
「そのほう、どうやら相当の間抜けだな」
 千寿が馬鹿にしたように言った。
「兄上は我にこの『密命』を与えるため、一旦城に呼び戻したのだ。既に、『城に連れ戻せ』という、先の命令は実行済。今そのほうが行うべきは、当然この第二の命令を遂行することだ。まさか、兄上のこの命令書が偽物であるとでも?」
「ま、まさか……滅相もございませぬ」
 大して位が高くはない山城であったが、上官から殿様の命令文を見せられたことは何回かある。字体など覚えてはいないが、そもそも、殿様の命令文を偽造するような不届き者などいるはずがない。ここは、この「密命」に従って、弟君を若山に送り届けるのが得策であろう。
 こうして、道中の他の隊長だの、大将だのは、皆この殿様の「密命」の前にひれ伏し、更に、金三百を手に入れる栄誉にあずかった山城を妬ましく思いながら、一行に道を譲ったのであった。
 こうして、山城に守られた千寿は、道中何事もなく、無事に若山の陶隆房の元に辿り着くことが出来たのだった。
 山口に戻った山城甚五郎が、その後どうなったのか、お言葉通り金三百を手に入れることができたのか、もはや述べるまでもないであろう。